一通の心当たりのない差出人からの手紙が届いた。
パリ郊外の住所である。
日本で言う習字なのか、まさにカリグラフィーのような大変美しい文字で書かれている。
美しいのと読みやすいのは、別の問題で、私には解読は簡単ではなかった。
それには、彼女がモンマルトルのムッシュの姪であること、そして彼が三か月前に亡くなった(つまり私が再会したその秋であった)ことが書かれていた。
98歳の大往生であった。
彼の遺品の整理をしていて、私との親交が解ったらしい。
どうやら独身であったようだ。姪御さんは、自分の叔父に日本人の知り合いがいたと知った時は、大変驚いたに違いない。
そして「叔父は亡くなったけれど、私も日本に興味があるので、あなたとの親交を続けていきたいです。フランスに来ることがあれば、是非お目にかかりたいです」と結ばれていた。
彼女も年齢からすると60代、もしくは70代なのかもしれない。
メールでのやり取りでなく手紙でのやり取りだから、そう頻繁な交信はできない。
でも手紙をもらった翌春の渡仏の折に、「できればお墓参りをしたい」と言うと、パリ郊外の墓地の場所を教えてくれた。
パリで滞在させてもらうムッシュが「パリからそう遠くないよ」と、快く車での送迎を申し出てくれ、話はトントンと進んで行った。
そして彼女の家にも来てほしいと言うことだったのだが、残念なことに、彼女らが南仏の別荘に行く時期と重なってしまい、叶わなかったのである。
その後も渡仏の度に気になっているのだが、彼女は南仏とパリを行ったり来たりの生活のようで、手紙も届いてからすぐに見るとは限らず、約束の日を取り付けると言うのは難しい。
こちらも春や夏のバカンス時期に行くこともあって、果たせないままである。
手紙のやり取りだけの交信やメールでも頻繁に交信しない人は、縁が希薄になっていくのではと心配することもある。
しかし、フランス人に限って言えば、途切れているように思っていても、なかなかどうしてしっかり心で繋がっているものだと思うようなことがよく起こる。
この春の東日本の震災の直後、そのときのパリ滞在のムッシュからメールが届いた。
それには、こののマダムから電話がかかり、奈良は大丈夫だったかと心配し、日本の災害に対し、哀悼の意を知らせてきたよと、書かれていた。
彼もびっくりしたことだろう。
パリの滞在先として、そのムッシュの連絡先を知らせたのは4年も前のことだ。その連絡先を忘れずにいてくれたことと、そしてすぐに連絡を取ってくれたことに、心が熱くなった。
すぐに手紙を出したことは、言うまでもない。もちろんその手紙にもすぐに絆を感じる返事が届いたのだった。
モンマルトルのムッシュがつなげてくれたこの縁、何としても直にお目にかかりお礼を言う機会を得たい。