続いて、ねっとわーく京都12月号での記事を載せます。
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「空にかける階段88-Ⅱ」-京都市がウソをついて切った
8月8日、切断の暴挙
8月8日、京都市は作家の意志を踏みにじって、京都市美術館の収蔵作品「空にかける階段88-Ⅱ」を切断した。
当日朝、京都・水と緑をまもる連絡会、岡崎公園と疎水を考える会と京都市美術館を考える会の3団体は市役所前でチラシを配布した。「引き続き、作家側と具体的な成案づくりについて、しっかりと検討し成案がまとまるまで工事に入らないでください」との申入書を裏面に載せた。それを京都市長に申し入れる途中、共産党の市会議員団事務局から電話が入った。「京都市がもう切断の工事を始めています」と。
ともかく、現地に抗議に行こう。私たちは市長と文化市民局への申し入れを慌ただしく済ませ、美術館に向かった。文化市民局への申し入れの際、「なぜ工事を急ぐのか?」と聞いた。担当者は「京都市美術館の再整備に影響が出る。スロープ広場の強度を保つ必要もあり、掘削が必要」などと述べ、作家の了解については「折り合いがついていない」と語った。
京都市美術館は改修工事を急ぎ、自らの収蔵作品を、作家の意志を踏みにじって切断した。富樫実氏の作品は、花崗岩の自然石から生み出され日本一の長さを持つ、美術館にとっても重要な作品のはずだった。
この暴挙は京都市美術館のみならず、京都市の文化芸術行政に大きな汚点を残した。今後、京都市美術館は「自らの収蔵作品を切断した美術館」と呼ばれることとなる。
8月22日、大荒れの市議会文化環境委員会
「切断事件」後、初めて開かれた市議会文化環境委員会では、与野党の委員から京都市当局に強い批判の声があがった。切断工事の前夜、京都市美術館側が市会議員らに「作家の了解は得た」とウソの電話を入れていたからだ。
「(京都市は)我々には、(作家側が)了解されたと説明。そう聞いた」「私自身、不信ばかり起こる状況になってしまっている」と自民党市議は発言した。切断の翌日、京都新聞も、「作者『思いと違う』」とはっきり書いていた。
京都市は工事前日、関係する市会議員に次々と「作家の了解は得た」と電話を掛けている。京都市から夜電話がかかってきて、出られずに、すぐにかけなおしたが「もう、全然電話がつながらなかった」という議員もいた。
9日、京都市議会議長のところにも同様の電話が入っていたことがわかった。京都彫刻家協会会長が議長に電話で切断の顛末を話すと、「京都市美術館からは作家の了解を得たと聞いたが、ひどいな」との話だった。当日、京都市美術館での抗議行動の最中、私たちはそのことを聞いた。現場で「美術館はウソをついて、工事を強行したのか!すぐに工事を中止してください」と訴えたが、工事は続けられた。
共産党の市議が委員会で、「京都市は反省をいうが、何を反省しているのか。(収蔵作品の切断という)取り返しのつかないことを強行した。それが一番反省せなあかんこと。京都市には作品に対する思いが見えない」と追及したが、それについて反省の弁はなかった。
いずれにしても美術館は、改修計画の進捗をせっつかれながら、「富樫作品の5分割」という暴挙への批判、陥った矛盾の最中で、市議会にまでウソをついた。京都市が市議会にウソを言って施策を推し進めようとする、これは明らかに京都市政の大失態だった。文化環境委員会では、与野党とも京都市への強い不信感が漂い続けている。
7月21日の作家側と京都市の「確認書」とは何だったのか
ねっとわーく京都9月号の締め切り直後に大きな動きがあった。7月21日、作家本人と代理人、京都彫刻家協会会長の3氏(作家側)と京都市美術館(副館長、学芸課長、総務課長)は1時間40分を超える話し合いの末に「確認書」を結んだ。
確認書には以下のことが記述された。
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屋外彫刻作品の再展示については、可能な限り現状を維持することを原則とします。ついては、法規に則り、以下の方向で検討を進めます。
①当該作品については、いったん取り外して、現在地での再展示とする。
②再展示は再オープンを目標とする。
③再展示の方法は、すり鉢状の形状を基本として考える。
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この「確認書」には6氏の自筆のサインはあるが押印はない。京都市美術館側3氏の肩書も書かれていなければ、もちろん隣室で固唾を飲んで話し合いの成り行きを気にしていた京都市の文化芸術政策監、市民文化局長、美術館館長のサインもない。今振り返れば、この話し合いは、「作品を動かす」、この一点でのお墨付きを作家側から獲るためのものだったのだろう。
作家側は、これで何とか作品を現場付近で保全できると喜んだが、翌日の京都新聞はそれを打ち消すかのような京都市美術館幹部のコメントを載せた。
「野外彫刻モニュメントについて・・・いったん撤去し、現在地で再び展示する方向で作者の希望を基に検討するとした。ただ市は『作者の思いをできる限り尊重するが、法的、技術的に可能な展示方法しかできない』としており・・・・今後も曲折が予想される」(7月22日京都新聞)
作家の代理人からは「中身が違う。こんな事だったら確認などせんかった」と怒りの声が上がった。私たちは相談して、それならばその「法的・技術的不安」を、この短い期間の中でも詰めて話し合い取り除く努力をしよう、基本的なところで成案ができるようにする事こそ京都市の仕事だろうと、京都市長などへの申し入れや関係各課とのやり取りを開始した。しかし、京都市は実際そんなことは全く考えていなかったことが、すぐに明らかになる。
7月21日、「確認書」をめぐる話し合いは、実際はどうだったか?
この日の話し合いは、30分程の休憩をはさみながら1時間40分に及んだ。休憩時には京都市美術館側は別室の上司と「これでいいのか」と慎重な検討をしている。
話し合いで冨樫実氏は「作品を動かしてもらっては困る」と言い続けた。一本の作品(長い方)には補修はされているものの根元にひびが入っており、移動は困難、作品の形状と長さは命であり、そこに置き続けてほしいと繰り返し述べた。また、京都市美術館が以前に示した「5つの分断」の方針には、邪魔者扱いされているかのようなやり方に、不信の思いを述べた。
富樫氏は「切断は自分が死んでからにしてほしい」とも述べた。話し合いの終盤、作家代理人は、富樫氏の思いを受け止めながら、長い方はヒビが入っているところでどっちみち切断せざるをえないが、基礎を掘って(取り出し)その石を下に置いてほしい。短い方はそのまま掘り出して置くことを提案した。それに対して美術館側は、「できるだけ現状を維持する形で再展示したい。最大限努力して、そうゆう方向でやって行きたいと思う」と述べている。作品を掘り出すやり方について美術館側の別のメンバーから「掘り出すということですか?」との声も出たが、主なやり取りを重ねてきた担当者が「技術的には、今おっしゃっていることを、なるべく行ける形で、それはやる方向で再展示したい」とまとめた。
作家の思いは、作品をそのままにしておいてほしい、長いままで取り出すなら、根元から掘り出してほしい。ひびが入っている所は掘り出せば壊れるからそこで切られても仕方がないが、根元の、作品の部分は取り出して再展示に生かしてほしいというものだった。しかし、それは、8月8日に断ち切られる。美術館側は「いや『できるだけ』と言っているでしょ」と言うかもしれないが、それは言い訳にしか聞こえない。収蔵作品を守り後世に伝えていくという美術館本来の仕事を、ここでも必死にはしていないのだと思う。
「5分割」への真剣な反省が欠如していた京都市
5月8日、京都市美術館と芸術家・市民との5時間に及ぶ話し合いの中で市民側は、美術館が行おうとしている「5分割」のための工事開始に対し「少しの時間の猶予を持って、専門家の意見を聞いてほしい」と繰り返し訴えたが、返答は「5分割以外ない」という冷たいものだった。
その後、芸術家や市民の大きな批判、マスコミの報道、議会での論戦を経て、京都市は「いったん立ち止まって考える」と表明するに至った。しかし、市は、その非常識な方針提案についての真摯な反省をしなかった。これは京都市美術館だけでなく京都市長も同様だったろう。
京都市美術館が、そのランドマークである重要な収蔵作品を自ら5つに切断しようとした。私たちは、本来、美術館はその作品を守り、未来に受け継いでいくことが仕事なのに、全くそれと逆行する「仕事」をしようとしている、ある人は「作品の虐殺」と指弾した。5月8日以降の期間は、そうしたことをやろうとした自らを深刻に反省する重要な機会だった。しっかりと反省するなら、まず「5分割」を提案した市の方針について謝罪し、その上で、作品をそのまま保全できないか、スロープ広場の設計がそれに影響するなら、その変更はできないかなど、直ちに再検討を始めるべきだった。
このことについて、京都市長はどのような対応をしたのだろうか?私たちは最初の京都市長への申し入れの時から、現場がちゃんとできない中、京都市長のイニシアティブが求められていると強く要請したが、この点で市長が作品を現場で保全するために「改修計画」の修正を求めたなどという話は聞いていない。また、現場が「確認書」に基づいて丁寧に作家の声を聞き、生かして、移設の方法、その後の展示に関わる法的不安などの解消に全力をあげたとは思えない。
8月7日、切断実行の前日、6時間に及ぶ話し合いで美術館は突然、「作品切断」の図面を持ち出してきた。その話し合いれは、美術館側が「これ以外は方法がない」「今日、やめという事になれば大型クレーンを返して、5分割に戻すしかない」「納得できなくても了承してください」と作家側に迫る凄まじいものだった。この中で担当者は「美術館は追い詰められています」とも述べていたが、改修計画の進捗を急がせ、美術館の担当者たちを追い詰めたものは何か?本来トップこそ、この矛盾を取り払うべきだったのに、そのトップはどこを向いていたのか。
この一連の経過の中に流れる富樫作品を「5分割」してもはばからない京都市政とは何者なのか、芸術・文化行政だけではない、そのくぐもりが問われている。
榊原義道(北山の自然と文化をまもる会)