ドーナツ畑の風に吹かれて

おかわり自由のコーヒーを飲みながら、廻る季節をながめて、おもったこと。

いともかんたんにブルー

2005-06-29 00:33:37 | 日記
 実習終わってややゆっくりしようとおもい、ざくざく本読んで思ったこと。なんだいなこのフリーター率&不倫率。わたしの本選びがいけないのかなぁ。そういう問題なのか。そうなのか。あまりにもそんな風なのでしまいにはブルーになって彼氏に電話する(本当にいるのか不安になったから)。忙しくてわたしの相手するどころじゃないって感じだったけど、まあとにかくいてくれただけで満足、安心。浮気はダメですよ絶対、と、最近こればっかり言ってるセリフをまたも繰り返す。
 疑心暗鬼という名前の鬼さんが住んでいる。鬼退治の仕方がわからないで困っている。多分ニートみたいな生活しているから、精神的にすべてが下降していってしまうのだな。せめてバイトを見つけなければ。ああ。働く意義がよくわからない。ちゃんと働ける人は本当にすごい。

読む作家が偏っている。

2005-06-27 16:14:41 | 読書三昧
 実習中少し本を読んだ。
 実習終わったらヒマぽみんだ。バイトもそろそろしなければならない。

「いつか王子駅で」堀江敏幸
 都電荒川線沿線に住みたい。堀江先生はやはり、日本を舞台にしたお話が素敵すぎる。特にどうてことない日常のお話なのになぁ、ああ、言葉が一つ一つ素敵だ。この適度な温度も。誰かわたしのお墓に入れて。

「檸檬のころ」豊島ミホ
 高校生話、短編集。この檸檬的な読後感は豊島さんの本すべてに共通する。一つ一つの文章はかなり口語チックで、それほど好きというわけでもないのになぁ、いいなぁ。
 ちなみにこれは大学生協で買ったサイン本なわけで。

「泣かない女はいない」長嶋有
 この人はあいかわらず女主人公を書くのがうまい。男性作家では一番なのではないか。テンション低い感じも好み。生活というものは、実際、テンション低いものなんじゃないのかな。テンション高くなる瞬間なんてほんの一瞬で、それを切り取るのもすばらしいが、それ以外の部分を救い上げるのもまたすばらしいというわけだ。

「ホテルカクタス」江國香織
 実はずっと前から持ってたのに、読んでなかった。完璧にタイミングを逸していた。
 絵本的なお話。大人のメルヘン、と紹介されているけれども、まあ、そんな感じ。登場人物が帽子ときゅうりと数字の2。違和感なく読めるのがすごいな。いい話だとおもった。とても。
 寓話の力、というものに、圧倒されることが、最近とても多い。

「空中庭園」角田光代
 家族それぞれの視点で書いた連作短編集。
 舞台になっている町の描写が好きだ。田んぼと空。空が広そうなところはとても好き。小説の中であっても。トラウマが過剰に書かれすぎている小説が最近苦手で、これはギリギリの線だったな。それにしてもうまいので最後まで一気に読めたけれども。

実習おしまい

2005-06-27 01:03:10 | 日記
 言葉より事実の積み重ねが大事、というのが昨日のわたしの名言だそうだ。
 しかし、名言というのは、多分受け取る側の問題なんだとおもう。この言葉を名言だとおもうだけの理由が聞く側にあるってことだろうよ。一ヶ月前の彼ならこんな言葉、聞き流してたのではなかろうか。こんなことで夜中に電話かけて相談してくるなんて、多分付き合って3ヶ月まで、だとおもうよ、とはもちろん本人には言わないけど、まあ、なるべく 幸せが長続きするといいね。お祈り申し上げる。
 そのさらに前の日、実習の打ち上げで高校時代からの男友達と恋人と過ごす日々についてのトークをしたばかりだったから、なんだかとても思ったのだけど、彼女を大事にしてる男の子の話を聞くと安心する。自分のことではないわけだけど、自分とこもこんな感じでとても大丈夫なのではないかと思えてくるからだ。根拠なくてもいいから、安心したいとおもう。

 そうそう、教育実習が終わった。最終日の現代文の授業は、どうしようもなくなって、好き勝手させてもらった。前二回で扱った小説のキャッチコピーをつけてもらうというもの。クラス全員分読み上げたら、なんかけっこうおもしろがってたので、まあとにかく楽しんでもらえたのならいいや、とおもう。現代文というやつは、他教科と違って、教師の思想というか、人間性がもろ反映されてしまうのでおそろしい。どうとでもできるから、どうすればいいのかとても悩む。教えなければいけないことが厳密でないのでね。やり方はきっと人それぞれ。わたしなりに、何かを生徒に残せていたらよいのだが。
 今回担当したクラスでは最後にアンケートを書いてもらったわけだけど、みんなそこそこいいことばかり書いてくれる。まあ、悪いことは書きづらいであろう。それにしても嬉しい。これが教育実習マジック。これが嬉しくなって、教師になりたいなんておもっちまうんだ。実習期間中はあんなにつらかったくせに、生徒の言葉があたたかいと、なんだか、教師も悪くないっておもえてくる。おそろしい罠だ。でも、本当に今回は、生徒に救われたというか、生徒がいい子ばっかりだったから授業が成り立ったのだとおもう。まあ、逆に、大学受験のこととか気にしないでいいようなレベルだったら、逆にプレッシャーなくて好き勝手できたのかもしれないけれど、多分、授業を成り立たせるだけで一苦労だっただろう。それはいやだ。
 最終日は、授業が終わるとヒマで、他の実習生の授業をうろうろ見学したり、ヒマな時や眠い時にちょくちょく立ち寄っていた図書室に名残を惜しみに行ったりした。で、放課後には、実習とちょうど同じ期間に開催されていた、クラス対抗でのさまざまな競技を行う行事の最終戦である駅伝が行われ、実習生チームも参加するというので、応援に加わる。さらにその後にはバスケの優勝チーム対先生チームのエキシビジョンマッチ。で、閉会式。現役時代、きちんとこれらに参加した記憶はあまりないのだけれど、実習生という立場はとても気楽で、気負わずこれらの行事を楽しめた。学校に、クラスに、溶け込めなかった現役時代のことを思えば、なんて安らかなことなのだろう。
 当初、生徒とコミュニケーションとることはあきらめてたのだけれども、クラスの女の子たちとは普通にしゃべるようになったし、演劇部の子らとはかなりいろんな話をするようになった。公演に来てくださいって、メルアドまで教えてくれたし。授業もなんだかんだで楽しんでくれたようで、嬉しい。もしかしたら教師って向いてるんじゃないのかなんて、本気でちらりと考えてしまったほどだ。

 トラウマ払拭が、実習の隠れたテーマだった。実習という形で集った、かつて同じ場所で学んだ人たち。当時から仲が良かった人もいれば、存在すら知らなかった人もいた。同じ実習生という肩書きを得て、みんなと普通にしゃべれるのが、嬉しかった。在学中は、「普通の」人たちがこわかった。自分がみんなと同じように出来ないという劣等感があったから。今だってまだ残ってはいるけれど、でも、それが自分だけが気にしていることで、みんなは普通に話しかけてくれるのだということがわかった。それだけでも十分だった。そして、高校生たちを教師という立場で見ることで、当時の自分を相対化できるようにもなった。なじめないなじめないとずっと思っていたけど、外から見たら、わたしも立派なN高生だったんだなぁ、とおもった。当時のことを思い出した。つらいことばっかり覚えていたけれども、楽しいこともたくさんあった。つらくも楽しくもない、普通のことが、一番大事な記憶なのだということも思い出した。やっと、高校生のわたしと、今のわたしがつながった。それはぜんぜん当たり前の、なんてことない事実だけど、わたしにとっては大事なことだ。
 やたらとつらくて、一週目の週末には激しく落ち込んで顔の形が変わっちゃうくらい泣きまくって、親にも迷惑かけたけど、実習にきた甲斐はあったとおもう。

 さて、実習も終わって、自分のこれからのこと、考えなきゃいけない。社会人を疑似体験したとも言えるわけだけど、自分には社会人無理なんじゃないかって考えるきっかけにもなっちゃって、まあ、困った。実習さぼってまで選考受けた会社もあっけなく落ちたし。そもそも持ち駒残りわずか。さあ、どうするどうする。
 のんびり生きていきたいなぁ。それ以外、それ以上に思うことなんてないのだ。

雨の日はアジサイの咲く道をえらぶ

2005-06-23 00:59:15 | 日記
 わたしやっぱりストレスフェチなのかな。不幸依存症とでもいうべきか。ということについて最近考える。

 人間関係は怖いことばっかりだ。その分、たまにいいことがあるととてもうれしい。些細であればあるほど、うれしい。でも、基本的に鋭利な刃でさっくり刻まれるような痛みを覚える事の方が多い。さっくりとな。
 身近な人間ほど、さっくり系になった時、切れ味が鋭いんだ。わたしは知っている。

 よく切れる刃物ほど美しい。
 友情が美しいのはそのため。
 愛情がもっと美しいのはそのため。
 少しずつ喘いで死んでいくような心地がする。


 明日は研究授業。そして、放課後こっそり学校を抜け出して、面接に行く。この前学校を抜け出して受けた筆記が通ってたから、行くのだ。実習担当の先生は「おお、よかったね」と言ってくれた。そんな一言にものすごくほっとしたのは、なんでだろうな。素直に、そう思う心を忘れていたってことだろう。


実習覚書

2005-06-21 00:08:17 | 日記
 ガクアジサイの真ん中はちゃんと咲くみたい。ちっちゃい変な花。なんか、おなかの空いたイソギンチャクみたいで妙に気持ち悪いのだが。それにしてもうちのアジサイちゃんは近所一の美人ちゃん。


 海洋堂の天然水フィギュアは25個買ってようようコンプリート。なんだかどうしようもない達成感。しばらく眺めて楽しもうとおもう。むふふとな。

 授業はやっぱりこわいのよ。40人もの意識を同じ方向にひっぱるなんて、相当体力使うことだよ。それでも古文は教え込んじゃえばいいだけの話なのだけど、現代文となると、ただ教えるだけじゃぜんぜん意味ないから、何かしらを感じ取ってほしいなぁ、というようなことを思うのだけど、わたしの力量じゃなかなかみんなを思った方向へ導けないのだよ。からまわるのだよ、むなしいのだよ。生徒たちの睡眠時間と化すのだよ、そしたらどうしたらいいかわからなくなってピントフリーズ現象さ。現代文の授業は、着地点を見つけないと、どうしようもない。でも、別にどこにも着地したくない自分がいるというか、結局現代文の授業というものが高校時代からきらいだったわたくしなわけで、そういうこと考え出すと無限ループ。
 みんなはちゃんと授業してるのになぁ。なんでわたしはこうなんにも出来ない子なのだろう、とおもって週末はずいぶん落ち込んでいた。かなしい。いらない子、だなぁ、と、おもった。死ねるもんなら死にたいとおもった。それは、すでに教育実習だけの問題ではないのであった。某氏は、わたしがいなくなっても、きっとすぐに立ち直るだろうと、言った。わたしは何事も、あとになってみないと自分がどの程度ダメージくらったのか量れないのだけれど、これは多分そうとうダメージくってたんだな、と最近になって思う。死にたくなる時決まってその根拠の一つになるフレーズ。いなくなってもすぐ立ち直るだろう。いなくなっても、いいんだ。
 不安になってしまった。わたしがここにいる根拠が不明瞭だ。なんでここにいるんだろ。

 同じ国語科のK氏はたぶんとてもある種の優秀さを備えていて、それは人生に全般的に役立つような何かで、うらやましいかぎり。そんな人が、同じ教科だからというだけの理由で、わたしとたくさんしゃべってくれるし、指導案の相談を持ちかけてくるし、こっちの相談にものってくれる。教科の話をするのはとても楽しい。そういう、根拠のある人間関係は、根拠に依存すればよいのでとても安心する。そういう意味でいえば、教育実習生という身分もとても好きだ。その身分さえもっていれば、同じ教育実習生同士、簡単に同調して簡単につながることができるし、簡単に会話をすることができる。身分とか根拠とか盾にしないと、もうまともに人と話なんてできやしない。

ガクアジサイの真ん中が咲くのを待っていました。

2005-06-16 00:40:42 | 日記
 実習生同士もだんだんしゃべる人が増えてきて、楽しくなってきた。授業案の相談をしたり、睡眠時間の少なさを嘆きあったりする。同じ目的があって集まっている集団っていうのは、理由がある分安心していられていい。すこやかな気がする。単純に利害も理由もなにもない「ともだち」っていうものをそう簡単に信じるほど、わたしはもうピュアピュアじゃない。プリティーにキュアキュア。
 クラスの子とも、なんも気負わずしゃべればいいやーとおもったら楽になった。向こうは実習生の扱いに慣れている、ような気がする。義務教育から数えて11年も生徒やってるんだもんな。そりゃプロだ。話しかければ普通にかえってくる。なんだかんだで優等生が集まる学校だし。気負うとかえって向こうにそれが伝わってしまってよくない。大事なのはリラックスだ。力を入れすぎない、抜きすぎない。
 まったく新しい環境で2週間、人として大事なことを学べる、あるいは思い出せるような気がする。環境がかわるのは苦手なんだけど、えいやっと飛び込むといいことあるっていうのは知ってる。期間限定でこんな新環境に飛び込めるなんて、そう考えてみれば教育実習ってなんてお得な制度なんだろう。

 まあ、余裕があるのも今日までだらう。明日は初授業。大御所なんて呼び名がなぜか実習生に広まりつつあり、「じゃあ、大御所の初授業見に行っちゃおうかなー」というやつ続出。いや、見ないで……! わたしを、一人にして……! そもそも大御所ってなんなんだよ……!

 399円の鉢植えガクアジサイが超きれいな色に咲いてくれて、ベランダ見るたびに嬉しい。それにしても、真ん中にはいつになったら花が咲くのかしらってずっとわくわく待ってたのに、周辺にしか咲きませんですってよ……! なんてバカな子とおかーさんに言われた。シクシク。それにしてもガクアジサイきれい。なんか、ここんとこ見かける普通のアジサイがあんまりきれいな咲き方してないので、余計にそう感じるのかもしれない。ガクアジサイの魅力がわかるようになったら大人って感じがする。

序の口

2005-06-14 00:33:51 | 日記
実習初日覚書。

 最初は高校の空気吸うだけで緊張した。教室の空気はさらに緊張した。先生の授業を見学するだけだったのに、ちょっと自己紹介するだけだったのに、胃が痛くなった。なんだろう、こんなに濃い空気の中で生きてたっけ? ぜんぜん忘れてた。こんな特殊な空間で3年間過ごしたのか。
 それにしても、所在ない。授業がないとひまひまひーま。他のみんなもそれぞればらばらだし。職員室の真ん中に机があるからどうも居心地よくないし。一日が果てしなく長い。結局、ずっと授業案を練っていた。飽きた。実習生同士の交流なんて夢のまた夢なのか。2週間孤独の日々なのか。
 担任のクラスになじもうとがんばろうかとおもったけれど、そういえばそういうのどうでもよかった気がするなぁ在学中、とおもったら途端になえた。やつらにとって、実習生なんてただの年中行事なんだから、スルーしてくれればよろし。絆とかいらない。先生も「まあ、コミュニケーション取っても取らなくてもご自由に」という超放任主義なので、お言葉に甘えることにしよう。うしうし。


 海洋堂のこと。

 順調にかぶりつつ数が着々と増えていく。この増え方は半端じゃない。実習とかぶったのがよくなかった。まあ、現実逃避の買い物としては安いもんか。
 それにしても、右がヤマメ、左がアマゴ(写真参照)。赤い点々があるかなきかの違い。いくらなんでも手を抜きすぎじゃないかなぁ、とおもうのだが。
 関係ないけど、ヤマメは山女、アマゴは天魚。魚とか鳥とかの漢字表記のとてつもない素敵さに気づくのもこのフィギュアシリーズの醍醐味だ(そうなのか?)。
 さて、かぶるものが増えてくると、個体差を楽しむという上級者の楽しみが生まれてきた。色塗った人のこととか考えてみる。同じもののはずなのに、微妙にお気に入りとそうでないのとがある。不思議である。ほんのちょっとの差なのだが。

ミッシェル

2005-06-13 00:26:45 | 日記
明日からいよいよはじまるよーあああー。
 教育実習なんて、はじまっちまえば怖くないんだろうか。2週間高校に行くなんて。まあ、トラウマ治療だとおもえば。

 相変わらず海洋堂。だんだんかぶる率が増えてきた。同じ鳥が三羽いる。ああ。
 あと、マジレンジャーも癒し系。いい、勇気があればなんでもできるらしいところがいい。わたしも勇気だけで就職してみたい。
 あとは、ビートルズのミッシェル。

ラブ☆海洋堂

2005-06-12 02:12:26 | 日記
 書店また一つ落ちる。
 書類落ちって、何がだめだったのかさっぱりわからん。同じような内容書いて落ちたり受かったり。まあ、どちらにしろ教育実習だだかぶりの採用日程きびしかったんだけども。でもなぁ。
 とめどない。

 そして、今日になって、教育実習の範囲が変更になる。ををぅ。現・古文ともに最初の一コマがカットされる。これで、最初10コマだった授業が6コマまで減ったぜ。というのはいいんだけども、最初の授業を削られたおかげで予習の大半がオジャンになった。オジャーン。マジ凹む。時間が短くなったから授業案も練り直さなければならない。アハハハハハ。なんだか意味がわからなくなってきた。首を、くくるなら、今だ……!

 そんなわたしの唯一の癒しは「南アルプスの天然水」についてくる海洋堂のフィギュア。森と清流をテーマにしてて、鳥の巣がテーマだった前回と違って鳥以外の動物もそろってる。とりあえず6個買った。ヤマセミ(ダンディな鳥、らしい)がかぶったけど、他はまあ順調に魚二匹、カッコウの雛(なぜよりによってこんなものをフィギュアにするだろう。自然界の厳しさに涙が出そうになるじゃないか)。手がラブリーなカワネズミ。今後も品切れになるまで買い続けるつもりである。トンボはなんか気持ち悪そうだから、出ないといいなぁ。なんとしてもほしいのがアオバズクだ。あのかわいらしさは犯罪的。カワセミのポーズは、なんかわざわざそんな瞬間を選んでフィギュアにしなくてもいいのに……というくらい躍動感にあふれていて、海洋堂の意地を感じる。ぜひほしい。あと、サワガニもほしい。わざわざ赤と青の二種類用意しているところがまた、海洋堂ってほんとうにバカなんじゃないの?(褒め言葉)と思わせてくれてよい。
 それにしても気づいたんだけど、どうも魚に弱い。あの曲線がたまらない。海洋堂は、もっと単純な形でつくれば楽だろうに、わざわざお魚さんに泳いでいるかのごとき曲線を描かせる。そこがなんかたまらなくいとおしい。お魚ラブ。そもそも、あんな平べったい生き物があんなちゃちなヒレの力だけですいすい泳いでいるという事実がもう、マイナスイオン・フォー・ミーだ(謎)。

マイナスイオンな彼

2005-06-11 03:04:06 | 日記
 やさしくなりたいし、やさしくされたい。

 今日、サークルの帰りにみんなで入った中華屋さんの、チャーハンが、これで700円かよ……! てくらいどうしようもないお粗末な代物で、まずいというわけではないのだけれども、味のしない、ただのにんじん混ぜご飯だった。こんな些細なことで「死ねー死ねー」と口走ってしまう最近のわたしなのだけど、相変わらずマイナスイオンを発生させまくっているM氏が、「じゃあ、オレの麻婆豆腐がきたらチャーハンの上にかけてあげますから、待ってなよ」と言ってくれた。で、本当に「ほーらよ」と麻婆豆腐をかけてくれた。なんか、出会った頃の彼からは想像できないくらいの丸みだ。信じられない。彼がこんなにわたしにやさしくしてくれるなんて。ずっと前は、とげとげの、ガラスのハートの持ち主だったのに。ガラスのようなハートの透明さはそのままに、やわらかさとマイナスイオンを身につけた彼は、本当にもうどうしようもないくらい、わたし(と、わたしとM氏とのやりとりを横で聞いていた友人)を癒してしまう。それも、押し付けがましくない、あからさまじゃないところがいい。やさしさ、ともまた少し違うのだ。彼の場合。単純に、性質なのだとおもう。
 しかも、麻婆豆腐かけたらものすごく美味しかったし。なんだかとてもいい気分。しあわせな気分。