ドーナツ畑の風に吹かれて

おかわり自由のコーヒーを飲みながら、廻る季節をながめて、おもったこと。

読む作家が偏っている。

2005-06-27 16:14:41 | 読書三昧
 実習中少し本を読んだ。
 実習終わったらヒマぽみんだ。バイトもそろそろしなければならない。

「いつか王子駅で」堀江敏幸
 都電荒川線沿線に住みたい。堀江先生はやはり、日本を舞台にしたお話が素敵すぎる。特にどうてことない日常のお話なのになぁ、ああ、言葉が一つ一つ素敵だ。この適度な温度も。誰かわたしのお墓に入れて。

「檸檬のころ」豊島ミホ
 高校生話、短編集。この檸檬的な読後感は豊島さんの本すべてに共通する。一つ一つの文章はかなり口語チックで、それほど好きというわけでもないのになぁ、いいなぁ。
 ちなみにこれは大学生協で買ったサイン本なわけで。

「泣かない女はいない」長嶋有
 この人はあいかわらず女主人公を書くのがうまい。男性作家では一番なのではないか。テンション低い感じも好み。生活というものは、実際、テンション低いものなんじゃないのかな。テンション高くなる瞬間なんてほんの一瞬で、それを切り取るのもすばらしいが、それ以外の部分を救い上げるのもまたすばらしいというわけだ。

「ホテルカクタス」江國香織
 実はずっと前から持ってたのに、読んでなかった。完璧にタイミングを逸していた。
 絵本的なお話。大人のメルヘン、と紹介されているけれども、まあ、そんな感じ。登場人物が帽子ときゅうりと数字の2。違和感なく読めるのがすごいな。いい話だとおもった。とても。
 寓話の力、というものに、圧倒されることが、最近とても多い。

「空中庭園」角田光代
 家族それぞれの視点で書いた連作短編集。
 舞台になっている町の描写が好きだ。田んぼと空。空が広そうなところはとても好き。小説の中であっても。トラウマが過剰に書かれすぎている小説が最近苦手で、これはギリギリの線だったな。それにしてもうまいので最後まで一気に読めたけれども。

実習おしまい

2005-06-27 01:03:10 | 日記
 言葉より事実の積み重ねが大事、というのが昨日のわたしの名言だそうだ。
 しかし、名言というのは、多分受け取る側の問題なんだとおもう。この言葉を名言だとおもうだけの理由が聞く側にあるってことだろうよ。一ヶ月前の彼ならこんな言葉、聞き流してたのではなかろうか。こんなことで夜中に電話かけて相談してくるなんて、多分付き合って3ヶ月まで、だとおもうよ、とはもちろん本人には言わないけど、まあ、なるべく 幸せが長続きするといいね。お祈り申し上げる。
 そのさらに前の日、実習の打ち上げで高校時代からの男友達と恋人と過ごす日々についてのトークをしたばかりだったから、なんだかとても思ったのだけど、彼女を大事にしてる男の子の話を聞くと安心する。自分のことではないわけだけど、自分とこもこんな感じでとても大丈夫なのではないかと思えてくるからだ。根拠なくてもいいから、安心したいとおもう。

 そうそう、教育実習が終わった。最終日の現代文の授業は、どうしようもなくなって、好き勝手させてもらった。前二回で扱った小説のキャッチコピーをつけてもらうというもの。クラス全員分読み上げたら、なんかけっこうおもしろがってたので、まあとにかく楽しんでもらえたのならいいや、とおもう。現代文というやつは、他教科と違って、教師の思想というか、人間性がもろ反映されてしまうのでおそろしい。どうとでもできるから、どうすればいいのかとても悩む。教えなければいけないことが厳密でないのでね。やり方はきっと人それぞれ。わたしなりに、何かを生徒に残せていたらよいのだが。
 今回担当したクラスでは最後にアンケートを書いてもらったわけだけど、みんなそこそこいいことばかり書いてくれる。まあ、悪いことは書きづらいであろう。それにしても嬉しい。これが教育実習マジック。これが嬉しくなって、教師になりたいなんておもっちまうんだ。実習期間中はあんなにつらかったくせに、生徒の言葉があたたかいと、なんだか、教師も悪くないっておもえてくる。おそろしい罠だ。でも、本当に今回は、生徒に救われたというか、生徒がいい子ばっかりだったから授業が成り立ったのだとおもう。まあ、逆に、大学受験のこととか気にしないでいいようなレベルだったら、逆にプレッシャーなくて好き勝手できたのかもしれないけれど、多分、授業を成り立たせるだけで一苦労だっただろう。それはいやだ。
 最終日は、授業が終わるとヒマで、他の実習生の授業をうろうろ見学したり、ヒマな時や眠い時にちょくちょく立ち寄っていた図書室に名残を惜しみに行ったりした。で、放課後には、実習とちょうど同じ期間に開催されていた、クラス対抗でのさまざまな競技を行う行事の最終戦である駅伝が行われ、実習生チームも参加するというので、応援に加わる。さらにその後にはバスケの優勝チーム対先生チームのエキシビジョンマッチ。で、閉会式。現役時代、きちんとこれらに参加した記憶はあまりないのだけれど、実習生という立場はとても気楽で、気負わずこれらの行事を楽しめた。学校に、クラスに、溶け込めなかった現役時代のことを思えば、なんて安らかなことなのだろう。
 当初、生徒とコミュニケーションとることはあきらめてたのだけれども、クラスの女の子たちとは普通にしゃべるようになったし、演劇部の子らとはかなりいろんな話をするようになった。公演に来てくださいって、メルアドまで教えてくれたし。授業もなんだかんだで楽しんでくれたようで、嬉しい。もしかしたら教師って向いてるんじゃないのかなんて、本気でちらりと考えてしまったほどだ。

 トラウマ払拭が、実習の隠れたテーマだった。実習という形で集った、かつて同じ場所で学んだ人たち。当時から仲が良かった人もいれば、存在すら知らなかった人もいた。同じ実習生という肩書きを得て、みんなと普通にしゃべれるのが、嬉しかった。在学中は、「普通の」人たちがこわかった。自分がみんなと同じように出来ないという劣等感があったから。今だってまだ残ってはいるけれど、でも、それが自分だけが気にしていることで、みんなは普通に話しかけてくれるのだということがわかった。それだけでも十分だった。そして、高校生たちを教師という立場で見ることで、当時の自分を相対化できるようにもなった。なじめないなじめないとずっと思っていたけど、外から見たら、わたしも立派なN高生だったんだなぁ、とおもった。当時のことを思い出した。つらいことばっかり覚えていたけれども、楽しいこともたくさんあった。つらくも楽しくもない、普通のことが、一番大事な記憶なのだということも思い出した。やっと、高校生のわたしと、今のわたしがつながった。それはぜんぜん当たり前の、なんてことない事実だけど、わたしにとっては大事なことだ。
 やたらとつらくて、一週目の週末には激しく落ち込んで顔の形が変わっちゃうくらい泣きまくって、親にも迷惑かけたけど、実習にきた甲斐はあったとおもう。

 さて、実習も終わって、自分のこれからのこと、考えなきゃいけない。社会人を疑似体験したとも言えるわけだけど、自分には社会人無理なんじゃないかって考えるきっかけにもなっちゃって、まあ、困った。実習さぼってまで選考受けた会社もあっけなく落ちたし。そもそも持ち駒残りわずか。さあ、どうするどうする。
 のんびり生きていきたいなぁ。それ以外、それ以上に思うことなんてないのだ。