ドーナツ畑の風に吹かれて

おかわり自由のコーヒーを飲みながら、廻る季節をながめて、おもったこと。

30%

2008-06-26 00:56:00 | 日記
 高校卒業した時に、20%くらい失った。
 そしてついこの間、半分ごっそり持っていかれた。
 もう、わたしの中身は30%くらいしか残ってない感じ。

 なんだか、ひどく身軽。いっそすがすがしい。
 ほっとしてるのかもしれない。
 10年ぶりの、外の空気。
 軽くなったからだ。最適化の結果だとおもうことにする。
 あとはもう、気楽に生きていこう。残りの30%で。

二重生活。

2008-06-25 00:24:25 | 日記
 失恋をしたのは初めてだ。元彼というのもはじめてできた。

 失恋者にとって、この世は地雷原。どこもかしこも地雷だらけ。踏まずに歩くことができない。初めて知った。いきなり10年分の地雷原に突入したので、本当に足の踏み場がない。

 ニコ動で初音ミクの「ブラック★ロックシューター」と「つきうさぎ」と「届かなかった。。。」の無限ループから出られない。時期的に、これはわたしのための歌だと思うんだ。

 どんなに慎重に歩いても地雷をよけられないなら、いっそ走るのもいいかとおもうんだ。

 中学を卒業してから、わたしは二人いて、彼といっしょにいるわたしと、一人のわたし。一人のわたしは、高校でるんるん演劇やったり、大学でらんらん能を舞ったり。友達もいるし、仕事も一応毎日行ってる。
 彼といっしょにいたわたしが死んでも、もう一人のわたしは無傷で生きている。案外、普通に仕事に行けるし、職場の人とはよく笑ってしゃべるし、神のようなタイミングで何か月かぶりでメールをくれた友達とさっそく会う約束をしたし、こういうのを平気と呼んでいいのかよくわからないけど、少なくとも今日という日はそうやって生き延びたのだった。
 それでも、わたしが一人死んだことにかわりはない。
 よくわからない。自分の状態がよくわからない。
 致命傷を負ったわたしと、無傷のわたしは、どっちが本当ということもなく、ゆらゆら入れ替わり立ち替わり、している。

それでも呼吸をとめてはいけない。

2008-06-24 00:32:33 | 日記
 息を吸う。息を吐く。わたしはまだ生きている。

 終わったのでした。
 10年半続いた春が終わったのでした。
 わたしはお嫁にいかないことになりました。
 自分を奮い立たせてはいたけれど、実は、そんな予感はあったのでした。
 それでもわたしは夢を見たかった。10年半見ていた夢を、この目で現実のものとして、見たかった。
 でも、ダメだそうです。もう。だめなんだそうです。
 広島まで押しかけて、話をして、泣いて、抱かれて、ああ、だめなのか、と納得したのでした。
 好きかどうかわからなくなったと言う。嫌いじゃないよ、というのがギリギリ精一杯の優しさであるらしい。自分の気持ちに正直な彼は、それ以上のことが言えないらしい。いつかまたわたしと一緒になりたいとおもうようになるかもわからない。ただ今は一人でいたいのだ、と。待たせるのは申し訳ないし、かわいそうだから、別れることになっても仕方ない、と。

 待っている、とわたしは言いました。
 耐えられないだろうとおもったから。
 ずっと見てきた夢が、跡形もなく消えてしまったら、きっと耐えられないから、いつかまた気持ちが戻るかもしれないという、可能性にすがりついたのでした。

 でも、たぶんわたしは待てないだろうと思う。
 もともと、一人でいることを好む彼が、もう一度わたしといっしょになりたいなんて酔狂なことを思うことが、もしあるとしたって、相当先のことだろう。
 わたしは一人でいられない。だからわたしはたぶん待てない。別の誰かを探すだろう。見つかるかどうかは別にして。
 夢を見続けたい一方で、明日のことを考える。結婚しないのならば、このままこの街に住んで、仕事を続けて、一人で身を立てていくためには仕事を変えることも必要になるだろう、いつまでも親の脛をかじってこの家に居続けることもできないだろう。待つのをやめて、別の誰かを探すだろう。見つかるかもしれないし、見つからないかもしれない。
 考えることはいろいろある。現実を歩いて行くために。

 だけどそれらを考えたら、もう夢が見られない。それがこわい。

 ほんとうに、たいせつな、夢だったのです。
 迷ったり、不安があったり、愚痴ったり、いろいろだったけれど、でも、ほんとうにほんとうに、たいせつな、夢だったのです。
 手をはなすことがどうしてもできない。
 だって、待っていれば、もしかしたら、またあの夢が見られるかもしれない。戻ってくるかもしれない。だって、10年半ものあいだ、たいせつにあたため続けた、たいせつな、たいせつな、夢なのだから。

 しばらくは、ひとつの目で明日を見て、ひとつの目で昨日を見つめるように、生きていくことになりそうです。
 歩かなければいけない現実と、あってほしかった現実が、二重写しになって、めまいがするような、日々です。