昨日検診で、やっぱりのう腫はそこにあって、手術はまぬがれないだろうと。だったら一刻も早く大きな病院で検査して手術の段取りした方がいいから、明日行ってくださいって。急だな! そんなに悪いのか。ただ単に、おなかの中の人がどんどん育っちゃうから時間ないってだけなのか。先生にいろいろ聞けばよかったんだろうけど、検診の時はなんとなく言われたことにうんうんうなずくだけで、疑問というものがちっともわいてこなかったのだ。想像力が死んでたのだ。あとになっていろいろと、不安は出てくる。先生の言い方が歯切れが悪かったのは、本当は悪性の可能性が高いからなのか、とか。そもそも今回の妊娠は継続できるのかとか。
結局は、手術してみないとわからないってことなのだろうけれど。
とりあえず今日、言われた通りに大きな病院で検査なので、そこでいろいろ聞く努力をしよう。とにかく、おなかの中の人がちゃんと無事でいられるのかどうか、それだけは聞こう。
全部杞憂で、たくさん心配するようなことじゃないのかもしれない。でも、違うかもしれない。ネットで検索すれば、似たような例はいっぱい出てくる。わたしより重い人も軽い人もたくさん。でも、問題はわたしのことなのだ。どれだけ数が多くても、結局関係ないのだ。
世界が違って見えてくる。
余命を宣告されたわけでもないのに、大げさなものだ。
それだけ、わたしが普通に見てた世界ってのは脆弱なもんだったんだ。
昨日検査が決まったのが遅かったので、紹介状は書いてもらったし話も通してもらったけれど、予約は取ってない。朝から病院に行って並ぶしかない。どんだけ待つもんなんだろう。
夫が一緒に行ってくれる。夫はとても頼りになる。精神的にぶれないからだ。昨日は一緒にうどんを食べてくれた。
結局は、手術してみないとわからないってことなのだろうけれど。
とりあえず今日、言われた通りに大きな病院で検査なので、そこでいろいろ聞く努力をしよう。とにかく、おなかの中の人がちゃんと無事でいられるのかどうか、それだけは聞こう。
全部杞憂で、たくさん心配するようなことじゃないのかもしれない。でも、違うかもしれない。ネットで検索すれば、似たような例はいっぱい出てくる。わたしより重い人も軽い人もたくさん。でも、問題はわたしのことなのだ。どれだけ数が多くても、結局関係ないのだ。
世界が違って見えてくる。
余命を宣告されたわけでもないのに、大げさなものだ。
それだけ、わたしが普通に見てた世界ってのは脆弱なもんだったんだ。
昨日検査が決まったのが遅かったので、紹介状は書いてもらったし話も通してもらったけれど、予約は取ってない。朝から病院に行って並ぶしかない。どんだけ待つもんなんだろう。
夫が一緒に行ってくれる。夫はとても頼りになる。精神的にぶれないからだ。昨日は一緒にうどんを食べてくれた。
想像というか妄想?(わたしは)ってやっぱり経験を伴ってないから。
上手くかけませんが、しんどくても経験したことは考えようによって強みになる。
デリケートな話題だから書くかまよったけれど、まことちゃんがリラックスできる方向にいけたらいいって願ってます。赤さんにもいいと思うし。ちょっとだんなさんがいるってうらやましいって、独身の勝手な思い込みだよなあって思うんだけど(結婚せいかつのくろうとか、思いやりとか、わかんないから)思っちゃった。
私は無宗教だけれども、都合よくお祈りしています。なんて。
いろんなこと考えるきっかけになったのはよかったかもしれません。
だんなさんは優しすぎて神のようです。