ドーナツ畑の風に吹かれて

おかわり自由のコーヒーを飲みながら、廻る季節をながめて、おもったこと。

それにしてもうれしかったこと

2005-10-31 03:52:43 | 日記
 能のサークルで、先生に「君は仕舞がうまいねぇ」と褒められた。のがあまりに嬉しくて、金曜日の稽古のあと、週末はなんとなくほんわか幸せだった。自分ではちっともそんな風におもってなかったからびっくりしたけど、褒められるというのはとても嬉しいことだ。しかも、先生に、というのがとてもポイントだ。うれしい。それなりに、がんばってきてよかったな。11月中旬の発表会で引退だけれども、悔いの残らぬようにがんばりたい。能は、とても楽しかった。1年生の子達は、まだ3年半も能ができるのかとおもうと、うらやましい。社会人になっても、能にかわる趣味を持っていたいものだが、どうだろうなぁ。
 能は、もちろんおもしろかったが、結局は人とコミュニケーションとりたいのだとおもう。サークルにい続けた一番の理由は、そこにいけば誰かに会えるから、だ。人は苦手だけど、一人はさびしい。なんてーことだ。どうしたら幸せになれるんだ。と、ブログにはまる主婦を特集するテレビ番組を見ながらおもっていた。多分、社会人になっても、主婦になっても、おばあちゃんになっても、この気持ちにかわりはないのだろう。

参宮橋賛歌。

2005-10-28 02:52:36 | 日記
 価値とは信じることだ。
 わたしの中で、言葉の価値が日々低下していく。じゃあ何を信じて生きていくのだろう。


 小学校のクラス会があるらしい。一学年一クラスしかなかったから同期会でもある。私立の人以外は中学もみんな一緒。だから割と思い出が濃い。
 いじめとまではいかないが、それなりに迫害をうけた記憶がある。ヲタ的な人間には人権がなかったのである。まあ、友達がいたので、そんなに深刻じゃなかった。それが当たり前で日常だった。わたしの中の卑屈の芽は、このあたりからニョキニョキと確実に育っていたのだ。だので、会うのがちょっとこわい人もいる。けど、さすがに小学校は10年前だ、年月の浄化作用を信じてもいいだろう。みんなが今なにしてるのか、という好奇心に勝てない。

 で、なつかしーなーとおもっていたら、今日は駅でまったく偶然ばったり高校の友達に会った。会うのは教育実習以来。うひゃーひさしぶりー超奇遇ーなどと言い合う。またみんなで集りたいねーむしろ集めてよーなんて。高校は小・中学校以上にトラウマの温床みたいなところだったけど、実習に行ってだいぶ漂白された感じがする。もうこうなったらとことん傷口をえぐってみたい気もする。社会人になるという一区切りの前に。こんなに懐かしいことが一気に起こるなんて、なんらかの神様のおぼしめしなのではないか、なんて。
 いつまでも人間怖がってたってしょうがないよ、とか。
 それにしても、離れてみると、つくづく学校というのは異常な場所だよなぁ(大学は、なんかちょっと違うけれど)。あんな狭い場所にあんな人数が毎日毎日通い続けていたなんて、なんか密度が濃すぎて今なら絶対耐えられそうにない。元気なうちに通っといてよかった。


 少し前のことになるけれど、月曜日に父と母と三人で代々木公園に行った。秋晴れで、まったくピクニック日和だった。芝生のすぐそこが噴水、というロケーションがえらく気に入って、そこでひるごはんを食べることにした。オリジン弁当参宮橋駅前店で好きなおかずをごっそり買い込んで、噴水のそばに新聞紙をひいて、マイナスイオンを感じながらごはんを食べるのは、おもった以上にエンターテイメントで楽しかった。食べ終わってから、しばらくぼーっとそこにすわっていた(父は寝転んでいた)。われらと噴水の間にはバカップルが座り込んでいて、ものすごい勢いでイチャイチャしており、母は「死ねばいいのにー」と言った。犬がたくさん通りかかった。大きいのも小さいのも。
 なんてすてきな家族の時間だろうね。空は完璧に近いくらいきれい。東京に空がないというのは間違いで、東京だからこそ空は貴重で、なんかすばらしいのだ。
 おばあちゃんが死んでから、いつか家族はばらばらになるのだというおごそかな変えようのない事実が胸のどこかにいつもあるから、家族でいるということが当たり前じゃなくてすごくいいことなんだと、なんかしみじみおもってしまったことだよ。ほんとうに。
 それにしても参宮橋はすてきなところだ。休日に当たり前のように公園で本が読めるだろうし、閑静な住宅街で見上げれば間近に高層ビルって、なんだかテンションの上がる立地だ。わたしはうさぎを追う山でも小鮒を釣る川でもなく、高層ビルにこそふるさと感を感じる子だから、これはなんだかとても落ち着くことなのだ。いつか住処にしたいのう。いかにも家賃高そうだけども。

ひきょうもの

2005-10-22 03:15:07 | 日記
 ひきょうものは嫌いだ。
 わたしが出来ないことに手を出さないで、小さくまとまった人生を送ることを心がけているのは、その他もろもろのこともすべて、ひきょうものになりたくないからそうしているのである。そういう生き方している時点ですでにひきょうものではないか、と考える向きもあるだろうが、そうじゃない。本当のひきょうものは、もはやひきょうものと呼ぶことすら相手に許さないほど、徹底しているのだ。理不尽はだいっ嫌いだ。ひきょうものは、理不尽だ。だから、わたしはひきょうものにはならない。せめて、他人に指差されて面と向かって「ひきょうもの!」呼ばわりされる程度ではありたいとおもう。本物のひきょうものは、わたしが「ひきょうもの」と叫んだ瞬間にわたしの方がひきょうもの扱いされてしまうというような、説明しがたいがそんな力を持っている。そんな力でわたしをねじふせる。そんなものにはなりたくない。
 でも、結局わたしだって選んだこの生き方で日々人を傷つけているのだから、ひきょうものと同罪なのかもしれない。とおもうとむなしい。むなしいが、でもこれだけはゆずれない。わたしは絶対にひきょうものにだけはならない。

 ひきょうもの、の中にはうそつきとか外見だけ取り繕う人とか都合が悪いことを無視する人とかがいる。
 本当のことを言わない人が一番ひきょうだ。だって太刀打ちのしようがないじゃないか。本当のことを言わないのだから。
 ひきょうものに勝つにはどうしたらいいんだろう。でも、どうやってもいつも負けてしまうのだ。もういやだ。くるしい。水の中で息ができないようだ。

水辺のこと

2005-10-18 01:50:10 | 日記
 ほんとうにNHKはたまーにおもしろい番組やってるなぁ。ぼーっと自然やら動物やらながめられる番組好きだから、そういうのやってるととても嬉しい。NHKは民放と違って過剰なナレーションとか効果音入れないで、素朴ーな感じがするから好き。もうずっと動物番組やってくれればいいとおもう。
 今日見ていたのは、どっかの地方の、昔ながらの風情のお残る町で、人と自然とが共存しているさまを描いた番組。調べたら「里山 命めぐる水辺」だって。家の傍をきれいな水の水路がちょろちょろ流れていて、中にはかわいいハゼの仲間が泳いでたりする。あとは、トンボとか白くてくちばし長い鳥とか。
 ポイントは水だな。きれいな水があればそれだけでテンションあがるってものよ。あったかいうちにもっと水辺遊び(といっても水に入って遊ぶわけではないけど)をすればよかったなぁ。川とか遊びに行きたかったなぁ。まあ、冬の海なども楽しいけれど。

 どうもゼミ発表おわってからすっかり安心しきってしまって、遊ぶことばっかり考えているけれど、卒論なー。

クレしんの映画はなんでこんなに出来がよいのだか。

2005-10-17 02:17:41 | 日記
 不安を手なずけるのはだいぶ得意になったが、根本的に解消することができないので、きっかけさえあればあふれる。でも、あふれたところで源泉は健在だから、あんまり意味はない。その場だけでもすっきりする、ということすらない。なんか、こんな日はむなしいね。どれだけ泣いても、次の日の朝には、なかったことにされるんだ。わたしの想いはまったくの無駄なのだ。泣いても意味がないのだとおもうとさらに泣けてくるのだからダメスパイラルだ。

 すべて自意識の過剰が原因という気がする。周り中に手当たり次第に感じている劣等感はたぶん裏返せばどこかで卑屈な優越感につながっているし。怖がるのは本当は傍に寄りたいからだし、好かれたいから嫌うのだ。人との距離感がつかめん。外に出るのはやはりこわい。意味のないことのようにもおもわれるし。ベッドの上から一歩も出ずに一日過ごすことと、外を動き回り人と会ったりしゃべったりすることに、どれだけの差があるのだか。誰かと一緒にいたいんだけど、人間には軽く絶望している。

 クレヨンしんちゃんの映画は無駄に出来がいいなぁ。ドラえもんとかルパンもこれくらいクオリティ高ければいいのに。来年のドラえもん映画、見るのこわいなぁ。あの声に耐えられるだろうか。大問題だ。その頃にはわたしも社会人か。おお。

でぶしょー。

2005-10-13 02:22:47 | 日記
 天気のよい日は。広めの芝生があるところに座り込んで、低い目線で、広い空を感じながら、本を読む。ということだけが、家にいるよりも良い時間の使い方だと思っているようだ、自分。なので、芝生のあてがないと、外出しないで家の窓辺でごろごろしながら日光浴みたいなことをする。至福。必要以上に人目というものを怖がるから、下手に外出するよりも家の中の方が安全だし、安心だし、よいのである。と、思っている自分に気がつきつつある。うう。外出きらい。極端な子だなぁ。

 そんなわたしだが、積極的に外出してでも会いたい友達がこの世に幾人か存在する。今日はそのうちの一人に会いに行った。M姫。プライベイトが落ち着いてからというもの、すっかりトゲが丸くなった彼女である。で、ついでに共通の地元の友人であるN君も呼び出してみた。運良くつかまった彼もまた、プライベイトが落ち着いてからすっかり神経質なところがまあるくなって、まったく、3人でいるのにこれほどおだやかな空気が流れたことがかつてあっただろうか。いや、ない。好きな人が自分のことを好きだと、安心するんだろーねー、というようなセリフがずっと昔のドラマであったけれど、たしかにそうなんだとおもう。あとは、歳かな。大人になるっていうのは、いいことだね。わたしは、幼さにはあこがれるが、若さにはあんまりこだわりがないのであった(でも、お肌は曲がらないでほしい)。


だめ基準。

2005-10-12 01:57:35 | 日記
 だめ人間だった。
 原因は不明。わたしはきっかけなんてなくても、いつだってだめ人間なのだ。

 今日の行動といえば、焼いてもらってたアドベントチルドレンをやっと見たことと、お風呂でずっとほったらかしてた太宰の文庫本読んだこと。お風呂読書は案外楽しいことを発見したのはやや収穫か。あと、ロンドンハーツのスペシャルみた。青木さやかがほぼパリコレにいたる道。彼女は一般女性の希望の星のような気がする。写真集編に引き続きとてもおもしろかった。
 家からは一歩もでてない。着替えてもいない。

 逆に、建設的な一日ってなんなのと考えるととてもこまるけれど……。

森の精のおすまい。

2005-10-08 03:48:48 | 日記
 木曜日にゼミ発表で、卒論どんくらい進んでるんだい? 的な空気だったので、がんばらねばならなかった。夏休み明けなのにコレダケナノカナー? と言われてしまってもいやだったので。三日間くらいがんばった。前日は2時間睡眠でがんばった。がんばったら、40枚(原稿用紙換算)くらい書けてしまった。(※卒論は80枚)
 発表もなんだかいい感じで終了し、よかった。がんばってみたら、やっと自分が論点にしたいところが見えてきた感。がんばることはいいことだ。しかし、やっぱり直前にしかがんばれない。これから卒論の締め切りに向けて、せめてもうちょっと前々からがんばりたい気がする。それにしても、人間って案外枚数書けるもんだな。

 で、発表がんばったご褒美に、チュタヤで菅野よう子のCDを死ぬほど借りる(予定だったけど予算の都合で、死なない程度しか借りれなかった)。今まで、好きだ好きだと言いながら見たことある作品のサントラしか手を出してこなかったので、ここらでいろいろ手を広げてみようとおもったのだった。
 とりあえずアルジュナというような作品のサントラを聞いて、絶句する。すげー、すげぇよ……! 菅野パワー全開だよ……! つくづくわたしは菅野よう子の世界が好きらしい。これは多分、わたしがずっと行きたいと思っている世界にそっくりなのだ。

 そんな音楽たちをアイポッドシャホーに詰め込んで、シャッフルしないで聞いている。今わたしのシャホーの中身は、菅野よう子とビル・エヴァンスと山崎まさよしとMr.children。節操がない。


 今日は昼間空き時間があったので、大学のなんとか庭園というところでくつろぐ。いい感じに芝生があって、大学生がそこここでごろごろ寝っころがってて、木が適度ににょきにょき茂ってて、その外側に建物がにょきにょき生えている。空中庭園にいるみたいな気分になるので気に入っている。芝生に座り込んで、おやつのドーナッツをもぐもぐしながら、今日ここで読むために買った文庫本をひらき、アイポッドシャホーを再生したら流れてきたのがエスカフローネのサントラ(もちろん菅野よう子)。なんだかこののどかさと、ドーナッツの甘さと、一人気ままに文庫本を読むというシチュエーションと、主張しすぎないのにきちんと雰囲気作りという仕事を果たしてくれる(なにせサントラだから)音楽が、あんまりにも溶け合っているものだから、生きてて良かったとちょっとおもってしまった。世界がやさしい。ただ、雲の隙間から時折洩れる日差しがちょっと強烈だった。今、秋だよな? てな感じに。まあ、むしろほほえましいけど。
 こんな時間のためにわたしはこれからも生きていくんだよ、きっと。



 おまけ。ゼミ発表の準備でテンぱっていたわたしが、あとで日記に貼ろうとおもってコピペしておいたニュース。
 愛地球博名物の生き物、モリゾーとキッコロが瀬戸市に住民登録したらしい。で、

 住所は市内の「海上(かいしょ)の森2005番地」で、万博会場から閉幕日の9月25日に転居したという設定。世帯主のモリゾーの生年月日は「ずっと昔」で、「森全体が家族」という。 

 これはいいメルヘンだ! とおもわずコピペってしまった。だって、ずっと昔……!
 お役所仕事の割にはかなりいい味出してる。こんな感じでいろいろやってくれたら、日本はかなりいい感じのファンシー大国になれるのになー。

乙女心よん、秋の空。

2005-10-04 01:45:45 | 日記
 今日は内定式。とはいえ、参加人数5名という大変こじんまりなしろもの。しゃっちょさんのお話きいて、えらい人たちとご飯食べて終了。
 会食は、ホテルの高そうな中華やさん。こんな美味しいご飯はひさしぶりに食べた! そして、えらい人たちがとてもフランクだ! いい会社に入ったなぁ、とおもった。入社して店舗に配属されたら、こんなにえらい人たちと会う機会はもうないであろうなぁ。
 サークルで、えらい能楽師の人とかえらいOBの人たちと触れ合った経験が何気に生かされたよ。おもに度胸とか。


 街で偶然ばったり会った友達が、マジメに結婚するかもしれないという話。デキ婚全盛の今、婚約という言葉はなんだかかえって素敵だ、とおもう。イイナァ。
 まあ、今のわたしはとりあえず社会人(の財力)に対して夢いっぱいなんだけどもな。美容にお金使ったり服にお金使ったり映画にお金使ったり本にお金使ったりCDにお金使ったりインテリアにお金使ったりオーディオにお金つかったりしたいであーる。夢は膨らむ一方であーる。

 佐伯チズの文庫本買ってしまった。乙女心。

感謝祭を見ている場合ではなかった。

2005-10-02 03:24:02 | 日記
 睡眠に逃げるのはとてもいくない。
 でも、今日みたいな透明でとても気持ちのいい晴れの日には、窓からたっぷり差し込む光を存分に味わいつつもこもこおふとんでお昼寝をするのがベストだとおもうのだ! もちろんお散歩日和だともおもうけど、究極の贅沢はお昼寝だとおもう。うむ。だからといって、4時間は寝すぎだった。
 いやなことがあると、寝る方向に走りがち。やらなきゃいけないことがなければ、睡眠なんてしないで、おでかけしたり読書したり、積極的に活動するくせに。やらなきゃならないことがあると、やりたいことまで活動停止するのがなんとも人生の無駄遣い。やめようよ。もう大人なんだから、と何度言い聞かせたことか。わたしには、学習能力が、たりない。
 追い詰められて、徹夜するぞーと思い、テレビつけてみたら山崎まさよしがメガネかけてたので、ちょっと元気が出た。