ドーナツ畑の風に吹かれて

おかわり自由のコーヒーを飲みながら、廻る季節をながめて、おもったこと。

おそろしいひび。

2007-01-26 00:54:39 | 日記
 ちかごろポチポチ文章を書いているけれど、どう考えてもおもしろくない。学生時代から威力がほぼ半減、と思う。もとからたいしたものを書いていたともおもってないが、それにしても、なにかがごっそり抜け落ちているような、そんなすかすかな文章しか書けないのである。日記にしても、前の日記の方がまだおもしろかったような気がする。そもそも、昔の方が書くのが楽しかった。決定的な違いがある。これはなんだろう。あきらかに、社会人になったあたりを境目としてこの変化は起きている。無味乾燥とでもいおうか、ハリとかツヤとかウルオイとかお肌にとって大事っぽいものが文章から失われるとこうなる、という見本のような。
 青春という潤いが消失したのだろうか。
 そう考えるとなんだかお寒い。わたしの青春は本当の意味で終わりを迎えたという意味か。二十代半ばを見ずして。かわりになにかを得たわけでもなく。この空転し続ける毎日にわたしは置き去りにされたというのか。まったく、迷子のような、捨て子のような、途方に暮れた気持ちを味わっている。
 しかし、まったく嘆いてもしようのない話で、よくよく考えてみれば精神を楽な方楽な方へ持っていこう常に考え続けた結果、青春というもっとも精神にとって厄介な代物を脱ぎ捨てるに至ったとも言えるわけで、そしたらすべてわたしの責任なのであった。ないならないでさびしい。それは厄介ものの常である。青春に耐えられない軟弱な精神を嘆きつつ、それでも何か大事なものに去られたあとの抜け殻のような自分で生きていかねばならぬ。抜け殻にしか書けぬものがあるはずだ、とせめても自分を慰める。書くことを取り除いたら、本当に、どうしようもない日々であるという危惧が徐々にメラメラと現実味を帯び存在感を持ちつつある。せめて今自分に出来ること、今自分だけにできることを見失わないようにしたいものだ。月日の流れがだんだん早くなっていく。なんとか、取り残さないように、取りこぼしがないように、老いたいものだ。