ドーナツ畑の風に吹かれて

おかわり自由のコーヒーを飲みながら、廻る季節をながめて、おもったこと。

いい日だってあるのを知っている。

2006-06-24 01:19:08 | 日記
 昨日さんざん書いたおかげか、今日はなぜだかそんなに悪い気分じゃなかった。書くのはよいことだね。特にわたしにとっては。言葉を取り戻そう。ちょっとずつ。言葉をなくした、と感じてからずいぶん経つ。どう考えてもわたしにとってそれは不自然な、不健康な状態なんだよ。だから、ちょっとずつでいいから、言葉を取り戻すリハビリをしよう。具体的にそれがなんなのかうまく説明できないけど、でも、大事なこと。とても大事な。

 仕事は定められたとおりにそつなくこなし、サッカーの話などをし、(朝早めに起きて、テレビをつけたら、ちょうど日本がブラジルに二点目を食らった。なんてひどい。二度寝した)、あっという間にお仕事はおしまい。金曜日だからサークルに顔を出す。サークルとか、仕事以外の人間関係に自分を放り込むと、自分の価値の尺度は仕事場にあるだけじゃないんだ、という当たり前のことを思い出せる。本当の自分、というものがもしあるとして、少なくとも仕事してる自分だけがそれではないのだ、とおもう。まあ、本当という概念は極めて怪しいと思っているんだけれども。
 仕事場で発見即ゲットした「ビジョメガネ2」を持参してサークルに行ったらちょっと人気者。こんなわたしを受け入れてくれるというのは、なんだかもうすばらしい。こういうネタを躊躇せず実行できる環境。なんて生き易いんだー。
 明日も雑誌番で朝が早いというのに、すっかりいい気分になって遅くまでサークルに居残り、帰ると23時近く。でも、お母さんとの電話は欠かさない。ちょっと連絡をさぼってたら、なんだか心配? というか、生存確認のメールくらいはしなさいと言われた。そうしないと、父が2、3日に一度「そういえば、あっちは順調なのか」と気にするらしい。一人暮らしとはいえ近くに住んでるんだし、別にいいかなーとおもってメールしなかったりしているんだけども、案外心配してるんだなー、まるで普通の親みたい、とちょっと新鮮な気持ちに。別に何か深い理由があって連絡しないわけじゃない。特に何のわだかまりもない、ごく普通の家族である。だからこそ油断するというか、心配とか特にする必要もないような気がしていたのだけど。やっぱ親は親なのだな。ちょっと嬉しい。
 人とのつながりを回復した一日、というような感じ。ちょっと嬉しい。ほら、生きているのは別にいやなことばかりというわけでもないじゃないか、なんて、思わなくもない。うん、別に積極的にイヤというわけじゃないんだ。消極的にイヤなだけでさ。
 とりあえず、明日も仕事でウツだー、という感じはしない。いいことだね。ちょっと時間が遅くなっちゃったけど、なるべく早く寝て明日に備えよう。

もはやまとめることもできないですが。

2006-06-23 00:33:16 | 日記
 熱いコーヒーさえ飲めば大丈夫、というだましだまし。とにかくコーヒーを流し込む。あと、お菓子を食べる。今日は一食+たくさんのお菓子というどうしようもない食生活に。だめやん。
 休みの日が楽しくなくなってきてしまった。休みの前の日は、次の日仕事に行かなくていいからいい気分なのだけど、休みの日目が覚めた瞬間に「ああ、明日はどうせ仕事だ」とおもう。そんな気分を前倒しにしてもちっともいいことないのに。
 言っちゃってもいいかな? 言っちゃってもいいかな?

 にんげんやめたい

 楽しみとか生きがいとかよくわからないよ。くるしい。なにを目当てに毎日がんばればいいんだ。
 休みの日にどこにもいけない、いきたくない、目を閉じて夢の中にいるのが一番気持ちが落ち着くというのは、どうだい。どうなんだい。
 家でだらだらとネットする。見るとこなくなって自分の昔の日記見たりする。すると、1年前のまだ就職決まってないわたしが「耳すま」見たり「ロンバケ」見たりしている。生きてるってナンダロ? みたいなこと書いている。わたしだ……! これはまぎれもなくわたしだ……!

 途方もない。
 月曜の朝に中央線に飛び込む気持ちも、逆方向の電車に飛び乗りたい気持ちも、痛いほどわかる。前はそういう風には思わなかった。これだな、これだったのだな、世間の人が言っていること。
 そうそう、結局わたしが思っている程度のことは世間の半分くらいの人がおもってるんじゃないかという非常に凡庸なことで、なんかもう人様に言うのが恥ずかしいくらいなので、どうしたらいいでしょうね? 穴でも掘って叫ぶか。
 仕事がイヤなわけではないのだけどな。それ以前だ。誰かのせいにできたら楽だったろうに。自分がいやな場合、自分を自分から排除すればいいのか? それ難しそうだな。
 現実逃避の願望が、本の世界とか、映画館に、わたしを駆り立てる。あるいは夢の中に。一番打ちのめされるのは、そこから現実に持ってきたときの絶望感。薄く引き延ばされた雲のような、無害といえば無害な、当たり前で手が届かずどうしようもない、そういう感じの世界。

掬う一言。

2006-06-16 01:11:45 | 日記
 昨日、わたしが今の店に配属になる一日前に入ったバイトの人に、「なんか疲れてない?」と言われた。1コ上と年が近く、店に入った日も近いその人のことを、わたしはひそかに「心の同期」として頼りにしていたのだけど、その人からそんなこと言われてちょっと嬉しかった。
 彼は一年前に一度、某カフェに就職して、お店で唯一の社員としてアルバイト教育とかしていたらしい。だから新入社員として配属されてきたわたくしの様子に、思うところがあったようだ。「だって、この店の社員さんはみんななんというか……クールじゃない? で、新入社員は仕事ができないのが当たり前みたいな扱いされてるから、かわいそうだなーと思って見てたんだよ」とその人は言う。まあ、アルバイトさんに対してあからさまに弱音を吐くのもあれなので、「そうなんですよねー。今雑誌担当だけど、日曜日とか仕事ないから店内うろうろしてるしかなくてー」と笑い混じりに言ってみた。そしたら、「そうだよね、大丈夫かなって思って見てた。これじゃあ自信なくしちゃうよねぇ。社員教育がうまくないんじゃないかってちょっと思った」

 なんだ、この人。神か。

 と、一瞬ポカーンとなった。
 そもそも新しい環境に慣れるのは苦手だから、入店から二ヶ月経った今も微妙に社員さんにはなじめず、アルバイトさんとは仕事が違ってそんなにたくさん接点のないわたしが、唯一気軽にしゃべれるのはこの人で、この人とだけは冗談言い合ったりとか、なんというか普通にしゃべれるのでとてもありがたいと思っていたんだけれども、それも彼なりに気を使ってくれてたらしい。「だって、仕事は楽しくなきゃだめってのが僕の考えだから」

 神、か?

 まったく彼の察しの通りというか、なんというかで、本当にびっくりしちゃったよ。わたしなんかよりこの人がうちの会社の社員になったほうがよいのではないか? ないか? 
 疲れてたのは単に翌日15日発売の雑誌が多くて準備が大変だったとか、そういう物理的な理由もあったんだけど。正直昨日はやばかった。折れそうだった。ぽきっと。そういう気分の時にはささいなミスを連発してしまうし、そんな自分にまた自己嫌悪が重なって、ポキポキになりそうになる。そんな折れそうな心を、救ってもらった気がした。わたしの今の状況を、ちょっとかわいそうだなと思ってみてくれている人がいるというだけで、なんか一人ぼっちじゃない気持ちで、非常に楽チンになったよ。今までは、つらいと感じる自分がおかしいのかな、とおもってしまっていたから。
 「心の同期」から、「心の先輩」になった。むしろ「心の兄さん」。
 どうも、なにかあると周りが全部正しくて自分が全部間違ってるんだと思い、どうにかして周りに完璧に合わせてなじまなければならないと自分で自分を追い詰めて結果的に身動き取れなくなるという悪癖があるのだけど、もう少し物事を客観的に見れるようになったほうがいいんだろうな。だからといって周りのせいにするのは絶対によくないけど。そのバランス感覚というか、なんというか。外の誰かに一言かけてもらわないと目がひらけないなんて、まったく手間のかかる自分だ。

 自己嫌悪という言葉を久しぶりに使った気がするな。おもえば最近それの連続だった。

黄金の月

2006-06-06 00:43:08 | 日記
 水が見たかった。たくさんの水を見るとテンションがあがるから。休日とはそのようにあるべきだとおもったのだ。
 海かなー、川かなー。あんまり遠くに行くのもなー。と考えて、ドラマ「ロングバケーション」のロケ地に行くことにした。隅田川沿いはとても好きな場所。川面がなみなみと近くて、なんか水の力をたくさん感じられるから。
 10年前のドラマだというのに、いまだにわたしの中で影響力は甚大で、なんかそろそろ我慢しきれずにDVDボックス買ってしまいそうだよ。おおん。
 ロケ地は、建物がいろいろかわっててほとんど面影なかったけど、堤防がそのまんまだった。たいして期待してなかったので、感慨が。感慨が。
 その後、人形町を通りがかりに谷崎潤一郎生誕の地なんてのを発見しつつ、丸善で立ち読みをして、大手町から東西線で帰ってきた。お散歩はひさしぶりだったけど、やっぱ東京の東寄りは楽しいなぁ。土地の力が西側とは微妙に違う。道のまっすぐ加減とか。随所に由緒あるものがちりばめられてたり。地図をまったく見ずに歩いても地下鉄の駅に困らないあたりも散歩にとても適している。
 目的地を定めずに歩いていると、ふらふらっと緑に吸い寄せられる。公園とか、ちょっと大きめの街路樹とか、立派なお宅の庭とか。緑ってやっぱり生物にとって重要な力を秘めてるんだろうか。

 土曜日あたりから仕事に関して落ち込むことが多くて、自分の無力さ加減にほとんど絶望的な気持ちになって、土曜の夜はそれがピークで、もう明日仕事行くのやめようかとかまで考えてたけど、部屋暗くして好きなだけ好きなアニメ見たり、ご飯も食べずにひたすらコーヒー飲んだり、ちょっと泣いたりして、どうにか自分だけで体勢を立て直す。仕事への不安なんて、心持ちだけでどうにでもなるもの。だからこそ、心持ち次第でとても深刻な気持ちになってしまうから厄介ともいえるんだけど。今日はお気に入りの服を着て、お気に入りの靴を履いて、ひとりで気ままに好き勝手に歩き回って、これで明日もまたがんばれるだろうとおもったけど、ひとりの自由を休日に満喫しすぎると翌日の仕事がつらくなってしまうので手加減が難しい、というのが今日の教訓だったりする。平日にばらけて休みがあるわたしには、世間のみなさまにとっての「月曜日」が週に2回あるわけで。これをどう処するかはなかなか重要な問題だなーと思ったり。

 今日、とても久しぶりに月を見た。こっちに越してから多分ほとんど見てなかったとおもう。方角の問題なのだか、なんだか。緑も必要だけど、月も必要だなーなどと思ったり。もちろん、お日様もすごく必要。地下の職場で仕事してると、ありがたみが切実。
 スガシカオの「黄金の月」という曲の曲調が、わたしの中の「東京の夜」のイメージとぴったり一致している。おもわず何度も聞いてしまった。わたしがほしがっている自由のイメージとも微妙に隣接するようなしないような。この辺、自分が何を求めてるのかを正確にさぐるのって重要だよな。ちょっと考えてみよう。