ドーナツ畑の風に吹かれて

おかわり自由のコーヒーを飲みながら、廻る季節をながめて、おもったこと。

「蟲師」いろいろ購入決意。

2006-02-26 03:43:37 | 日記
 生理二日目にインフルエンザになった。なんかもう記録的な苦しみだった。高熱で体中痛いし、いつもの鎮痛剤が飲めないから生理痛は直撃だし。やっと立ち直ったら一週間が終わってた。激しく鬱。このようにしてわたしの学生最後の日々が消費されていく。ああ。
 熱は下がったけどまだ体力が戻ってないから一日だらだらしていたら、こんな時間になっても眠れないという。

 インフルエンザ前夜は中学の時の生徒会仲間で久々に大集合した。結婚間近のM姫を主賓とした楽しい飲み会。このメンバーは久しぶりに会ってもちっとも久しぶりという気がしない。みんなぜんぜんかわらない。この安心。
 二次会で、すでに社会人であるN氏に「人生のにんじんはありますか?」と問いかけてみる。とても高いところにきちんと目標を持っているN後輩はにんじんぶら下がりまくりの人生だろうけど。N氏もわたしと同じような感じでいるみたいでちょっと安心した。にんじん不在の人生。目標のない人生。はっきりいって、いつ終わっても困らない。眠って、そのまま目が覚めなくてもちっとも困らない。にんじんめがけて走ってるわけじゃなくて、世間体とかいろいろなものに背中押されるままに歩いてる人生。意志を持って前に進むのと、ただ後ろから押されるのとじゃ、人生の意義がぜんぜんちがうんだ。でも、今のわたしにはそれしか出来ない。
 でも、こうして昔の仲間と飲んだり、好きな本や映画に触れたり、楽しいことはいろいろある。生きていたくないわけじゃない。この感じ。自分だけじゃないとわかって、実はものすごくほっとしたかもしれない。

 新聞で、大橋歩がある本を紹介して、「暮らしが好きな女性におすすめ」と書いていた。暮らしって、好き嫌いの対象なんだー、と、ちょっと目からウロコ。たぶんその感じは、目標不在の人生の中でわたしがどうにか活路を見出そうとしているベクトルに似てる。日々そのものを目的化すること。暮らしを手段じゃなくて目的にすること。どこかへ向かって生きるのではなく、ただ毎日楽しみを積み上げていくこと。それは一人暮らしの動機でもあるんだけど。一生懸命考えて、やっとひねり出した人生の方針。しばらくはそんな感じで生きてみようとおもう。

 などとおもいつつ、インフルエンザの余韻でダルい一日をもてあまし、久しぶりに「耳をすませば」を見てみた。キタ。刺さった。心にな。ぐさっとな。泣くかとおもった。わたしにも、こんな時期が、確かに、あった。あの時の自分はいなくなったわけじゃなく、ちゃんと、奥の方に生きてる。と、おもった。


 ついに、「蟲師」のDVDをアマゾンで「ぽちっとな」してしまった。一人暮らしを始めるから、お金はきちんと使おうと決めたのに。でも、なぁ。毎週あまりにも楽しみすぎて呼吸困難になりそうなアニメだからな。ほしい。この勢いでサントラもほしい。その前に、アニメを一通り見たらコミックスを揃えなきゃ。あああ。カウボーイビバップ以来のはまり方をしているぜ。お金は苦しいけど。でも、どっぷりはまれるものがある時って幸せ。

「蟲師」の桜に見とれてしまう。

2006-02-17 01:52:58 | 日記
 春の新居(予定)は最初に入った不動産屋さんで紹介されたいっこめの物件。一応その後も他の不動産屋さんをうろちょろはしたけれど、基本的に即決。だって、図書館まで徒歩3分だったんだもん。駅歩は8分だけど。
 この感じは、あれに似ている。はじめて付き合った人とはや9年、という感じ。これといった不満はないんだけど、本当にこの人でいいのかしら本当はもっと他のところにいい人がいるんじゃないかしら、という感じ。基本的に本人に不満のないあたりが(いや、あるといえばたくさんあるんだけど)タチが悪い。それはつまりわたしに属している問題なのだ。
 初めての親友、初めての恋人、初めての部活動、初めてのアルバイト。初めてにはその後のトラウマ決定権があるとおもっている。から、この「初めての自分だけの部屋」がどんなトラウマをわたしに植え付けるのか、実は今からおっかなびっくりだったりする。わたしはどう転んでも傷つくし、それをいつまでもチクチク根に持つんだ。そんなの根に持たれる方は迷惑だろう。根に持つほうもつらいんだけどね、実際。

 昨日、2月とは思えないあたたかさで、ああ春がくるとおもった。春は、いろんなことをわたしに思い出させる。とくに、ひとりぼっちに関連するいろんなことを。春がはじまる予感がするゆるんだ空気には、孤独がいっとう似合うような気がして。
 今日は一日中電話がつながらず、またもトラウマのことばかり思い出して胃が痛くなるわたしだった。今日みたいな日こそ空気がゆるまるべきだったのに。いまだ痛くてねむれないのだ。涙のかわりに胃痛。始末が悪いのはどっちだろう。一言フォローの言葉がほしかった。9年間、そういう類の言葉は言ってもらえたためしがない。自分を弁護する言葉しかはかない男がひとり。

研修おしまい。

2006-02-11 00:57:52 | 日記
 巨大店舗の雑誌売り場という、考えうる限り最悪の混沌の中に放り込まれて2週間。今日ようやく研修がおわった。雑誌運びすぎて微妙にからだの節々が痛かったり(女性誌重すぎ)、手が切り傷だらけだったりするけど(雑誌書籍紙袋ダンボール等々、本屋は凶器でいっぱいだ。しかも紙でできた切り傷はすごく痛い)、自分の適応能力はそこそこだという確信は得られた。そこそこ。けっしてよくもないが、まあ悪くない。春からがんばろうとおもう。

 明日は不動産屋に行く。春から薄給と戦いながら一人暮らしの予定。