ドーナツ畑の風に吹かれて

おかわり自由のコーヒーを飲みながら、廻る季節をながめて、おもったこと。

大人だもの!

2007-12-26 00:05:16 | 日記
 考えてもー考えてもーどうしようもないことはー考えない。大人だもの。

 仕事場が超師走って超忙しいので、くだらないことを考えている場合じゃない。今週をどうにかきちんとのりきって、よい感じで年越しをしたいものだー。

急遽帰国決定って、ちょ。

2007-12-24 03:27:25 | 日記
 水曜は仕事休んで3日分くらい延々と寝続けてみたり、久しぶりに食べたり吐いたりのスパイラルに陥ったり、高校の友達たち(例の人たちは欠席)との忘年会では近年まれに見る酔っ払いとなってふらふらして、楽しければ楽しいほど悲しいという不思議な気分になったりした。師走は忙しい。よわっちい自分が疎ましい。精神が、なよなよだ。なかったことにしていたものの、フタが、一斉にはがされた。そしたらこうなった。

 結婚結婚言っているけれど、実は向こうの親とまだ一回も会った事がない。10年付き合ってて一度も。だって最初はそもそも内緒のお付き合いだったのだもの。わたしは日陰の身だったのだもの。そのときの気分をいまだに引きずっていて、いくら大丈夫と奴が言っても、土壇場で向こうの親に反対されて全部なかったことになるのではないかと恐れている。それでもまあ、今向こうの親は海外だし、問題は先延ばしにできそうだだって海外だもの仕方ないものとおもっていたところ、急遽帰国が決定したらしい。俺涙目。そこ避けて結婚とか言ってる場合じゃないのはわかっているけれど。理屈じゃないのだ。恐ろしい。10年かけて積み上げた人生最大のトラウマを、わかってほしい。わかってくれない人と結婚しようとしているわけだが。涙目。どうして、大して考えもせず、大丈夫だよとか言うんだ。考えてもみろよ。頼むから考えてくれ。

 いろんなとこからの波状攻撃で、すっかり胃がおかしくなっているです。誰もわかってくれないけれど、自分が大げさに騒いでいるだけだという自覚は正直あるけれど、あえて言いたい。
 わたしにとってはどっちも人生をねじまげる暴力のような出来事だったんだ。何年たっても立ち直れないんだ。立ち直りたい。もう考えるのをよしたい。安らかになりたい。人から同情してもらえるようなもんでもなし、拘泥するだけ自分が損なのだから。

おk。

2007-12-19 01:18:19 | 日記
 さすがに落ち着いた。おk、いつものわたしだ。
 火曜日の常として、ニコニコで「ひぐらし」と「ボーカロイドランキング」を見る。ボカランが一週間で一番の楽しみだ。先週まではハンター×ハンターだったけどなー……。
 おk、どう考えてもいつものわたしだ。

 今年は局の中の人だし、来年からの東京との連絡確保の意味もこめて、今年はちゃんと年賀状を書いたぜ。大人になると、年賀状もいいものだな。毎日教室で顔を合わすクラスメイトに書いてた頃は意味がよくわからなかったけれども。

俺は素面だ 酔ってるのは路面

2007-12-18 00:33:01 | 日記
 時差ボケというか、過去酔いというか、昨日の再会が尾を引いて、バランスがとれずにふらふらする。心の三半規管が弱い。午前中いっぱい、ぼぅっとしていた。いろんなことをうすぼんやりと思い出したりださなかったりした。
 しかし、あまりにも局がいそがしく、忙殺されている間に時間は元通り。最近のこなれたわたしに着地した。さすがに二度目なので心の準備ができている分大丈夫だったということか。心が図太くなったということか。いろいろなことをあきらめることを覚えた。きちんとあきらめたうえで具体策を講じるというやり方を覚えた。わたしは大人になった。つーかもう24才だ。あのころは、「なうあーいむせぶんてぃーん」と歌っていた。

 これは悲しい事実だが、多分再会は遅すぎた。
 わたしの心は柔軟性を失っている。すでに。
 わたしは人を信じない。わたしは自分が信じられない。それはもう、変わらないだろうとおもった。許されても、時が過ぎても。
 友人たちがとてもまぶしい。わたしは、なにもかもがこわくなってしまった。ただ、無事に人生を歩き終えることだけを願って、無難に無難に生きていこうとしている。こんな生き方は、彼女らにはつまらないものだろうとおもう。彼女らの口から語られるこれからの展望がかがやかしくて、涙が出そうだ。でも、もうこわくて、とてもじゃないけれどこれ以上ここにはいられない。わたしは彼女らと逆を向いて歩く。安心なほうへ、安全なほうへ。そこには多分、誰もいない。
 遠方にお嫁に行くことは、きっとカミサマの計らいなのだ。物理的に離れてしまったんだとおもえば、少しは心が楽になるだろう。心が離れたのだとおもうよりは。

5年後のわたしが思い出すための、再会の記録。

2007-12-17 01:36:14 | 日記
 永く会わない友人に、再会する。彼女の父親のお通夜で。
 おばあちゃんの時を思い出す。しかし、おばあちゃんの時と違って、彼女の父親はまだ若い。無念もさぞ多かろう。闘病生活は大変だったらしい。ご家族のご苦労もしのばれた。
 それはそれとして、再会をどのようにすればよいのか、わからないわたしは、なんだか思考がすっかり停止して、立っていた。高校時代からあこがれて大好きだった友人が、となりにいて話してくれたのに助けられた。
 言葉をかけようとおもっていたのに、お焼香の後、目が合った彼女が「ありがとう、きてくれてありがとう」と笑顔で言ってくれたのに、何もいえなかった。うなずくのが精一杯だった。だけど、彼女の笑顔にほっとして、わたしも笑っていたとおもう。
 憎まれているのか、すっぱり忘れられているのか、それともちょっとは気にかけてくれているのか、それすらわからなかった。そもそも何が起こってこうなったのか、わたしはちっとも把握していなかった。でも、きっとわたしが悪かったんだろうなとおもっていた。だから、会うのはこわかった。どうなってしまうのかわからなかった。知らない方が幸せだったって、あとで後悔するんじゃないか、とおそろしかった。でも、彼女は目が会ったとき、笑ってくれた。
 すべて終わるのを待つあいだ、他の友人たちとしゃべる。口もきいてくれない、目もあわせてくれない友人が一人。一体なにが悪かったのか、わからないということが一番悪いのだろう。なすすべがなかった。彼女は先に帰っていった。
 会話が上滑りするような、そもそも昔からこんな感じだったような。案外傍から聞いてたら普通だったかもしれない。近況報告。ぎこちないと感じてしまったのは、ずっとわたしだけ隔てられていたことに、わたしが勝手にこだわっていたせいだろう。みんなみたいに、本当は、卒業後の時間も共有したかったのだ。こんな風になりたいわけじゃなかった。でももう遅い。再会の機会が与えられただけでも御の字だ。
 最後に亡くなったお父さんのお顔を拝見させていただいた。とてもいい顔をしていた。きちんと戦い抜いた、満足した顔だと彼女は言った。
 彼女はわたしを抱きしめて、「ごめんね、ごめんね」と言ってくれた。その言葉に対しても、わたしは何も返せなかった。許されたのだろうか、わたしは。解釈がうまくできない。一体、なにがあって、わたしたちは、わたしは、何を考えていたのだっけ? そもそもそれすらわからなくなっていた。ただ、拒絶され隔てられていたこと悲しくて、ずいぶん傷ついて、ひねくれていた。永い間。
 でも、とにかく彼女はわたしに笑顔を見せてくれた。それは嬉しいことなのだろう、とそれだけは理解した。
 彼女はかわっていなかった。いいところも、悪いところも。少し話しただけですぐにわかった。わだかまりを、解消してくれようとしていることもわかった。少なくとも、積極的に嫌われてはいないみたいだった。
 今度また機会を作って話をしようと、それを言うのが精一杯だった。変わっていない彼女と再会して、「相棒って言ってたんだよ。一緒に演劇をやって、彼女が脚本を書いたんだよ」と彼氏に紹介してくれるのを聞いて、彼女に話したいことがたくさんあるのを思い出した。彼女にしか通じない事柄のいくつか。それをずっと飲み込んできた。全部聞いてほしかった。前のようにいろんなことを話せる間柄になりたいと、強くおもった。だけど、つとめて冷静になる。どんなに願っても前みたいにはならない。多くを望んじゃいけない。こうして、また話ができただけでも充分じゃないか。望みすぎたら、また失望する。きっと。一つの場面を通過したにすぎない。その場面にしかわたしは登場しない。彼女の日常に、もうわたしはいないのだ。
 それでも、あと一度でいいから、お嫁に行く前に、話をする機会がほしいなぁ。うわべだけの会話じゃなくて、高校の時のように、伝えたいことを、伝えたいだけ、話したい。それができなくなってどれくらい経つだろう? 話したいことがいっぱいあった。許されるなら。あと一度だけでも。そうしたら、心置きなく広島にお嫁にいける。
 彼女に会えなくてずっとさびしかったのだ。やっと気づいた。ずっと知ってたけど、でも今日、気づいた。

痛いはきもちいい。

2007-12-16 03:01:20 | 日記
 増殖する思い出に食われる。そういう夜。
 本や映画は、それを見たとき読んだときの記憶を含んでいく。地雷になって世の中に点在していく。思いがけず記憶がよみがえってうろたえる。

 遠すぎて、何がおこったのだったかよく思い出せないことがある。当時だって、理解できていなかったのだ、つまり。思い出しても詮無いことだ。だけどたくさん夢に見る。何パターンも夢に見る。
 後悔じゃないんだけどな。違う未来が、あったらよかったなぁ、とぼやく。その程度のことしかできない。
 詮無いことだ。詮無いことだ。
 詮無いことに思いをはせることは甘美だ。いつまでもいつまでも思い出していたい。思い出に溺れたい。それは小説を読むこと書くことに似ているね。

 川上弘美を読むとそんな気分。痛い、くるしい、それが気持ちいい。むかしは苦手だったのだけど、最近はそんな風におもうようになってきた。痛いはきもちいい。チクチク。シクシク。そんな話を書けたらねぇ。

リラホルンを聞きながら。

2007-12-13 00:32:28 | 日記
 書き込みすぎなのかなぁ。

 「伝えたい」と、歌い手の人なんかがよく口にするフレーズだけど、意味不明だよなぁとおもう。そんな、一方的に伝えたいことがつんがつん伝えられましても、こっちは困る。表現という行為は、何を表現するべきなんだろう? 自意識が邪魔だ。そんなのは気持ち悪い。
 でも、他人の書いたものを読むとき、誰かの自意識に触れたいとおもっているのも事実のような。そのチラ見せの絶妙なバランスが大切なのか。でも、太宰の「晩年」のすごさっていうのは、どうせ死ぬんだし、という開き直りからくる自意識フルスロットル感なのではないかとおもったりも。さらけ出し方によっては、それはそれですごいものになるのかもしれない、自意識。
 しかし、まあそれは太宰マジックなので、とりあえず自意識が前に出過ぎない方法を会得したい。
 小説の文中から「~とおもう」という文章を単純に全削除してみたらどうなるだろう? と仕事にいく途中の電車のでちょっと考えてみたりした。どうしても多くなってしまうので。今はとりあえず気にせずに量をガスガス書くことにしているけれど、いずれは刈り込まなければならない。感情なんて直接書いたら負けで、情景描写に心情がにじむのが本当だとおもう。おもったってなかなかできないわけだけど。
 いろいろ思いつくにはつくけど、時間が足りない。ニコニコ動画のやりすぎだ。ボーカロイドたちの新曲を追いかけるのに日々忙しい。だめじゃん。

山椒魚

2007-12-12 00:51:59 | 日記
 腹の底に棲む山椒魚がゆらりと寝返りをうつ。

 底の底の方にいるので普段は存在を認識していないけれど、たまにちょっとみじろぎをする。その動作は微細で遠くて見過ごしがちだが、確実にわたしをうごかす。そっと、ゆっくり、だけど腹の底から確実に。
 一人暮らしをはじめた時とか、そうだった。一度やつが動いたら、どんなに時間がかかっても、確実にわたしはそうするのだ。一度その気持ちがめばえたら。

 山椒魚が、旅をしたいとおもいはじめている。大学生の時、京都に一人旅した時に自分は一人旅に向いていないとつくづくおもったことであるのに、なんだかふつふつと旅がしたい。北の方へ。観光地とかはどうでもよくて、ただ海とか山とかのそばを電車で延々移動し続けるだけでもいい。
 すぐに旅の手配をはじめるような種類の情熱ではない。けれど、多分わたしはいつか旅をするだろう。山椒魚が一度みじろぎをはじめたら、それは腹の底でいつまでも消えずにたゆたい、いつか現実のものとなるのだ。

 人の意志なんじゃないだろうか。それは情熱とは対極にあるような気がする。

のろのろ。

2007-12-10 00:51:10 | 日記
 途中まで今日が土曜日だとおもっていた。本物の土曜日は寝ていたらあっという間に過ぎていたのだった。そういえば。でも、年賀状とか準備したりして、ちょっとは局員らしい感じで年末気分。

 今日は書店時代の同期の子と会う。二人とも書店を狙い撃ちしていたから、成り行きとして、いくつかの書店は一緒に受けた。まさに就活の同士で、ほかの友達にはない気分がある。ともに就活を乗り切り、やっと内定もらった本屋を、どちらも辞めてしまったという、まったく、あの頃には想像もしていなかったことだ。
 結局、わたしは甘えているのだろう。就職して、辞めて、結局あの頃の自分探しモードに逆戻りしている。探したって自分なんてネーヨ、ととっくに知っているのに。さがせばどっかに正解があるという幻想を捨てきれない。みんなみたいな、テレビに出てくるみたいな、正当な道に、復帰できる方法があるのではないかといまだにおもっている。全部幻想なのに。そこへ戻れるということも。そもそも戻るべき憧れの「王道」なんてもの、全部全部幻想だ。そのことは知ってる。知っててもくだくだいってしまうんだから、救いがないなぁ。
 と、毎度同じことばかりおもってしまうことも、やっぱり救いがない。ドードー巡り。と書くと鳥の名前ぽくてかわいい。

 せっかくのお休みなので、昼は少し小説を進める。テスト前と同じで、書こうとするとなんだか怖気づいてしまって、関係ない掃除とか始めちゃったりとかして、家事ばかりはかどるのでした。それはそれでよいことだけど、違うじゃん! と。そこは違うじゃん! と。何度でも自分に言いたい。書きたい、とおもう気持ちと、矛盾しているようなそうでないような気持ち。
 それでも今日は書き始めたら筆がのったので、ちょっとは前に進んだ。根本的に、ストーリーというものを前に進める能力が足りてないので、本当に苦労する。些事ばかり書きたいんだもの。でもそれじゃあお話にならないので、お話の体裁を整えるのに四苦八苦だ。うう。
 とにかく今回書いてるものは、書き終えることが第一の目標なので、完全に時系列に忠実に書くことにしてる。そうと決めてかかって書けば、一応は困らないで前に進むから。今日はこれをした、次の日はこれをした、と日記ばりの細かさになっている。進めるだけ進めてから刈り込む作業をする予定。しかし、進めるだけ進める段階からして難しい。うう。いつまでたっても先が見えてこない。うう。
 でも書く。

 一つでも完成させると、新しい世界が見えてくる、とは、マンガ家志望の友人の言葉。彼女は一つのお話を完成させて、持込をして、プロに見てもらって、何かがふっきれたらしい。その体験談はわたしのお守りのようなものだ。きっと、お話を一つ完成させたら、少なくとも一つの扉が開けるに違いない。とりあえずは、はじめと終わりのある物語を……。
 あんまり言い過ぎると死亡フラグみたくなってくるなぁ。

友達の作り方が知りたい。

2007-12-07 00:03:06 | 日記
 三回働いて一回休んで二回働いて一回休む、が1セットになった一週間をひたすら繰り返していた書店員時代。盆も正月もなく(むしろ、盆だから正月だからという理由でいつもより多く働く)、「連休? なにそれおいしーの?」というあまりにも規則正しい一週間の繰り返しだったのだった。
 そして今、パートタイム局員となり、週に5日きっちり8時間働いて、週末はきっちり2日休む、という生活は、なんだか驚きの連続だ。人間はこんなにも健やかな時間を生きれるのかと。規則正しい時間はすばらしい。毎日同じ時間に起き、同じ時間働き、同じ時間に帰ってこれる。

 しかし、躍動感の足りない生き方であることよ、とも感じる。その躍動感とやらが嫌さに選んだ局員生活であるのに。やはり若い時はがむしゃらに働いて時間感覚が狂ったりする方が、のちのち思い出すのが愛しかったりするのではないか。その最中はつらくとも。当たり前の話だ。がんばった思い出を思い出すほうが楽しいに決まっている。がんばらない人間はそれをよく知っている。骨身にしみている。

 あと、週末2日休むと、もう仕事にはいけないような気持ちになる。完璧に、仕事場での擬態がはがれてしまう。今の仕事場は人間関係がとても良好だし、けっして無理してなじんでるわけではないのだけど、それでも、離れて2日もたつと、もう戻れない、絶対無理! という気分になる。というわけで、月曜あたりが一番つらい。水・木あたりは案外元気だ。いちど局員のテンションを思い出すと、そのあとはすんなりと毎日楽しく局員できる。週末に一度局員じゃない自分になると、また局員の気分に復帰するのは大変だ。週末に、友達に会うと特に。
 ある集団にいるために、自分をその集団色になじませる、そのやり方がおそろしく不器用なのだろう。そんなのはその場をしのげる程度に適当にこなせばよいのに、やるからにはとことんやろうとしてしまう。どっぷりとその人間関係に浸かりたいとおもってしまう。女子中学生の親友ごっこじゃないのだから、もっと大人なさらりとした人との付き合い方を覚えればいいのにねぇ。仕事してるときは仕事場の人と仲良く、友達と遊んでるときはその友達と仲良く。中学時代の友達といるときのテンション、サークルの仲間といるときのテンション、それぞれが楽しい。みんな違ってみんないい。ただそれだけの話なのだがな。それが下手だ。思いいれすぎてしまう、それぞれに。だからみんなと遊び終わった後とてもさみしい。捨てられたような気分になる。みんなにはそれぞれ帰る場所があるのに、わたしはどこに帰ったらいいのかわからないよ、という気持ちになる。もうどこにも行きたくないのに、誰のそばにもいたくないという気持ちになるのに、でも人恋しい。いつまでもさびしいままだなぁ。
 よりどころがないのだ。だから心がふらふらして、そのたびにつらい思いをする。よりどころ。中学とか高校の頃はそれがあった。世界が狭くて幸せだった。わたしのような心の人間にとっては。いつまでもあのぬくぬくした場所で純粋培養されていたかったなぁ。