『駆けつけ警護』が生み出すリスクと、紛争地の現実を踏まえたPKOでの貢献のために
11月15日、南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に参加する陸上自衛隊に新たに「駆け付け警護」を任務に加えることが閣議決定された。今日、主力部隊が、青森空港から現地に向けて出発した。
『駆けつけ警護』が運用される南スーダンは、7月に大規模な戦闘が発生。約270人が死亡するなど深刻な衝突が続発し、政府軍兵士による市民の殺害も頻発しているとされる。PKOの現場(1992~1993年カンボジア、1994~1995年モザンビーク)や、パキスタン、東ティモールなど様々な紛争地域で平和構築活動に関わった経験から言うと、紛争の現場では自分たちがどのような理由で誰に攻撃を受けているかわからないことも多い。攻撃対象を混乱させるため、兵士たちは所属とは異なる軍服を着ていることがあり、誰が攻撃して来たのか容易に判断できないからだ。さらに南スーダンにおいては政府側・反政府側のどちらにも、武装勢力の民兵が戦闘に参加している。
このような状況では、駆けつけ警護を行う自衛隊員も混乱する。確かに襲撃を受けている民間人や国連職員を見殺しにせざるを得ない現状の改善になる可能性はある。しかし、私の経験では、軍と一体化して見られることは、むしろ状況が危うくなる可能性が高い。また、例えば人質の救出は、米国の特殊部隊でさえも成功させるのは至難の業だ。現地の民間人が襲撃された現場に駆け付け、救出できる状況は非常に限定的だ。また、一瞬の躊躇が自衛隊員の命を危うくする局面も起こり得る。自衛隊は憲法上他国軍とは交戦できない。しかし、交戦相手の特定は難しく、図らずも政府軍兵士と交戦になる可能性はある。
意義とリスクを比較した時に、リスクの方が遥かに大きいのではと考えざるを得ない。
そもそも派遣する前提が間違っている。
安倍政権は南スーダンでは『紛争は発生していない』と強弁し、現地の武力衝突はあくまで『発砲事案』であると説明している。日本の自衛隊派遣はPKO5原則が守られ、戦闘当事者の間で停戦合意が行われていることが条件となっているので、現実とはかけ離れた解釈をしているのだ。しかし、現在行われている戦闘が、どうして『紛争』ではないのか。戦闘しているのが誰かもわからないところで、どうやって『軍』と『軍以外』を分けるのか。
南スーダンで政府軍と戦闘を続ける反政府勢力のトップ、マシェル前副大統領は、朝日新聞のインタビューに対し「7月に起きた戦闘で、和平合意と統一政権は崩壊した」と語っている。稲田朋美防衛大臣は10月8日に陸上自衛隊施設部隊の活動状況を視察するため、南スーダンを訪れている。しかし、首都ジュバ市内を防弾仕様の車で移動し、国連南スーダン派遣団のトップと会談するなど、会談中心にわずか7時間滞在しただけであった。現場視察は、国連施設内で避難民向けの退避壕を整備している自衛隊員の活動を、写真撮影などを含めて約5分間見ただけとのこと。とても、現地の治安について判断を下せる視察ではなかったようだ。
紛争地であっても、人々の生活があり、子供たちの無邪気な笑顔に癒されることも多い。しかし、そんな平穏なひとときがいつ、銃声や爆撃によって破られるのかわからないのが紛争地だ。
私は、現地が危険だから自衛隊は行くべきではないとは考えていない。PKOの現場に危険が存在しうるのは当たり前であり、ひとたび現地に派遣されれば、自分たちだけ安全な場所で活動したいという論理は通用しない。世界のPKOの現状は、部隊を送ることで外貨稼ぎをしたい発展途上国と、紛争の拡大を何としても食い止めたい周辺国が中心だ。そして、1994年のルワンダで虐殺を防げなかった苦い経験から、PKO部隊は中立であるよりも平和執行型、つまり、紛争の当事者になっても人道的措置を行うことが主流になっている。そこに無理やり自衛隊を派遣することのメリットとデメリットをもっと冷徹に判断すべきだ。安全であると国内向けには説明し、現地では危険なところには行きたくないとゴリ押しするのでは滑稽な存在と見られるだけだ。安倍総理は撤退を躊躇しないと言っているが、各国が一体化して活動を行っている時に、自分たちだけが危険だからという理由で撤退など簡単にできるはずがない。そんなことなら最初から行かないことだ。平和的な方法での貢献はいくらでもある。アフリカのPKO部隊の能力構築などもひとつの方法であろう。
1992~3年にかけて展開されたUNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)においては、紛争4派の和平合意が崩壊し、完全に紛争状態になっていたにも関わらず、政府はPKO5原則は崩れていないと現実とは異なる答弁をしていた。日本の自衛隊は士気も高く、現地では正確な仕事ぶりで信頼を得ていた。現場の実情を知らない政治家による判断が、活躍できる可能性を奪うのみならず、命のリスクを高めている。
カンボジアPKOにおいては、自衛隊は当時もっとも安全と言われたタケオ州で施設大隊が活動し、国連の指揮下で活動していた文民警察や私たち国連ボランティアなどの文民要員は最前線で活動していた。実際に、文民警察の高田晴行氏、私の同僚だった中田厚仁さんは待ち伏せ攻撃によって殺害された。現地では駆けつけてくるのを悠長に待っている余裕などない。私たちは『軍』とは一体化しないことで攻撃されるリスクを回避させようとしていた。現地の言葉を覚え、ともに生活をすることで信頼関係を構築し、彼らからの情報に基づいて安全対策を講じていた。従って、状況を把握しない自衛隊が突入することで、より危険な状況を招く可能性もある。そこで交戦になって民間人に被害を与えた場合、部隊全体、また現地にいる私たち文民の活動がさらなるターゲットになる可能性が生まれる。
政府軍が反政府武装勢力に扮して活動をしていることも多々ある。私が1995年10月、私はカンボジア・カンポット州で武装グループに襲撃を受けたことがあるが、給料が十分に支払われず、強盗団として暗躍していた政府軍の兵士であった。
PKOの多くは安全だから活動するのではなく、危険だからこそ局面を打開するのが現地の期待だ。日本側の都合に合わせた現地情勢の解釈をし、日本側の都合に合わせた活動を要請し、日本側の都合次第で撤退するのでは、本当の信頼を得ることはできない。
今後、自衛隊をPKOなどで海外派遣を検討する際には、事前、そして活動中の情報収集と分析のために前線に国会議員を駐留させてはどうか? 事前の情報収集に基づいて日本が可能な活動を提案する。国会が安全として派遣を決定した以上は、前線で活動を見守り、検証する。稲田大臣のようにまるでアリバイ作りのごとく駆け足で視察をするのでは意味がない。現地の状況を総合的に判断すべく、自衛隊やピアソンPKO訓練センター(カナダ)のような場所で一定の訓練を受けた上で情報収集・分析を任務とする役割を与える。最低でも数週間から数か月のローテーションを組み、自衛隊が任務を行う間、現地の宿営地に滞在する。各国部隊、難民キャンプや国内避難民キャンプ、またNGOの活動現場にも滞在し、現地の一次情報を自ら収集し、日本が可能な貢献について提案・報告を行うのだ。国会議員にはこのような能力に長けた人材もいるし、このことは日本がインテリジェンス能力を高める上での財産にもなるだろう。そもそも、危険かどうかの判断は国会にいてもわかるわけがない。自分の命が危険に晒されて初めて可能になると私は思う。
自衛隊から派遣された停戦監視員の方々と。他国軍の幹部クラスとともに治安情勢について情報収集と分析を担当していました
選挙実施の指導をしていた私とスタッフ
有権者教育を行う私
選挙当日、投票所の監視を務めた国連文民要員、現地スタッフ、文民警察とともに
モザンビークのPKOにおける選挙キャンペーンの視察時に
政治評論家だった舛添要一氏が研修中の私たちを現地取材に。より長期間、より現場に入って情報収集活動を行うことで、より良いPKO活動を行う問題提起は可能だ
11月15日、南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に参加する陸上自衛隊に新たに「駆け付け警護」を任務に加えることが閣議決定された。今日、主力部隊が、青森空港から現地に向けて出発した。
『駆けつけ警護』が運用される南スーダンは、7月に大規模な戦闘が発生。約270人が死亡するなど深刻な衝突が続発し、政府軍兵士による市民の殺害も頻発しているとされる。PKOの現場(1992~1993年カンボジア、1994~1995年モザンビーク)や、パキスタン、東ティモールなど様々な紛争地域で平和構築活動に関わった経験から言うと、紛争の現場では自分たちがどのような理由で誰に攻撃を受けているかわからないことも多い。攻撃対象を混乱させるため、兵士たちは所属とは異なる軍服を着ていることがあり、誰が攻撃して来たのか容易に判断できないからだ。さらに南スーダンにおいては政府側・反政府側のどちらにも、武装勢力の民兵が戦闘に参加している。
このような状況では、駆けつけ警護を行う自衛隊員も混乱する。確かに襲撃を受けている民間人や国連職員を見殺しにせざるを得ない現状の改善になる可能性はある。しかし、私の経験では、軍と一体化して見られることは、むしろ状況が危うくなる可能性が高い。また、例えば人質の救出は、米国の特殊部隊でさえも成功させるのは至難の業だ。現地の民間人が襲撃された現場に駆け付け、救出できる状況は非常に限定的だ。また、一瞬の躊躇が自衛隊員の命を危うくする局面も起こり得る。自衛隊は憲法上他国軍とは交戦できない。しかし、交戦相手の特定は難しく、図らずも政府軍兵士と交戦になる可能性はある。
意義とリスクを比較した時に、リスクの方が遥かに大きいのではと考えざるを得ない。
そもそも派遣する前提が間違っている。
安倍政権は南スーダンでは『紛争は発生していない』と強弁し、現地の武力衝突はあくまで『発砲事案』であると説明している。日本の自衛隊派遣はPKO5原則が守られ、戦闘当事者の間で停戦合意が行われていることが条件となっているので、現実とはかけ離れた解釈をしているのだ。しかし、現在行われている戦闘が、どうして『紛争』ではないのか。戦闘しているのが誰かもわからないところで、どうやって『軍』と『軍以外』を分けるのか。
南スーダンで政府軍と戦闘を続ける反政府勢力のトップ、マシェル前副大統領は、朝日新聞のインタビューに対し「7月に起きた戦闘で、和平合意と統一政権は崩壊した」と語っている。稲田朋美防衛大臣は10月8日に陸上自衛隊施設部隊の活動状況を視察するため、南スーダンを訪れている。しかし、首都ジュバ市内を防弾仕様の車で移動し、国連南スーダン派遣団のトップと会談するなど、会談中心にわずか7時間滞在しただけであった。現場視察は、国連施設内で避難民向けの退避壕を整備している自衛隊員の活動を、写真撮影などを含めて約5分間見ただけとのこと。とても、現地の治安について判断を下せる視察ではなかったようだ。
紛争地であっても、人々の生活があり、子供たちの無邪気な笑顔に癒されることも多い。しかし、そんな平穏なひとときがいつ、銃声や爆撃によって破られるのかわからないのが紛争地だ。
私は、現地が危険だから自衛隊は行くべきではないとは考えていない。PKOの現場に危険が存在しうるのは当たり前であり、ひとたび現地に派遣されれば、自分たちだけ安全な場所で活動したいという論理は通用しない。世界のPKOの現状は、部隊を送ることで外貨稼ぎをしたい発展途上国と、紛争の拡大を何としても食い止めたい周辺国が中心だ。そして、1994年のルワンダで虐殺を防げなかった苦い経験から、PKO部隊は中立であるよりも平和執行型、つまり、紛争の当事者になっても人道的措置を行うことが主流になっている。そこに無理やり自衛隊を派遣することのメリットとデメリットをもっと冷徹に判断すべきだ。安全であると国内向けには説明し、現地では危険なところには行きたくないとゴリ押しするのでは滑稽な存在と見られるだけだ。安倍総理は撤退を躊躇しないと言っているが、各国が一体化して活動を行っている時に、自分たちだけが危険だからという理由で撤退など簡単にできるはずがない。そんなことなら最初から行かないことだ。平和的な方法での貢献はいくらでもある。アフリカのPKO部隊の能力構築などもひとつの方法であろう。
1992~3年にかけて展開されたUNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)においては、紛争4派の和平合意が崩壊し、完全に紛争状態になっていたにも関わらず、政府はPKO5原則は崩れていないと現実とは異なる答弁をしていた。日本の自衛隊は士気も高く、現地では正確な仕事ぶりで信頼を得ていた。現場の実情を知らない政治家による判断が、活躍できる可能性を奪うのみならず、命のリスクを高めている。
カンボジアPKOにおいては、自衛隊は当時もっとも安全と言われたタケオ州で施設大隊が活動し、国連の指揮下で活動していた文民警察や私たち国連ボランティアなどの文民要員は最前線で活動していた。実際に、文民警察の高田晴行氏、私の同僚だった中田厚仁さんは待ち伏せ攻撃によって殺害された。現地では駆けつけてくるのを悠長に待っている余裕などない。私たちは『軍』とは一体化しないことで攻撃されるリスクを回避させようとしていた。現地の言葉を覚え、ともに生活をすることで信頼関係を構築し、彼らからの情報に基づいて安全対策を講じていた。従って、状況を把握しない自衛隊が突入することで、より危険な状況を招く可能性もある。そこで交戦になって民間人に被害を与えた場合、部隊全体、また現地にいる私たち文民の活動がさらなるターゲットになる可能性が生まれる。
政府軍が反政府武装勢力に扮して活動をしていることも多々ある。私が1995年10月、私はカンボジア・カンポット州で武装グループに襲撃を受けたことがあるが、給料が十分に支払われず、強盗団として暗躍していた政府軍の兵士であった。
PKOの多くは安全だから活動するのではなく、危険だからこそ局面を打開するのが現地の期待だ。日本側の都合に合わせた現地情勢の解釈をし、日本側の都合に合わせた活動を要請し、日本側の都合次第で撤退するのでは、本当の信頼を得ることはできない。
今後、自衛隊をPKOなどで海外派遣を検討する際には、事前、そして活動中の情報収集と分析のために前線に国会議員を駐留させてはどうか? 事前の情報収集に基づいて日本が可能な活動を提案する。国会が安全として派遣を決定した以上は、前線で活動を見守り、検証する。稲田大臣のようにまるでアリバイ作りのごとく駆け足で視察をするのでは意味がない。現地の状況を総合的に判断すべく、自衛隊やピアソンPKO訓練センター(カナダ)のような場所で一定の訓練を受けた上で情報収集・分析を任務とする役割を与える。最低でも数週間から数か月のローテーションを組み、自衛隊が任務を行う間、現地の宿営地に滞在する。各国部隊、難民キャンプや国内避難民キャンプ、またNGOの活動現場にも滞在し、現地の一次情報を自ら収集し、日本が可能な貢献について提案・報告を行うのだ。国会議員にはこのような能力に長けた人材もいるし、このことは日本がインテリジェンス能力を高める上での財産にもなるだろう。そもそも、危険かどうかの判断は国会にいてもわかるわけがない。自分の命が危険に晒されて初めて可能になると私は思う。
自衛隊から派遣された停戦監視員の方々と。他国軍の幹部クラスとともに治安情勢について情報収集と分析を担当していました
選挙実施の指導をしていた私とスタッフ
有権者教育を行う私
選挙当日、投票所の監視を務めた国連文民要員、現地スタッフ、文民警察とともに
モザンビークのPKOにおける選挙キャンペーンの視察時に
政治評論家だった舛添要一氏が研修中の私たちを現地取材に。より長期間、より現場に入って情報収集活動を行うことで、より良いPKO活動を行う問題提起は可能だ
南スーダンに零泊4日で向かったことを自慢気に伝えたその意図は、おそらくは稲田大臣の行動力の高さを誇示したかったのでしょう。
しかし阪口さんのコメントにもありますように、その行為はただ単に‘現地に行った’というパフォーマンスか、さらに言えばまさにアリバイつくりでしかないように感じてしまいます。
現場を知らない人間が発する指令ほど怖いものはありません。
国会議員に現場を知ってもらうという意見には大賛成です。
阪口さんのように‘現場主義’を旨とする議員は、今永田町にどれだけいるのでしょう。