東ティモールのシャナナ・グスマン大統領は、8日、新首相にラモス・ホルタ氏を指名しました。東ティモールは、今後、どのような方向に向うのでしょうか。
アルカティリ前政権による国軍兵士の大量解雇をきっかけに、4月から首都ディリで断続的に騒乱が発生。5月には、除隊された兵士と国軍が衝突し、一般市民も巻き込んだ騒乱に発展してしまいました。グスマン大統領は、騒乱の原因を作ったとされる首相に退陣を要求。国民的人気、国際的な名声を背景に「応じなければ自分が辞める」と問題解決への強い覚悟を表明したことが新たな局面を作り出す大きな契機になったようです。
私はこのグスマン大統領と一緒に活動をしたことがあります。
彼は2002年2月、自分自身の大統領選挙の僅か2ヶ月前に、アジアの民主化支援NGO(ANFREL)の一員としてカンボジアの地方選挙監視活動に参加しているのです。この時は私も同じチームだったのですが、一市民として他国の選挙支援活動に参加するところなどは、市民と共に歩む姿勢を象徴していますよね。彼の絶大な人気の理由を垣間見た思いでした。
私が会ったことのある人の中で、カリスマという言葉が真っ先に浮かぶのが、ビルマの民主化運動指導者・アウンサンスーチー氏とともに、このシャナナ・グスマン大統領です。このブログの最近のコメント欄ではチェ・ゲバラの話題でも盛り上がっていますが、彼はまさに東ティモールのチェ・ゲバラと言えるでしょう。
若き日のグスマン大統領は、詩人、ジャーナリスト、そしてサッカー選手だったそうですが、インドネシアからの独立運動に身を捧げ、勇気と人望の厚さで20年あまりゲリラ戦士を統率。総司令官として、独立に向けた中心的な役割を果たしました。
ところが、1999年8月、独立住民投票によって独立が実現した直後、併合派民兵による大規模な破壊活動が発生。多国籍軍の展開とUNTAET(国連東ティモール暫定統治機構)の統治のもと、2001年8月の制憲議会選挙、2002年の大統領選挙を経て、ようやく新国家東ティモールが誕生したのでした。
私はこの両方の選挙支援にかかわり、2002年4月の大統領選挙では選挙監視チームの責任者を務めました。選挙戦最終日の夜、全ての選挙活動を終えたグスマン候補者をインタビューしましたが、2ヶ月前に同じチームで活動していたグスマン氏が、圧倒的な支持を得て東ティモールの初代大統領になろうとしている姿を目の当たりにしたのは何とも感慨深いものでした。
新首相のラモス・ホルタ氏がノーベル平和賞を受賞した際、インドネシア軍に逮捕されて当時獄中にあったグスマン氏こそ最も賞にふさわしいとの理由で「うれしいと同時に悲しくもある」と語ったのは有名な話です。
圧倒的な議席を占める与党フレテリンに指名されたアルカティリ前首相が実権を握り、大統領としては十分な指導力を発揮したとは言えない状態が続いていました。今回の「政変」がどのような結果をもたらすのか、我々が市民としてできることは何か、念頭に置きながら見守りたいと思います。
写真: カンボジア地方選挙に参加した東ティモール現大統領シャナナ・グスマン氏と。私が持ってるのは彼が描いた「tree」という絵の絵葉書です。写真では光ってよくわかりませんが・・・。(2002年)
さかぐち直人政治活動ホームページ
阪口直人国際協力活動ホームページ
アルカティリ前政権による国軍兵士の大量解雇をきっかけに、4月から首都ディリで断続的に騒乱が発生。5月には、除隊された兵士と国軍が衝突し、一般市民も巻き込んだ騒乱に発展してしまいました。グスマン大統領は、騒乱の原因を作ったとされる首相に退陣を要求。国民的人気、国際的な名声を背景に「応じなければ自分が辞める」と問題解決への強い覚悟を表明したことが新たな局面を作り出す大きな契機になったようです。
私はこのグスマン大統領と一緒に活動をしたことがあります。
彼は2002年2月、自分自身の大統領選挙の僅か2ヶ月前に、アジアの民主化支援NGO(ANFREL)の一員としてカンボジアの地方選挙監視活動に参加しているのです。この時は私も同じチームだったのですが、一市民として他国の選挙支援活動に参加するところなどは、市民と共に歩む姿勢を象徴していますよね。彼の絶大な人気の理由を垣間見た思いでした。
私が会ったことのある人の中で、カリスマという言葉が真っ先に浮かぶのが、ビルマの民主化運動指導者・アウンサンスーチー氏とともに、このシャナナ・グスマン大統領です。このブログの最近のコメント欄ではチェ・ゲバラの話題でも盛り上がっていますが、彼はまさに東ティモールのチェ・ゲバラと言えるでしょう。
若き日のグスマン大統領は、詩人、ジャーナリスト、そしてサッカー選手だったそうですが、インドネシアからの独立運動に身を捧げ、勇気と人望の厚さで20年あまりゲリラ戦士を統率。総司令官として、独立に向けた中心的な役割を果たしました。
ところが、1999年8月、独立住民投票によって独立が実現した直後、併合派民兵による大規模な破壊活動が発生。多国籍軍の展開とUNTAET(国連東ティモール暫定統治機構)の統治のもと、2001年8月の制憲議会選挙、2002年の大統領選挙を経て、ようやく新国家東ティモールが誕生したのでした。
私はこの両方の選挙支援にかかわり、2002年4月の大統領選挙では選挙監視チームの責任者を務めました。選挙戦最終日の夜、全ての選挙活動を終えたグスマン候補者をインタビューしましたが、2ヶ月前に同じチームで活動していたグスマン氏が、圧倒的な支持を得て東ティモールの初代大統領になろうとしている姿を目の当たりにしたのは何とも感慨深いものでした。
新首相のラモス・ホルタ氏がノーベル平和賞を受賞した際、インドネシア軍に逮捕されて当時獄中にあったグスマン氏こそ最も賞にふさわしいとの理由で「うれしいと同時に悲しくもある」と語ったのは有名な話です。
圧倒的な議席を占める与党フレテリンに指名されたアルカティリ前首相が実権を握り、大統領としては十分な指導力を発揮したとは言えない状態が続いていました。今回の「政変」がどのような結果をもたらすのか、我々が市民としてできることは何か、念頭に置きながら見守りたいと思います。
写真: カンボジア地方選挙に参加した東ティモール現大統領シャナナ・グスマン氏と。私が持ってるのは彼が描いた「tree」という絵の絵葉書です。写真では光ってよくわかりませんが・・・。(2002年)
さかぐち直人政治活動ホームページ
阪口直人国際協力活動ホームページ
ウクライナもつい最近オレンジ革命で「政変」があって、その後で良いほうに向かっていると感じました。経済発展も進んでるし、皆が楽しく頑張ってるし、お金にもだいぶ余裕が出来たような印象を受けました。国会の中の話し合いがよくテレビで放送されて、皆が自由に意見を言うように進められています。母がユシチェンコ大統領の大ファンで家に写真も飾ってあるし、ユシチェンコの名前が書いてあるマグカップを母が毎日使っています。聴いた話では、国会にいろんな問題もありますが、ポロシェンコと言う人に感心しました。ポロシェンコは「Roshen」と言うチョコレート会社を持っていて、同時に国会にも働いています。自分のチョコレート会社の収入が十分だから国会の給料がいらないと言ってボランティアでそこの仕事をやっているそうです。本当に感心しました。「Roshen」のチョコレートをお土産に沢山買って帰りました。
日本も早く「政変」がおきて、良いほうに変わると良いですね。
Nさん、こんにちは。いつも温かいコメントをありがとうございます。私は今日行われた山北町長選挙の開票結果をインターネットでチェックすべく、パソコンの前で待機しているところです。こちらでは「政変」起こるかもしれません。
さて、ウクライナ情勢ですが、昨日の深夜のニュースでは、連立交渉の結果、2004年の「オレンジ革命」で一緒に闘った親欧米派ユーチェンコ大統領が率いる与党「我がウクライナ」が目指した連立政権樹立の樹立は不可能になったようです。従って「オレンジ連合」は崩壊し、元首相の女性・ティモシェンコ氏ではなく、ヤヌコビッチ元首相が次期首相になるようです。
ヤヌコビッチ氏はロシアとの関係強化を進める政策なので、ユーチェンコ大統領と対立することになりそうです。
サッカーで国民の心がひとつになったようにも思えたウクライナですが、政治の世界はそんなに簡単なものではなさそうですね。
シャナナとともに活動された経験は、阪口さんにとっての大きな財産ですね。
シャナナが詩人であったことは知りませんでしたが、チェもまたそうであるように、カリスマとはまた詩的かつロマンティストでもあるのですね。
その伝でいえば、阪口さんもまた十分にカリスマの要素がありかと思いますが・・・
私が思うには、カリスマ持った人とは、とてつもない困難・逆境にに自ら飛び込み、それを打ち破る特別な能力、そして運を引き寄せる魅力を持った人だと思います。そんな人には常人にはない愚直なまでの前向きさがありますね。キューバ革命も、東ティモールの独立も、信じることをやめなかった人々の勇気がもたらしたものですよね。
ユーシェンコ大統領はすでにカリスマですが、彼がその力を発揮し、本当の意味で国をまとめるために必要な試練が訪れたのだと思います。
今日、私の選挙区のひとつ山北町でも「政変」が起こり、超保守地盤で3選を目指した現職を、新人候補が破って当選しました。
ウクライナも今こそ自分の「政変」をしっかり守って、その意味を証明する大事な時だと思います。ウクライナは昔から西側と東側の民族や文化がだいぶ違っていたので、意見がまとまらないのは無理もないと思いますが、一緒にまとまったほうが強くなるし、また独立国家として欧米ともロシアとも友好な関係を作れることを願っています。