阪口直人の「心にかける橋」

衆議院議員としての政治活動や、専門分野の平和構築活動、また、趣味や日常生活についてもメッセージを発信します。

北京オリンピックに思う

2008年08月09日 00時31分19秒 | スポーツ

 北京オリンピックが開幕しました。今、開会式の様子をテレビで観ながら書いています。オリンピックは大好きで、普段あまりテレビを観ない私も、いつもテレビにかじりついて観てきました。もっとも今は早朝から夜まで休みなく活動していますので、ライブ観戦はできないかもしれません。でも、夜のダイジェスト放送を楽しみにしています。

 開会式の演出、見事でしたね。これほど壮麗な演出は空前絶後かもしれません。でも「国家の威信」をかけた演出の裏に、チベット族やウイグル族など少数民族への人権問題や、オリンピック期間中、貧しい人々を「追放」する政策などがオーバラップして見えた人も多かったのではないでしょうか。そんな中、「オリンピック讃歌」を少数民族の子供たちが合唱するシーンは、私にとってもっとも感動的なシーンでした。

 私がこれまでもっとも感動した開会式は1994年のリレハンメルオリンピックです。自然との共生を謳い、政府ではなく現地の人々の手作り感いっぱいのおとぎ話のような演出が素晴らしかったです。また、「オリンピック讃歌」を歌ったSissel Kyrkjebøの絶唱にも本当に魅了されました。自国選手への大声援は当然ですが、同時にライバル国、また弱い選手への温かい声援も感動的でした。今回のオリンピックはどうでしょうか。

 長野オリンピックの開会式では、地雷で片足を失った義足のランナー、クリス・ムーン氏が子供たちと一緒に会場に入ってきたシーンが良かったですね。彼はモザンビークでの地雷除去活動中に足を失ったのですが、世界中のマラソン大会に参加し、走ることで平和を訴えています。「長野オリンピック記念マラソン」では、走りながら会話をして少し並走したこともあります。苦しそうに、しかし、全身全霊で走る姿が印象的でした。

 開会式を見たところ、台湾や香港チームには大歓声。米国、ロシア、イタリア、ブラジル、アルゼンチンや、同じ共産圏のキューバや北朝鮮には割れんばかりの声援が送られる一方、日本や韓国には静かな声援でしたね。個人的には、私自身が平和構築活動で関わったモザンビークやボスニア・ヘルツェゴビナ、東ティモール、カンボジアなどが平和の祭典に参加している様子に感慨ひとしおでした。

 皆さんは過去のオリンピックでは、どんなシーンに感動しましたか? 

 真っ先に浮かぶのは札幌オリンピックで表彰台を独占し、長野オリンピックで大逆転に沸いたジャンプ競技、高橋尚子選手がシドニーを快走した女子マラソン、そして、荒川静香選手の金メダルの瞬間でしょうか。(アルベールビルで伊藤みどり選手がラフマニノフのピアノ協奏曲に乗ってトリプルアクセルを決めた瞬間も同じぐらい感動しましたが!)最高の舞台で最高の結果を出した選手が、本当に輝いて見えました。

 今大会では、まずは野球、そして柔道、ソフトボールに特に期待しています。

 私も仕事で中国に関わっていた1989年6月4日、天安門事件が起こりました。あれから19年。北京でオリンピックが開催されることには大きな意味があると思います。開催国の威信の昂揚ではなく、世界中の人々に感動を与えたことで記憶される祭典になることを願いつつ、選手の活躍を応援したいと思います。


 写真:8月8日の早朝活動(橋本市慶賀野西詰交差点にて)


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2 コメント

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観戦マナー (たぬ)
2008-08-09 02:06:35
開会式前に行われたサッカーの試合では
日本の失敗に拍手したり、大喜びと、
中国人の観戦マナーの悪さが新聞に載っていました。
他の競技でも、同じようなことがあるのでしょうか?
不安で悲しくなります。
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五輪の思い出 (三高 章)
2008-08-09 21:57:29
私にとりまして一番心に残る選手はフィギュアスケートのカタリーナビットです。
1984年のサラエボ五輪の金メダリストです。

そのサラエボ五輪が開催された旧ユーゴスラビアは、その後内戦状態となりました。
それを嘆いたビットは、1992年のアルベールビルで旧ユーゴスラビアへの思いを馳せ、ピーター・ポール&マリーの名曲「花はどこへ行った」のメロディーにのせ、優雅に銀板を舞いました。
しかしその舞いは、伊藤みどりのトリプルアクセル(阪口さんが指摘されるように、このシーンもまた鳥肌が立つ場面でしたね)やトーニャ・ハーディングによるナンシーケリガン殴打事件などにかき消され、ほとんど話題にもならなかったように記憶しています。
確かにジャンプ全盛時代となったその時代での、ビットの滑りは古いものとしか映らなかったかもしれません。
それでもおそらくは、ビットの心の中には平和だった時のあのサラエボへの思いがあったのでしょう。
私には画面を通してその思いを強烈に感じたことを記憶しています。
あの日の舞いは、競技を超えた芸術のように私には思われました。

サラエボといえば阪口さんが専門学校の教員をされていた頃、政府からの派遣?(すみません。随分前のことなので、実際どのような立場で行かれたのかの記憶は曖昧です)で長期出張されていましたね。
帰国後、阪口さんから見せていただいた写真の中に、競技場らしきものがありましたが、そこには無数の十字架が写っていました。
かつてそこが五輪会場であり、その十字架は内戦で命を落とした人々の墓碑であることを知り旋律を覚えたものです。

今回の北京五輪では、まさにその開会式の日にロシアがグルジアに侵攻するというニュースも飛びこんできました。
そんなニュースを見るにつけ、ビットの舞う「花はどこへ行った」をまた思い出します。
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