阪口直人の「心にかける橋」

衆議院議員としての政治活動や、専門分野の平和構築活動、また、趣味や日常生活についてもメッセージを発信します。

集団的自衛権、PKOの駆け付け警護についての安倍総理の説明への違和感

2014年05月23日 00時05分10秒 | 政治
 
 安倍総理は、4月15日、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の報告書について自ら説明をしました。その中でカンボジアの平和のために活動中に襲撃されて命を落とした国連ボランティアの中田厚仁さんと文民警察官・高田晴行警視を例に挙げ、彼らが突然武装集団に襲われたとしても日本の自衛隊は彼らを救出できない。見捨てるしかない。と、PKO活動における駆け付け警護の必要性を訴えました。

 私は領土的野心を持った外国に「付け入る隙を与えない」ための法整備と防衛力の強化は必要と考えています。また、目の前の救える命は救うことは当然と思うので、集団的自衛権やPKOにおける駆け付け警護について、あらゆる事態を想定して準備をする必要性は理解できます。

 私自身は紛争地域の平和構築が専門分野で、1992~1993年にかけては、まさに中田厚仁さんの同僚としてカンボジアで国連の平和活動を行っていました。中田厚仁さんはカンボジア内で一番危険なコンポントム州での活動を自ら志願し、村々をまわって過酷な活動を続けていました。安倍総理は「彼らが突然武装集団に襲われたとしても日本の自衛隊は救うことができない、見捨てるしかない」と説明していましたが、実際には駆け付けて間に合う位置で活動することはまずありません。紛争地域ですから私たちは危険が存在することは承知した上で、現地の言葉を覚え、できる限りリスクを避けるように情報収集をしていました。私も銃撃・襲撃されたことがありますが、自分たちは丸腰であり反撃する意志はないこと、平和活動のために来ていることなどをしっかり伝えることで危機を脱することができました。国連やNGOで活動する文民の方々も自らの命を守るために必死の自助努力をしていると思いますし、私たちも現地の人々の中に飛び込んで信頼関係を構築することが、仕事上も安全対策としても一番重要だと思っていました。従って「見捨てる」という総理の言葉に強い違和感を感じます。

 付け加えると、当時自衛隊はタケオ州などでの道路補修が任務。中田さんがいたコンポントム州との間には数百キロの距離があるため、たとえ駆け付け警護が可能であっても現実に救出は不可能でした。また高田警視は活動中、オランダ軍の護衛があったにもかかわらず殺害されました。安倍総理はその状況を説明せずに、自衛隊が警護さえすれば日本人を守ることができるかのような説明をしましたが、それは現実とは異なった認識です。

 住民との信頼構築が必要な平和構築活動中に重装備の自衛隊が同行していてはむしろ活動が困難になるケースが多いのです。一方、駆け付け警護が可能になることで目の前の日本人を助けることができる状況が生まれ得ることも確かです。しかし、それは極めてまれなケースです。その一方で、襲撃してきた武装勢力に自衛的措置を行うことがたとえその場では「正義」であったとしても、相手は攻撃を受けたと解釈することもあるでしょう。駆け付け警護によって自衛隊だけでなく、国連やNGOで活動する日本人も報復のターゲットになる可能性が生まれることも議論しなくてはなりません。撤退の条件を明確にすることも必要です。「この任務に命を捧げて下さい」と命令を下す責任者がリスクを明らかにしないのは不誠実な態度だと思います。


 安倍総理は集団的自衛権の必要性についても、自分の都合のいい解釈を続けていています。総理がパネルを使って説明した紛争国から逃れようとしている子供を乗せた米国の輸送艦にしても、戦争状態になり敵に狙われるかもしれない危険な状況の中をわざわざ輸送する行為にはリアリティーが希薄です。そのような状況になる前に退避勧告を出して飛行機などで安全な方面に脱出させるのが政府の役割だし、そもそも攻撃を受けたら個別的自衛権で対応できるはずです。子どもや赤ちゃんを前面に出し「身捨ててもいいのか」と感情に訴える手法で巧妙に世論を誘導しようとしているように思えますが、過度に感情に訴える手法は危険です。

 私自身が襲撃を受けた瞬間の記憶、今でも時々蘇ります。命の終焉を覚悟した背筋の凍るような瞬間、その後に実感したまだ生きられる喜び。それは自分にとって運命的な瞬間でした。自分の命が大切であると同時に、他人の命も同様に尊いのです。それが理不尽な戦争で奪われることがあるとすれば、何と悲しいことでしょうか。身近な人が命を奪われ、自分自身も命の危機に瀕した経験は、自分の使命を明確にしてくれました。

 2001年、アフガニスタンでの対テロ戦争を支持した小泉首相の判断によって、それまで尊敬の対象であったはずの日本人が憎悪と攻撃の対象になったこと、私自身、パキスタンの部族地域での活動中に何度も実感し、再び襲撃される可能性を常に感じていました。(ところが石破幹事長に至っては、多国籍軍への参加までも示唆しています。彼はアフガニスタンでの戦闘行為に参加しなかったことを後悔しているのでしょうか?) 平和国家・日本の分岐点になり得るのが集団的自衛権。リーダーの命令によって失われる命に対して責任を負う覚悟があるのか、安倍総理には様々な予測される事例を挙げながら、命令する立場の重さを国会で問いかけていきます。



ルームメートとして過ごした2ヶ月を終え、任地・コンポントム州に向かう中田厚仁さんとガッチリ握手



20年後、今は帰らぬ人となった中田厚仁さんと彼が殺された場所にできた「アツ小学校・中学校」で再び握手


パキスタンの部族地域での選挙支援活動を行う私。この地域はオサマ・ビン・ラディンが潜伏していると言われていたパキスタンの行政権、警察権が及ばない地域です。


身の安全のために現地の民族衣装を着て活動していました。