中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

阿吽の仁王像(旧中山道をあるく 60)

2005年09月13日 21時28分00秒 | 2.武州(埼玉県)の旧中山道を歩く(27~65
(若泉の霊域、安養院)


(本庄宿4)
中山道に戻りすこし進むと、右手に入ったところに
本庄新八景の一つ、「若泉の霊域」と言われる
安養院がある。

言い伝えに拠れば
(安養院は曹洞宗のお寺で、山号を若泉山、寺号を無量寺という。
寺伝に拠れば、創立文明七年(1475)武蔵七党の一党である、
児玉党の一族本庄信明の弟藤太郎雪茂が仏門に帰依して、
当時の富田村に安入庵を営んだが、水不足に悩まされたので、
現在地を発見し、安養院を開基したと伝えられる。
以後付近には水不足に悩まされることもなく、
周辺の人々から{若泉の荘}と呼ばれるようになったと言う。)
(本庄市教育委員会)

寺伝などというものは、どんな根拠に基づいて
創られるのであろうか?
にわかには信じられない不思議なことなどが多い。

それにしても今では田舎になってしまった本庄宿の
この安養院の仁王門の「阿吽(あうん)の仁王像」は見事であった。

(安養院の仁王門)

(阿形の仁王)

(吽形の仁王)

寺院前の仁王様もそうであるが、神社の神殿前の一対の狛犬も、
稲荷神社の一対のお狐様も、参道の左右にあって、
口元は「阿吽の形」をしている。

仁王様は
「阿形(あぎょう)」、「吽形(うんぎょう)」というが、
なるほど、「阿形」の仁王様は口を「かっ!」と開き、
「あ」を発音しているし、
「吽形」の方は、「うむっ!」と
「うん」の発音をして、堅く口元を閉じている。

第一、ボクは「阿吽」とは何かさえ知らない。
それなのに、「阿吽の呼吸」は知っている。
へんな話だ。
そこで、例によって辞書を引いた。

「阿吽」(広辞苑第4版)

・「阿」は開口音、「吽」は合口音。

・悉曇{しつたん}の字母の初韻と終韻とある。

(最初の項は、「開いた口」「閉じた口」。
二番目の項は、さらにもう一度辞書を引かないと
意味が解からない。)

要約すると、
悉曇とは、梵字の字母。インドの音声に関する学問を言う。
日本語の五十音図にはこの悉曇の影響が多きい、とある。

つまり、早い話が、「阿」はアイウエオの「ア」で、
「吽」はアイウエオの最後の「ン」のことだ。

もっと解りやすくしよう。
例解国後辞典では、
「阿吽」とは、仏教語で
「阿」は一切の字と声の母体で、最初に口を開く音。
「吽」は最後に口を閉じる音。
初めと終わりをいう。
とある。

「阿」と「吽」の間(一切の森羅万象の間というか、
生と死の間といおうか、一生を現しているのだろう)
を通り抜けて、神仏にお祈りをする。
そして天国、極楽へいこう。
こんなところであろうか。

広辞苑に戻ると、
(最初と最後。密教では「阿」は万物の根源、
「吽」を一切が帰着する知徳とする)とあり、
これで良く理解できた。

こんなことを考え、中山道を進むと、右手に
金鑚(かなさな)神社が見えてきた。

(金鑚神社)




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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
かつてとても栄えた本庄の宿のようですが 栄枯盛... (どら)
2006-10-24 22:57:06
かつてとても栄えた本庄の宿のようですが 栄枯盛衰と言うべきか なんだか寂しいですね?
キリスト教もそうだとは思うのですが 佛教の教えには 宇宙が盛り込まれている感じがして難しいけれど 面白い。
阿吽も その代表の様な気がしています。
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