中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

間(あい)の宿「野上」の松並木(旧中山道を歩く 274)

2011年10月21日 10時10分46秒 | 6.美濃(岐阜県)の旧中山道を歩く(210~2


(すぐの信号を右折し国道21号線に入る)


(国道21号線の「新日守」の信号を右折)


(旧街道に似合う静かな道)

(関が原宿)
一里塚をあとに中山道を進む。
すぐ先の信号を右折し、平行に走ってきた国道21号線にはいる。
その先(新日守)の信号で国道21号線を右折し、
道路に沿って道なりに進むと、
信号の先で右に曲がっている国道21号線の上を、
自分では気づかないうちに通っていく。
旧道らしい静かな道になり、
いつの間にか関が原町に入っており、
少し行くと右手に石の鳥居と常夜灯二基があるのが見える。
常夜灯の前面に石柱があり、
「縣社 伊富岐(いぶき)神社」と刻んである。


(いぶき神社の鳥居)

その前を通り越すと、右手に野上の「七つ井戸」と案内のある井戸がある。
(ここ野上は、中山道垂井宿と関が原宿の間の宿(あいのしゅく)でした。
江戸時代の頃から、
僅少の地下水を取水して多目的(防火用・生活用・農業用)に、
利用されてきました。
街道筋の井戸は「野上の七つ井戸」として親しまれ、
旅人には、喉を潤し、疲れを癒す格好の飲料水だったと推定されます。
近年は、水道事業が整備されて放置されてきましたが、
先人が残した遺産の再発見の見地から休憩所を兼ねて修復・再現しました。
この井戸はつるべ式で実際に水を汲むことができます。
但し飲まないでください。
また、汲むときは安全に充分ご注意ください。)(関が原町)とある。
井戸には釣る瓶桶が置かれており、
汲むことができるようになっているが、
衛生上のことは考えずに、喉を潤す旅人がいて、
お腹を壊し、自分の不注意を棚に上げて、
役場に怒鳴り込んでいる人がいたのであろう、
(飲まないでください)と注意書きがしてある。
垂井宿から関が原宿までは約5.5kmと案内書にはあるが、
この辺りが休憩するのに都合が良かったに違いない。

この近隣のお宅は裕福らしい立派な家が見受けられる。
回りは見渡す限り水田・畑が広がり、その先は山に囲まれている。
そんな田畑を少ない民家が保有していて作物の量が豊かなのか、
土地が肥沃なのか、その両方のせいかもしれないが、
豊かそうな家が多い。


(七つ井戸)


(裕福そうな家)


(裕福そうな家2)


(周りを山で囲まれた関が原らしい景色)

そんなことを考えながら進むと、
往時の街道を髣髴させる松並木が迫ってくる。
松並木街道の中ほど左手に、地蔵堂のようなものと水のみ場、
それに右手の松の根元に「天然記念物 旧中山道松並木」の石柱がある。
左手の地蔵堂については、「六部地蔵」というらしい。

この「六部地蔵」について、
(六部とは、「六十六部」の略で、全国の社寺などを巡礼して、
旅をしながら修業している「人」ということで、
厨子を背負って読経しつつ行脚中の行者が
「宝暦十一年頃(1761)」この地で亡くなられたので、
里人が祠を建てお祀りされたといわれております。
この六部地蔵さんは、「六部地蔵 歯痛なおりて 礼参り」と
読まれているように、痛みのひどい病気を治すことで、
名を知られています。)(関が原町)とある。


(松並木)


(松並木2)


(松並木3、天然記念物の石碑)


(六部地蔵と水飲み場)


(六部地蔵)

松並木はここでひとまず終り、国道21号線に信号で合流し、
すぐまた右側の旧街道に入る。
今度は新たに植栽された松並木のようで、
道路には左側に歩道が作られ、
その左に若い松の木が並木よろしく植えられている。
しかし中山道の松並木といわれる大きさになるには、
まだ20~30年掛かるに違いない。
街道の並木を保存するのも並大抵の事ではない苦労がある。

その先で国道21号線に合流すると右側に
「村社 若宮八幡神社」がある。
これから関が原宿に入る。


(一旦21号線に合流した所にある信号)


(信号から先の旧道にある松並木)


(すぐ21号線に合流し右奥に見える林が若宮神社)