中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

垂井宿の入り口「相川橋」(旧中山道を歩く 270)

2011年10月01日 10時38分00秒 | 6.美濃(岐阜県)の旧中山道を歩く(210~2


(もう一つの「中山道」の案内看板)

(垂井宿)
中山道の案内のある道路には垂井町平尾とあり、
いつの間にか垂井町へ入ってきている。
少し歩くともう一つの「中山道」の案内看板がある。
何の変哲もない町中を歩いて、「中山道」に間違いないだろうかと、
気になり始める頃この案内看板は立っている。

少し先に「平尾御坊道」の自然石の道標がある。
右に行けば、願證寺・平尾御坊(*)へ出る。
(*)筆者注=平尾御坊とは地名平尾にある僧院、寺院を敬って言う言葉。
平尾の願證寺というお寺さんのこと。

(平尾御坊道の道標)

少し進むと(追分)の信号に出る。
信号を渡った左にコンビニがある。
と言うことはコンビニを利用する人口も多く、町の中に入ってきている。

信号が(追分)というから、
別の街道への分かれ道がなくてはおかしいと、
キョロキョロするもそれらしい道路は無い。
丁度歩いてきた、小母さんに
「垂井の駅はどちら?」と訊くと、
「少し行くと、この先に橋がありますから、
その橋を渡って左へ行くと駅ですよ」と回答。
「相当ありますか?」
「いえそれほどでもありませんよ」と仰る。


(追分の信号、左側にコンビにが見える)


(ずいぶん先まで直線は伸びて橋など見えそうもない)

お礼を言って分かれたが、道路は直線で先の方まで見える。
まだ相当ありそう。橋などありそうもない。
諦めて歩くことにした。
田舎の人の少しは、都会の人には計り知れない。

現役時代に、足立区の支店から東京都西多摩郡の支店に転勤になった。
その時、お得意様の挨拶に何軒か車で訪ねた。
「今日はもうこれでお終りにしよう」としたら、案内する人が、
「数分ほどですから、あともう一軒」というので頷いたら、
その数分が距離にしたら7~8kmあったと記憶している。
東京都足立区では、車で数分といえば混雑で2~3kmも走れればよい方、
西多摩郡では信号もなければ、田舎道で混雑もないから7~8kmは走る。
基準となっている物差しが違うのである。


(杭で支えられた地蔵堂)

中山道を進むと、右側に地蔵堂があり、お堂の両側が杭で支えられている。
支えが無ければ、ひっくり返るかもしれない。
道路は先の方で少し左へカーブしている。
近づくとカーブした道路は道にぶつかってT字路になっている様子。
T字路の左手の1画が垂井町の指定史跡になっている
そこには「垂井追分の道標」があり、
(是より 右 東海道大垣みち、左 木曽街道たにぐちみち)とある。


(追分の道標)

垂井町教育委員会の説明では、
(垂井宿は中山道と東海道を結ぶ美濃路の分岐点にあたり、
たいへん賑わう宿場でした。
追分は宿場の東に当たり、旅人が道に迷わないように、
自然石の道標が立てられた。
  ――中略――  
この道標は宝永六年(1709)垂井宿の問屋 奥山文左衛門が建てたもので、
中山道にある道標の中で七番目ほどの古さである。)とある。

説明にあるように、昔から、道に迷う人のために道標は作られたのだ。
ボクが迷ったのは、はるか手前に(追分)の信号があるからで、
あの信号が(追分東)にでもなっていれば問題はなかった。


(昔は人足渡しであった相川橋)


(垂井宿東の見付の案内看板)

T字路は川の為で、T字路を右折するとすぐ橋があり、
これを渡ると垂井宿である。
橋を相川橋といい、江戸時代には人足渡しであったと、案内がある。
橋を渡り終えた所が垂井宿の(東の見付)で、
垂井町の説明では、
(垂井町は中山道の始点江戸日本橋から約440km、
五十八番目の宿になります。
見付は宿場の入り口に置かれ、
宿の役人はここで大名などの行列を迎えたり、
非常時には閉鎖したりしました。
ここ東の見付から約766mにわたり垂井宿が広がり、
広重が描いたことで知られる西の見付に至ります。)とある。

ここで問題は五十八番目の宿場と書かれたことだ。
ボクは五十七番目であると記憶していたが、
これでは大津宿は70番目となり、
中山道69次が中山道70次になってしまう。
人が書く案内だから、こんな間違いがあるものだが、
毎日 目の前を通っている垂井町の住民は気が付かないのだろうか?
住民はともかく垂井町の観光協会や、
観光ガイドの方たちは、
こんな案内を見もしないのであろうか?
小学生や中学生が、住まいの歴史を調べる時に、
間違ってしまう。

すぐ横には、(中山道 垂井宿)の標柱があり、
さらに垂井町商工会青年部が造った立派な(垂井宿案内図)が掲示されている。


(中山道 垂井宿の標柱)


(垂井宿 案内図)

時計を見ると17時近い。
赤坂の金生山明星輪寺で時間をとられ、思わぬ時間が掛かってしまった。
いつもなら16時前後に切り上げる所なのに・・・

相川橋を渡り、左折してJR垂井駅に向かい今日の宿泊場所 大垣駅へ帰る。
本日の歩行数56876歩=約33kmであった。

なお、帰宅後、垂井町役場へ電話して、
江戸から数えて「58番目の宿場」の案内の間違いを、
「57番目の宿場」に訂正して頂くよう
依頼したことは言うまでもない。