世の中で人気のある人やモノは価値があると言える。
だが、この世の中というものは結構いい加減なような気がする。
昨日までの人気者が、今日はバッシングの対象なんてこともあるし、唐突にタピオカがブームになることもあった。
つまり、世の中やみんなというものは割とあいまいなようだ。
松尾芭蕉の句にこんなのがあった。
◆新しい価値を発見する
「枯れ枝に 烏のとまりけり 秋の幕」
枯れ枝はそれのみでは無価値だ。烏だっておそらくそうだろう。
しかし、その背景に秋の夕焼け空が広がっていたらどうか。
これはなんと、金屏風に墨絵を描いたような芸術美ではないか。
無価値だったはずの枯れ枝や烏は、準主役級の扱いとなる。
人も同様なのかもしれない。
無価値として見捨てられていた人やモノに、新しい価値を発見する。
それにより、人生ががらっと変わることもあるかもしれない。
その時には、人生っておもしろいな、と言っていることだろう。
先日にも書いたが、画家ゴッホの言葉に通じるものがある。
「美しい景色を探すのではなく、景色の中に美しいものを見出すのだ。」
はてさて、果たしておいらに新しい価値を見出すことはできますかねぇ・・
だが、この世の中というものは結構いい加減なような気がする。
昨日までの人気者が、今日はバッシングの対象なんてこともあるし、唐突にタピオカがブームになることもあった。
つまり、世の中やみんなというものは割とあいまいなようだ。
松尾芭蕉の句にこんなのがあった。
◆新しい価値を発見する
「枯れ枝に 烏のとまりけり 秋の幕」
枯れ枝はそれのみでは無価値だ。烏だっておそらくそうだろう。
しかし、その背景に秋の夕焼け空が広がっていたらどうか。
これはなんと、金屏風に墨絵を描いたような芸術美ではないか。
無価値だったはずの枯れ枝や烏は、準主役級の扱いとなる。
人も同様なのかもしれない。
無価値として見捨てられていた人やモノに、新しい価値を発見する。
それにより、人生ががらっと変わることもあるかもしれない。
その時には、人生っておもしろいな、と言っていることだろう。
先日にも書いたが、画家ゴッホの言葉に通じるものがある。
「美しい景色を探すのではなく、景色の中に美しいものを見出すのだ。」
はてさて、果たしておいらに新しい価値を見出すことはできますかねぇ・・