子供はかまってくれない

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映画「ブラックパンサー」:ケンドリック・ラマーに誘われて

2018年04月21日 11時38分30秒 | 映画(新作レヴュー)
以前にも書いたが,MARVELものが苦手だ。単純な勧善懲悪一直線のヒーロー礼賛型も,悩めるヒーローの暗黒面クローズアップ型も,どちらも週末の気分転換としての効能は,私にとっては高いとは言えない。決してアクションものが嫌いという訳ではないのだが,どうせ観るなら最後まで主人公のミッションの成否や生死が分からないサスペンスで翻弄し続けて欲しい,というのがささやかな希望だ。その点でどんな作品でも続編ありき,つまりヒーローは深刻に悩むことはあれど決して死ぬことはない,という前提が,事前に観客にも諒解されているMARVEL作品に心惹かれることは殆どなかった。
唯一気になったのは,完全無敵のヒーローを客観視できる引いた視点を持った作品,例えば「デッドプール」のようなコメディタッチのパロディものくらいだった。この「ブラックパンサー」を観るまでは。

主役は勿論,登場人物の殆どが黒人という本作品の何よりのフックは,ケンドリック・ラマーが音楽を担当していることだった。ダークでありながら,地中からふつふつと湧き出てくるような熱いビートは,アフリカのヴァーチャル・シティを舞台に繰り広げられる復讐劇に良くフィットしている。
加えて「危機に瀕して賢者は橋を架け,愚者は壁を立てる」という台詞に代表されるような,反トランプ的空気が濃厚な点も特筆すべきだろう。白人至上主義を信奉するグループを文字通り「ブラック」なコメディという形でパワフルに描いた佳作「ゲット・アウト」のダニエル・カルーヤが重要な役で出演しているのも,そんな空気感を加速するのに一役買っている。

だが作品全体を俯瞰すると,インドの大ヒット映画「バーフバリ」シリーズを,ハリウッドでアフリカ・バージョンにリブートした作品,という感触が拭えなかった。王国の正統な後継者が数々の困難を乗り越え,玉座に返り咲く,というベタな展開は,MARVEL的王道感に沿うものだとしても,ラストのアクションのつるべ打ち(象とサイの違いはあれど)は,明らかに「バーフバリ」そのもの。複数の戦闘が織りなす高揚感,という魅力に抗えなかったのだろうが,せめてもう一工夫欲しかった。

とは言え,これまでは主に黒人層のみで受け容れられてきた,1970年代に流行した「ブラックスプロイテーション」の流れを汲む作品の後裔が,アメリカで「タイタニック」の興行収入を上回ったというのは実に画期的なこと。
間違いなく作られるであろう続編では,新鮮だったアフリカン・テイストをより活かしてくれることを期待して☆をひとつ追加。
★★★☆
(★★★★★が最高)


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