子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「ファントム・スレッド」:ジョナサン・デミに捧げられた一針入魂の超絶恋愛バトル

2018年06月03日 20時53分46秒 | 映画(新作レヴュー)
ポール・トーマス=アンダーソン。略してPTAは,同じ略語で語られる日本の組織とは異なり,降りかかるさまざまな圧力をものともせずに,独自の表現を研ぎ澄ましてきたアメリカ映画界きってのシネアストだ。
同じように,興行的評価とは異なるフェーズに留まり,独力でマスターピースをものしてきたロバート・アルトマンを師と仰ぐ彼が,ファッション業界の裏側を抉った師の作品「プレタポルテ」にヒントを得たのかどうか定かではないが,一点もののドレスを作り続ける天才的な職人と,彼のドレスを具体化するための理想のモデルとして迎え入れた女との恋愛を描く新作「ファントム・スレッド」は,これまでの作品同様に壮絶かつパワフル,かつ意味深なタイトルが観終わった後もじわじわと効いてくる秀作だ。

物語は宿命的な出会いから始まりながら,絶望的な格差故に受け身に立たされていたアルマ(ヴィッキー・クリープス)が,形勢をひっくり返すためにとんでもない手を打つ地点からもの凄い勢いで相貌を異にし,転がり落ちていく。
それまでの「天才肌だが神経質な職人レイノルズ」ヴァーサス「完璧な身体を持ちながら世俗的な自由や享楽を愛する女アルマ」というやや紋切り型の対決構造が,アルマが打った手を皮切りに,妥協と依存とプライド,そして愛情が,入れ子構造で次々と顔を覗かせながら,弟を案じる姉や服地に髪を縫いこむ程に追慕していた母を押しのけて,共依存へと進んでいくプロセスに圧倒される。

主役のデザイナーを演じるダニエル・デイ=ルイスが,本作を最後に役者を引退する,という話題が先行しているが,百戦錬磨のルイスは肩ならぬ,針を刺す指に余計な力を入れることなく,レイノルズの複雑なキャラクターを見事にスクリーンに定着させている。脚本も担当したPTAは,ルイスを念頭に置きつつ,センチを瞬時にインチに換算し,朝食の席でバターではなく塩を振ったアスパラを食べながらデザイン画を描き上げ,いつまでも母を幻視し続ける天才の姿をじっくりと作り上げていったに違いない。そんな彼を,母と姉と妻の役割をすべて背負って見守り続けるレスリー・マンヴィルの防御力と,優雅かつ時に観る者をドレスのドレープの空間で宙ぶらりんにさせてしまうジョニー・グリーンウッドの紡ぐメロディーが,PTA史上最も女性観客を惹きつけるであろう(希望的観測)物語の力強いエンジンとなっている。

冒頭でオスカー・ピーターソンとネルソン・リドルによる「My foolish heart」を耳にし,ラストのクレジットで「ジョナサン・デミに捧ぐ」という文字を目にして,「こうやって文化と人の思いは受け継がれていくのか」という思いに耽りつつ,優雅で恐ろしい脅しを堪能した。パートナーと微妙な関係にある皆さま,旬のキノコのバター炒めにはくれぐれもご用心を。
★★★★☆
(★★★★★が最高)


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