子供はかまってくれない

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北京五輪雑感NO.2:柔道とサッカーに見る選手選考の難しさ

2008年08月19日 23時30分23秒 | Weblog
18日までに誕生した日本人金メダリストは,柔道の石井を除けば,北島,内柴,谷本,上野,吉田,伊調と,アテネ五輪で獲得した栄冠を死守することに成功した選手たちばかりだ。
「世界一」という称号が与える重圧や喧噪に耐え,4年間という長い時間を経て再び戴冠の栄誉に浴するまでの心の動きは,当事者でなければ分からないほど振幅の激しいものであったに違いない。自分との戦いに決着を付けた上で,最終的に最高の結末に辿り着いた精神力は,真に賞賛に値するものだと思う。

しかし,こうしてスポットライトが当たる選手がいる反面,出場する選手を選考する難しさもまた,毎回議論の的となっている。
今回の柔道女子で,最終選考会となった選抜体重別を制した選手は,銅メダルを獲得した52㎏級の中村のみ。同大会の決勝で,谷に完勝した山岸は,どんな気持ちで谷の試合を観ていたのだろうか。
一方で,見事に結果を出した谷本は,同じく連覇を果たした上野雅恵の妹である上野順恵に,同大会で敗れている。結果だけを見るとこの選手選考は,正しい判断を下したと評価されるべきだろう。谷本に勝った上野順恵は,当然抱いたはずの「私が出ていても…」という気持ちを,次回ロンドンまでしっかり持ち続けて欲しいと思う。

こうした勝敗や記録がはっきりと出るが故に,かえって選考過程が問題となる柔道や陸上といった個人競技と違って,基本的に監督の判断に一任されていることが,別の意味で議論になる競技の代表がサッカーだろう。

アジア代表4チームの中で,唯一3敗,勝ち点0に終わった反町ジャパンは,全て1点差の敗戦を評価するようなコメントがサッカー協会の会長から発せられたようだが,試合内容を見れば,真剣勝負に出たとは決して言えないレヴェルに終始したとしか思えなかった。
その要因の一つには,チームとしての統一感の無さが挙げられるのではないだろうか。

個人で勝てない相手に対して,とにかく数的優位を作る,という意図は間違いのないものだ。その狙いはどの試合でも明確だったし,進もうとしている方向性は各選手に浸透していたように感じた。問題はその先だ。
奪ったボールをダイレクトで動かす,前の選手がオフ・ザ・ボールで動いて作ったスペースに,間断なく後ろから選手が入り込む,といった連動・流動的なプレーは,殆ど全く見ることが出来なかった。

ピッチレヴェルの原因は様々あるのだろうが,短い期間でチームとしてのまとまりを作り上げられなかったことが影響した可能性は,多分にあるのではないだろうか,という気がする。
選考期限ギリギリまで待ってニューフェイスやコンディションの良い選手を見極めるのか,早めにチームを固めて結束力を高めることを選択するのかは,監督の判断だ。
だが,8月7日の初戦に向けて,7月14日に登録選手を発表するというスケジュールが,果たして適切なものだったかどうかは,オーバーエイジの選手に対するスタンスと同様に,私には疑問が残った。他の参加国と違って,本田,水野,森本ら一部の選手を除けば,ほぼ国内在籍選手だけで構成されるチームというアドヴァンテージを活かして,もう少し「熟度」,いや「チームとしての一体感」を醸成することが出来なかったのかという疑問だ。

大会の開幕前は,どちらかというと青山や梅崎,柏木ら,予選で身体を張って北京行きの切符を獲得することに貢献しながら,中国の地を踏めなかった選手達の無念に気持ちが行っていた。しかし,日本が初めてW杯に出場したフランス大会を引き合いに出すまでもなく,それはどんな大会でも必ず付きまとう課題であり,チームはそれを乗り越えて結束を高め,最高の精神状態で試合に臨まなくてはならないこともまた,こうした大会の常だ。

にも拘わらずオランダ戦後には,前からプレスをかけない,という監督の指示を守らずに,選手間で話して「前から行った」という選手の談話や,サポーター席に挨拶に行かなかった選手がいたという報道があった。プレーに現れていた統一感の無さが,チームの実体をそのまま示していたのだとすれば,チーム作りに関して監督が取った選択(選手決定時期とオーバーエイジに関する判断)こそが,日本男子チームのアキレス腱になってしまっていた,という可能性は(残念ながら)充分にあったと考えざるを得ない。何を言っても,もはやは手遅れではあるけれど,残念だ。

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