子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

本「『ゴジラ』とわが映画人生」本多猪四郎:世界の「ホンダ」は「妖星ゴラス」の怪獣登場を悔やんだ

2011年02月16日 20時58分40秒 | 本(レビュー)
日本が世界に誇る怪獣・SF映画の創造主である本多猪四郎が「生前遺した唯一の本格インタビュー集(本書帯より)」が,生誕100年を記念して新書となって復刻された。
監督の語りがそのまま採録されているようであり,加えて,本当はこの受け答えを基にして第2弾のインタビューも予定されていたこともあってか,読み物としての完成度はお世辞にも高いとは言えない。だが,山形生まれの朴訥とした人柄が滲み出たような語り口からこぼれ出る,仕事に対する真摯な姿勢は,キングギドラが繰り出す光線のように強力だ。

晩年,本編を撮らなくなった後に黒澤明の助監督としてクレジットされているのを見る度,本多の健在を確認していたのだが,映画監督としての姿勢がこれ程までに違う二人が,支え合って映画を作っていたというのは当時も驚きだった。
かたや「七人の侍」以降,作家性を高めるために会社の指示や予算の制約から逃れることにエネルギーを費やさざるをえなかった巨匠と,あくまで会社の方針に沿った脚本や予算の下で,ひたすら目の前の材料を輝かせることに腐心した職人。対照的な二人ではありながら,「ぼくはぼくなりにクロさんの仕事でいろんなことやるし,スタッフの一員としてなんでもやるしね」という気持ちで,巨匠の傍に静かに寄り添った本多の姿は美しい。

そんな本多がインタビューの中で唯一悔やむのが,タイトルに書いた「妖星ゴラス」で怪獣を登場させたことだ。確かに「流星との衝突を避けるために地球の軌道をずらす」という突拍子もない発想を,本格的なSF映画として仕立てるために費やされた途方もない努力が,「この辺でちょっと怪獣が欲しいな」とでもいうような会社の思いつきで怪獣が登場してくるシーンによって,かなり損なわれてしまったという印象はあった(それでも十分に名作ではあったけれども)。それに対して本多が「あれだけはウンと言わなければ良かったと思う」と回想する言葉は,重く突き刺さる。
だがそれは裏を返せば,会社があてがった制約だらけの企画の中で「自分なりに満足のいくように撮りたいと思って,撮ってきたということですよね」という崇高な自己肯定であり,「権力につながるものには反撥する」という心情を持ちつつ,東宝という巨大な組織の中で「花園の雑草(本多の信条)」として娯楽作を追求してきた彼の矜持に外ならない。

ロバート・フラハーティの名作ドキュメンタリー「アラン」が好きだという言葉に,「ラドン」のラストで阿蘇山の火口に落ちていくラドンを,延々と捉え続けたショットの原点を見た思いがした。
週末は「フランケンシュタイン対地底怪獣」を借りに行こうっと。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。