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子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「たかが世界の終わり」:カンヌが愛した天才,ということなのだけれど…

2017年03月05日 10時16分11秒 | 映画(新作レヴュー)
それまで使われてきた文法を書き換えるべく,格闘している姿がはっきりとスクリーンに刻印されている,飛び抜けて若い作家。その成果は既に世界的に高い評価を得ており,名だたる俳優が彼の下へと馳せ参じている。映画の未来,とまで謳われた作家の新作は,期待通りカンヌでグランプリまで獲得した。どこからどう見ても文句のつけようのないキャリアであり,その文脈で最新の果実を賞味しようとしたのだが,やはり駄目だった。相性というのもまた,彼,グザヴィエ・ドランが描いてきた「運命」のひとつの形と言えるのかもしれない,と改めて感じた99分だった。

家を出てから12年。音信不通状態だった末弟(ギャスパー・ウリエル)が,病に冒され余命幾ばくもないことを家族に伝えるために帰ってくる。ひたすらこの時を待ち焦がれていた母(ナタリー・バイ),既に兄の記憶は朧気となってしまった妹(レア・セドゥー),初めて会う兄嫁(マリオン・コティヤール),そして弟を受け容れない兄(ヴァンサン・カッセル)。ほぼ5人だけの会話劇は,弟という「火」によってひたすら濃密に絶望に向けて煮詰められていく。

ドランは冒頭から極度の緊張状態で待ち構えている家族と,そこへ「これが家族と会話を交わす最後の機会になるかもしれない」という覚悟を持って飛び込む弟とのやり取りを,フレーム一杯にクローズアップした彼らの顔を繋ぎ合わせることで,各々の視線が持つ熱を更に沸点近くまで高める。過去にも何度か付き合ってきたドランの作品らしいアプローチだが,日々の仕事で疲労困憊状態にある私にとっては,残念ながらその手法自体が「そういうの,ちょっと勘弁してくれませんか?」という感想にしか繋がらなかった。ご贔屓マリオン・コティヤールの美しさ,久しぶりナタリー・バイの包容力に満ちた母の輝き等々,オーソドックスなドラマであれば有効と思われる仕立てを前面に出すことを敢えて避け,兄と弟との刺々しい会話を,ドライヴァー目線の一人称カメラで延々と映し出すことを選択したドランの姿勢は,ある意味真のクリエイターであることを証明しているのだろうとは思うけれど,私にとってはどうしてもトゥー・マッチ感が拭えなかった。

27歳という年齢を考えれば,観客が映画に求めるもののレンジの広さを知って,日本のくたびれたサラリーマンも共感できる作品を作ってくれる可能性は排除しない。だが,今の私にとってカナダを代表する作家といえば断然ドゥニ・ヴィルヌーヴの方だ。ドランにはごめんなさいだけれども,思いは既にドゥニの新作「メッセージ」へ。
★★☆
(★★★★★が最高)


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