子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

ブルガリアン・ヴォイス「Le Mystere des voix Bulgares」:東洋と繋がる感覚

2007年11月27日 20時48分32秒 | 音楽(アーカイブ)
まだエミール・クストリッツァの映画を知らず,従ってバルカン半島のブラス音楽も聴いたこともなかった1987年,バウハウスやコクトー・ツインズで知られるマイナー・レーベルの4ADから出たこの作品を聴いた時の驚きは,TALKING HEADSの「Remain In Light」に圧倒された時のショックに,比肩しうるものがあった。

女声コーラス,というジャンルが想起させる一般的なイメージとは大きくかけ離れ,低い地声,しかも女性特有の優雅で柔らかな滑らかさとは異なり男声のようなインパクトを特徴とする力強くも懐かしい響きが,スピーカーから流れ出た時の感動は,今も鮮烈に蘇る。
しかも,農村に伝えられてきた素朴な民謡,という印象の陰で,時折顔を覗かせる東洋的なコードやハーモニーが,日本人の脇をくすぐる。一番こそばゆいところを的確に。

インターネット環境が標準となってしまった今と違って,自ら探索しない限りはこういった民族音楽に触れるチャンスがなかった当時,流行を追いかける若者に人気のあったレコード会社が,敢えて東欧の(基本的に)無伴奏の女声コーラスという地味な音楽を世に問うた意味は大きかった。
私のように予備知識なしで一聴し,仰天した日本の音楽ファンは数知れなかったはず。その証拠に,輸入盤を手に入れて間もなく,国内盤が発売されるとあっという間に人気に火がつき,続編も発売された。
更にはオリジナル盤のコーラス隊は来日まで果たし,オリジナル盤の録音の状態を引き合いに出して発売された「日本の最新録音技術によるライブ盤」も人気を博したと記憶する。

確かに録音では来日盤に一日の長があるが,やはりとどめはこのオリジナル盤。若い人の中には,管野よう子がアニメで使ったり,CM等でその独特の響きを耳にしたことがある人も多いかもしれないが,是非一度はこの盤で,生活と自然,歓びと畏怖,素朴と洗練が,無理なく同居している驚異の響きを耳にされたい。


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