
牛乳パックの入ったコンテナを抱え,誰も居ない廊下をやって来た少年が教室で起こった悲劇を目撃してしまい,教師にそれを伝えるために廊下の先に向かって走り出す。その間に始業のベルが鳴り,校庭で待機していた教師が教室にやって来て,何が起こったのかを確認し,慌てて児童を校庭に戻そうとしている間にもうひとり,少女が教室を覗いてしまう。
この間の出来事をワンカットで切り取った,冒頭のシークエンスの緊張感が映画のリズムを決めている。劇的に物語を盛り上げるような仕掛けや,教育を巡る鋭い台詞の応酬などは慎重に排除され,まるでドキュメンタリーのような空気をまとった95分間は,ゆっくりと静かに流れていく。
題名から,公立学校での教育を取り上げたローラン・カンテの秀れたドラマ「パリ20区,僕たちのクラス」のような展開を想像したのだが,教師と生徒のやり取りは,物語に占める割合で見るとおよそ半分くらいにとどまる。残りは秘密を抱えて代用教員としてやって来た「ムッシュ・ラザール」先生の,人生を巡る旅の物語だ。
アルジェリアに残した妻子を亡くし,難民申請をしている最中という身分を隠して,悲しみに暮れる生徒と向き合うラザール先生は,何事にも必死だ。
形容詞の一部が「限定詞」になったことを知らず,小学生には不向きなバルザックを書き取りの教材に選んだり,教師を中心とする扇形の机の並び方を「こんなのはおかしい」と言って,昔ながらの並行直線形式に戻させる。
どう見ても洗練されているとは言い難い「教育メソッド」ではあるものの,ほとんどの生徒はそんなラザールを教室の「原点」に据え直すことで,徐々に自分を取り戻していく。熱血教育でもなく,感動的なエピソードがある訳でもないのに,なぜか両者がそろそろと距離を縮めていく姿には,怒った時に思わず手が出てしまう,人間くさいラザールの立ち位置こそが,コミュニケーションの入り口なのかもと思わされる説得力がある。
ラザールの歩みに歩調を合わせようとする少女と,悲劇を引きずる少年のふたりは,カナダのアカデミー賞と言われているジニー賞を受賞したそうだが,毎日ブラウン管を騒がせている日本の天才子役たちとは全く異なる,自然体の佇まいで,スクリーンを静かに支配する。
雪の校庭,天板が開く机,死者の写真,そしてムッシュ・ラザールのぎこちない笑顔。小さいけれども,ひっそりと硬質の光を発し続けるような映画だ。
★★★☆
(★★★★★が最高)
この間の出来事をワンカットで切り取った,冒頭のシークエンスの緊張感が映画のリズムを決めている。劇的に物語を盛り上げるような仕掛けや,教育を巡る鋭い台詞の応酬などは慎重に排除され,まるでドキュメンタリーのような空気をまとった95分間は,ゆっくりと静かに流れていく。
題名から,公立学校での教育を取り上げたローラン・カンテの秀れたドラマ「パリ20区,僕たちのクラス」のような展開を想像したのだが,教師と生徒のやり取りは,物語に占める割合で見るとおよそ半分くらいにとどまる。残りは秘密を抱えて代用教員としてやって来た「ムッシュ・ラザール」先生の,人生を巡る旅の物語だ。
アルジェリアに残した妻子を亡くし,難民申請をしている最中という身分を隠して,悲しみに暮れる生徒と向き合うラザール先生は,何事にも必死だ。
形容詞の一部が「限定詞」になったことを知らず,小学生には不向きなバルザックを書き取りの教材に選んだり,教師を中心とする扇形の机の並び方を「こんなのはおかしい」と言って,昔ながらの並行直線形式に戻させる。
どう見ても洗練されているとは言い難い「教育メソッド」ではあるものの,ほとんどの生徒はそんなラザールを教室の「原点」に据え直すことで,徐々に自分を取り戻していく。熱血教育でもなく,感動的なエピソードがある訳でもないのに,なぜか両者がそろそろと距離を縮めていく姿には,怒った時に思わず手が出てしまう,人間くさいラザールの立ち位置こそが,コミュニケーションの入り口なのかもと思わされる説得力がある。
ラザールの歩みに歩調を合わせようとする少女と,悲劇を引きずる少年のふたりは,カナダのアカデミー賞と言われているジニー賞を受賞したそうだが,毎日ブラウン管を騒がせている日本の天才子役たちとは全く異なる,自然体の佇まいで,スクリーンを静かに支配する。
雪の校庭,天板が開く机,死者の写真,そしてムッシュ・ラザールのぎこちない笑顔。小さいけれども,ひっそりと硬質の光を発し続けるような映画だ。
★★★☆
(★★★★★が最高)