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映画「ナチス第三の男」:実力派女優の揃い踏みにも拘わらず

2019年02月11日 11時26分43秒 | 映画(新作レヴュー)
本屋大賞を受賞した原作の「HHhHプラハ,1942年」でもなく,映画の原題「THA MAN WITH THE IRON HEART」の訳でもなく,「ナチス」を除いたら往年の名作と同じ題名となってしまうタイトルを敢えて選んだ理由は,少しでもキャロル・リードが遺したクラシックの威光を借りようとしたのだろうか。仮にそうだとしたら,配給会社の担当者は本作の構造的な弱さに自覚的だったと言えるだろう。高い志とは裏腹に「ナチス第三の男」は,映画的な吸引力という点において,「第三の男」の足元にも及ばないレヴェルに留まっている。何がいけなかったのだろうか。

ユダヤ人虐殺の首謀者として悪名を馳せたラインハルト・ハイドリヒ暗殺事件を扱った本作は,女性問題で軍事裁判にかけられ,海軍を不名誉除隊となったハイドリヒが,ナチ党に入党し頭角を現していく導入部から暗殺事件までを描いた前半部は極めてスリリングだ。何と言ってもハイドリヒを影で操る妻リナ役にロザムンド・パイクを起用したことが当たった。怜悧な頭脳と残虐性を武器に,ナチ党でのし上がっていくハイドリヒの背中を押すリナの,人間的な温かみの欠片も宿さない目力は,「ゴーン・ガール」で見せたサヴァイヴァルのためには殺人も厭わない稀代の悪女をここに再び甦らせている。このトーンでもし最後まで押し切ることが出来ていたならば,「ナチスの妻たち」という新しい視点での歴史検証が成立していた可能性はある。

しかし,ハイドリヒの暗殺以降,残念ながら視点はレジスタンス側に完全に移ってしまう。この視点の移動が,作品の体幹を砕いてしまったことは否めないが,更に残念だったのは以降の展開が既視感のあるもの,もっと言えば2017年に公開された「ハイドリヒを撃て!『ナチの野獣』暗殺作戦」の完全なる焼き直しに終始していたことだ。ナチス高官一人の暗殺が数千人のユダヤ人への報復に繋がったこの暗殺事件については,年代を超えて繰り返し語られなければならない,という制作者の強い意志は充分に理解するものの,その描写の強度,斬新さという点で本作が先行する「ハイドリヒを撃て!」を凌駕するものとはなり得ていないことは明らかだ。せっかくレジスタンス側の恋人にミア・ワシコウスカという芸達者な女優を配していながら,パイク同様にその力はスクリーンに刻印を遺せてはいない。

視点が一貫していたが故の突進力を持ち得ていた「ハイドリヒを撃て!」さえ観ていなければ,星はもう一つ増えていたかもしれない。責はプロデューサーにありか。
★★
(★★★★★が最高)


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