子供はかまってくれない

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映画「リアム16歳,はじめての学校」:素晴らしき「公立学校での冒険」

2019年07月06日 19時16分11秒 | 映画(新作レヴュー)
資格試験を受ける息子に付き添ってきて学校の中まで入り込み,自宅で行うプロム!で踊る相手は自分。コンドームを渡して,装着するまでの時間を計らせる。自宅で勉強を教え,反抗期が訪れたとみるや「十代の反抗期にやるべきこと」を息子と一緒に考える。こんな母親がいたら,間違いなく息子はグレる。ところが本作の主人公リアム16歳は,そんな母親と二人だけの暮らし(時として母親の母,つまり祖母がいつの間にか同席していることが多いのだが)を続けながら,グレるどころか,義足の美女をフックにして,マイペースで「親離れ」という課題に取りかかる。リアムを演じる,横顔が油の抜けたアンドリュー・ガーフィールドみたいなダニエル・ドエニーの爽やかな笑顔が,全力で画面を駆け抜ける86分だ。

主人公は16歳になるまで学校には行かずに自宅で母親から教育を受け,大学で天文学を学ぶために高卒資格試験を受けようとしている,という設定なのだが,何故シングルマザーの母親クレア(ジュディ・グリア)が彼を学校に行かせなかったのか,という理由は一切説明されない。生活費はどうしているのか,大事な場面になると何故か車に同乗している祖母は,普段はどうしているのか,公立学校なのに何故リアムは欠席している「マリア・サンチェス」の代わりとしてしか登校を許可されないのか,といった些末な事項も言わずもがな。その分,身軽になった物語はクレアとリアムのくんずほぐれつの格闘を中心に,軽やかに転がっていく。

母親に精神的に支配されていたであろうリアムは,試験の際に義足の美少女を見かけたことで,元々内蔵されていた成長と自立のためのスイッチが入り,原題通り「公立学校での冒険」へのチャレンジを決意する。軽快なビートに彩られ,常に余白を強調するパステル調の画面で展開していく物語のエネルギーは,間違いなくリアムが「リアルな社会は決して優しくない」という現実を受け容れて,面白がるマインドだ。美少女を追いかけるリアムが学ぶのは,痛みなくして得るものなし,というリアルな実学なのだが,その痛みを眉間に皺を寄せることなく母親と共有していく姿は「マザコン」という概念を軽々と飛び越えていく。

観終わった充実感の正味重量は「(500)日のサマー」には及ばないものの,ラストシーン,本物の「マリア・サンチェス」の笑顔は,ズーイー・デシャネルのそれに匹敵する。
★★★
(★★★★★が最高)


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