子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「パイレーツ・ロック」:憧憬のブリティッシュ・ロック勃興期

2009年10月25日 21時45分40秒 | 映画(新作レヴュー)
海賊放送を流してきた船が沈没することが明らかになった後,物語は突如としてジェームズ・キャメロンの「タイタニック」を1/100くらいにスケール・ダウンしたパニック映画の様相を呈する。2作品の違いは,(沈没船の規模以外では)こちらがフィリップ・シーモア=ホフマン扮するDJ「伯爵」がかける,プロコル・ハルムの「青い影」とビーチ・ボーイズの「素敵じゃないか」の見事なプロモーション・ヴィデオになっているという点だ。無理矢理かつベタな展開にも拘わらず,ここまで60年代のロックの名曲群に浸されていた観客の涙腺は,ここで脆くも決壊してしまうのだった。

鈴木慶一の新作「シーシック・セイラーズ登場!」のコンセプトを,そのまま映画にしたようなリチャード・カーティス監督作品。船倉に巣くう鼠のようにぞろぞろと出てくる登場人物を紹介する複数のエピソードを,海賊放送を潰そうと躍起になる大臣(ケネス・ブラナー)の暗躍劇で串刺しにした構成は,興行的には世界規模でヒットを記録し,比較的世評も高かった「ラブ・アクチュアリー」にそっくりだ。
個々のエピソード自体には特に言うべきものは見当たらないし,映像センスやユーモアも今ひとつ冴えない。にも拘わらず,不覚にもラストで,涙でスクリーンが滲んでしまうのは,ロックに少しでも興味を持つ人間ならば絶叫必至の見事な選曲と通好みのキャスティングによって,現代では死語と化したと思われる「連帯」や「絆」の崇高さが,自然な形で表現されているからに他ならない。

とにかく楽しそうなホフマンの余裕も際立っていたが,ビル・ナイの毅然とした船長ぶりも光った。これも子供向けの紙芝居に過ぎなかった「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズで経験を積んだが故の成果と考えれば,世に意味のないものはない,という故事を噛みしめねばならないかもしれない。また作品全体を締めていたケネス・ブラナーの怪演も,シェイクスピア俳優・演出家として大活躍していた往年を知るものにとっては実に感慨深い。次に演じるべきは「ベニスの商人」のシャイロックだ。

しかし現代の音楽を聴いている若者に向けた作者の最も熱いメッセージは,劇中で印象的に使われていたダスティ・スプリングフィールドに呼応させるかのように,ダフィーをエンドクレジットに被せる曲で起用したことだろう。
映画の最後で「1967年夏が海賊放送の最盛期だった」というロールを出すことにより,ロックが最も熱かった時代を懐かしんでみせる一方で,2000年代の最後を飾るべく登場してきた歌姫に,60年代のソウル・ディーバの正当な継承者になることを託す。それはその願いが成就することこそ,出演者が最後に「ロックン・ロール!」と叫んだあの昂ぶりが,あれから40年以上が経つ今も,世界中の至る所で生きていることの証左に他ならないからなのだ。
★★★★☆
(★★★★★が最高)


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