夜は標題の講談公演に足を運んでまいりました。上野広小路亭での開催でした。
1997年に国の記録選択無形文化財の技芸者としても指名された、二代目神田山陽師匠が他界されてから十三回忌の節目に、直弟子・孫弟子13名による講談のみの企画でありました。
会場にはロビーにも溢れてしまうぐらい大勢の聴衆が詰め掛け、なんと高座の上にも上げてしまう盛況ぶりでした。高座に上がる講談師が軒並み「こんな状況は初体験」と言うぐらいの珍しい光景でした。
トリは二代目神田山陽師匠が映像で登場。「海賊退治」の一席を披露されておられました。
神田陽子・紫・紅の3師匠による「源左衛門の駆けつけ」は、交代で一つの演目を語る「車読み」ではなく、3人同時に高座に上がって、しかも釈台の前で話すだけではなく、立ち上がって演じる場面も見られる珍しい店方でした。まさかEXILEの振り付けまで飛び出すとは・・・。
師匠を持たずに独学で講談師となり、面子が手薄だった神田一門を「日本講談協会」という一大グループにまで育て上げた二代目神田山陽は、まさに講談界に一時代を築いた名講談師だったのでしょう。
神田陽子師匠が「二度目の清書」のまくらで(講談の場合まくらって言うんでしょうか?)、「(山陽師匠は)三べん稽古なんて言わずに、テープも使っていいから、10年かかったところを5年で、5年かかったところは3年で上達するように・・・と仰っていました」とエピソードを語っておられました。そういった意味では講談界の「改革者」でもあったのもかもしれません。
海賊退治を聴きながら、祈冥福。
<写真:鮨詰め状態の会場。高座にも聴衆が上がる。>
1997年に国の記録選択無形文化財の技芸者としても指名された、二代目神田山陽師匠が他界されてから十三回忌の節目に、直弟子・孫弟子13名による講談のみの企画でありました。
会場にはロビーにも溢れてしまうぐらい大勢の聴衆が詰め掛け、なんと高座の上にも上げてしまう盛況ぶりでした。高座に上がる講談師が軒並み「こんな状況は初体験」と言うぐらいの珍しい光景でした。
トリは二代目神田山陽師匠が映像で登場。「海賊退治」の一席を披露されておられました。
神田陽子・紫・紅の3師匠による「源左衛門の駆けつけ」は、交代で一つの演目を語る「車読み」ではなく、3人同時に高座に上がって、しかも釈台の前で話すだけではなく、立ち上がって演じる場面も見られる珍しい店方でした。まさかEXILEの振り付けまで飛び出すとは・・・。
師匠を持たずに独学で講談師となり、面子が手薄だった神田一門を「日本講談協会」という一大グループにまで育て上げた二代目神田山陽は、まさに講談界に一時代を築いた名講談師だったのでしょう。
神田陽子師匠が「二度目の清書」のまくらで(講談の場合まくらって言うんでしょうか?)、「(山陽師匠は)三べん稽古なんて言わずに、テープも使っていいから、10年かかったところを5年で、5年かかったところは3年で上達するように・・・と仰っていました」とエピソードを語っておられました。そういった意味では講談界の「改革者」でもあったのもかもしれません。
海賊退治を聴きながら、祈冥福。
<写真:鮨詰め状態の会場。高座にも聴衆が上がる。>