「前」 蕨市議会議員 おおしま公一活動報告

2015年5月31日。まさかの落選を果たした?「前」蕨市議会議員おおしま公一の修行の日々をお伝えしていきます。

未練がましい人達 新人議員のつぶやき⑫

2009-05-25 18:23:44 | つぶやき
昨日投開票だったさいたま市長選挙は、民主党県連支持候補者が当選をした。活動を微力ながら手伝わせていただいた身としては率直にうれしく思う。

今日、各マスコミの報道を見ていると、敗れた陣営の人たちが「政党対立を持ち込まれた」「国の政局を持ち込まれて政策で勝負できなかった」といった趣旨の事をの賜っていたようである。連日民主党本部の役員が応援に入り、鳩山代表も代表就任後初の地方遊説が今回の選挙戦であったわけだが、こうした点を指しているものと思われる。

こうした候補者たちは(候補者本人が言ったわけではないにしても)自身の行動の結果を他者になすりつけている時点で、既にリーダーの資格はなかったのであろう。市民の皆様はやはりそれを見抜いておられたようである。

民主主義とは「最大多数の最大幸福」を追求するシステムである。これは多数決とも言いかえられる。政党とはこの「最大多数の最大幸福」を議会という場を通じて実現する仕組みである。首長も例え形式的に無所属であっても、己が提出した議案や予算を実現するには議会の賛成-それは実質的には最大会派の-を得る必要がある。民主党出身の上田清司埼玉県知事が、自民系会派にも配慮する必要があるのは、こうした事情によるものだ。我が国が議会制民主主義を採用している以上、個々人の好き嫌いに関わらず政党の存在を否定することはできない。中央集権的な我が国で地方分権を進めるために、国の政治のあり方が重要なのではないのか?地方分権が進んだ場合でも、十分な見識をもったリーダーがいなければ自治体運営はできないのではないか?我が民主党は「地方分権が進んだ場合、さいたま市を任せられるのこの人だ」と思ったから当選した候補者を支持したわけです。これを単なる「政局」という見方をしてしまう人は、やはりリーダーの器にあらず!脳みそが55年体制のままの人たちが除外された今回の選挙戦はやっぱり良かったと思う。

上記のような「負け惜しみ」をの賜った候補者たちは、何らかの形で政党の支持を得ていた人たちばかりである。当選した候補者は「○○という政党の支援を受けています」ということを正直に表現したに過ぎない。やはり真面目な正直者が最後には勝つということか?

でも、こうした「負け惜しみ」を現職の候補者も言っていたのには正直幻滅でしたが・・・。未練がましいことこの上ないです。

日本もいい加減に「人治」から「法治」に変わる必要があります。

どうも釈然としない「県民党」というロジック~新人議員のつぶやき⑪~

2009-03-30 12:37:40 | つぶやき
昨日投開票の千葉県知事選は、報道もされているとおり森田健作氏の当選と相成った。

タレント候補の行政手腕を云々する論調はあろうとも、千葉県民が森田氏を選択したという事実は重いと思う。民主党員としては推薦候補であった吉田氏に結果が出なかったことは率直に残念だとも思う。

しかし、私がどうも釈然としないことは、森田氏が「県民党」「無所属」を名乗り、当選確定後のコメントとして「政党など関係ない。皆さんの力で当選できた」とまで言いながら、実際には自民県議の半数が支持し、自民党支持層の7割近くが指示をしたという事実がある。(いずれも報道によればの話だが)つまり、当選のために必要な基礎票については、ほぼ自民党にまつわるところで固めたとも言えるのではないか?自民党所属の議員が応援に来てもマイクを握らせなかったという。美味しいところ取りでは?と思う私は穿ち過ぎなのでしょうか?最初から「政党の支持、応援お断り」としたほうが「県民党、無所属」というロジックももっと分かりやすかったのではないか?

首長選のみならずあらゆる選挙で「県民党」「市民党」「無所属」を名乗る風潮に苦々しい思いを抱いていることは、以前このブログでも書きました。支援されながらその支援は無かったことにする。どうにも筋が通らないように思えて仕方ありません。それだけ政党が市民や県民や国民のために働いていないと思われている証左なのでしょうか?

どうにも上手くまとまりませんが、そんなこと思った昨日の選挙結果でした。

県民党、市民党~新人議員のつぶやき⑩~

2009-03-15 13:04:18 | つぶやき
現在千葉県知事選挙が行われている。民主党は社民党、国民新党とともに鉄道事業の経営者であった方を推薦している。

この候補者の方は「一番最初に応援メッセージをいただいた民主党を信じ推薦を受けた」と仰いました。

一方他の候補者の方々は、実質的には各政党の支援を受けながらも「県民党」を標榜し、政党色を消そうと必死であるように見える。

今回の選挙に限らず、私はこの「県民党」「市民党」というロジックは結構胡散臭いものだと思っている。特に最近は、今回の知事選のように政党の支援を受けているのは明らかなのに「私は県民党!」と主張している場合が多々見受けられるように思う。「無所属」というカテゴリーも同様の文脈で用いられることが多い。

民主主義とは最大多数の最大幸福を追求するシステムである。政党というのは主義主張を同じくする者たちが。この「最大多数の最大幸福」を獲得する営みである。一人ではできないことを多数でなすのは企業なども同じ仕組みであろう。故に「どこの政党にも関わらず、県民(市民)の目線で・・・」という主張は、「私は最大多数の最大幸福を追求するつもりはございません。」と言っているように聞こえてならない。仲間を募れない人が一体何を成せるというのか?しかも、今回の選挙の様に実際には政党の支援を受けていながら「政党には頼らず。。。」的な雰囲気を出そうなど偽装県民党ではないか?とも思えてならない。

現在の公職選挙法では党名を名乗る場合のみの手続きが定められており、実際には公党の所属であっても、「無所属」を名乗ることも可能である。この当たりが有権者に「県民党」「市民党」「無所属」というカテゴリーを分かりにくくしてしまう一員なのかもしれない。

議会制民主主義を敷いている以上、政党政治は無くすことはできない。それを無視して「県民党」「市民党」「無所属」などという標榜は正直なところ欺瞞ではないか?とすら思ってしまう。

政治家が「県民のために働く」「市民のために働く」ということは当たり前のことである。政党に所属していようがいまいが関係ない。冒頭申し上げた候補者の方々が「県民党」を主張すればするほど、「実際には○○党の支援を受けています」ということが余計明らかになってくるのではないだろうか。


筑紫哲也さんが残したもの~新人議員のつぶやき⑨~

2008-12-10 17:13:46 | つぶやき
私が毎週購読している週刊金曜日の今週の特集は、「筑紫哲也さんがのこしたもの」という内容だった。

私は筑紫氏の考えにすべて賛成はしないが、売らんかなの評論家が多い中、ブレない氏の姿勢が好きだった。どの年代の人間にも、公判中の容疑者でも自分の番組に呼んで話を聞く姿に驚いた。追悼番組に「綾瀬はるか」が出演していたことを見ても、氏の交流の広さがうかがえる。各国の首脳を自分の番組に招き、若者との対話を行う姿に、当時大学生であった私も珍しくニュースを見ようと思った。

オウム真理教の一連の事件では、自分の番組を放送しているテレビ局に対しても批判の手を緩めなかった。

正真正銘のジャーナリストに遅ればせながら黙とう。

本当のことを知っている人は少ない~新人議員のつぶやき⑧~

2008-08-21 22:29:08 | つぶやき
蕨駅西口のエレベーター設置が蕨市議会で争点となっていたことは、このブログでも再三報告させていただいたとおりです。

未だに「何でエレベーター設置に反対したの?」と聞かれます。しかし、この様に聞いてくる人たちの中で、民間企業のJRが持つこととなるエレベーターに蕨市の税金が使われることを知っている人は少ない。蕨市の税金が使われていることを知らないのに、蕨市議会が設置の賛否を決していることには疑問を持たないから不思議なものである。物事を深く考えてみるという習慣は一筋縄では身につかないのであろう。

お子様連れの親御さんや車椅子の方のことを考えればエレベーターはあった方がいいに決まっている。であればこそ、私ども民主クラブも3月議会で設置に賛成をしたのである。しかし、なぜ民間企業のJRの施設に市の税金が使われるのか?「小さいことを言うな!困っている人がいるんだから早く着けろ!」という人たちには、是非蕨市に多額の寄付をしていただきたいものである。こういう人たちに限って、市の財政が厳しくなると「何やっているんだ!」と文句を言ってくるのだろう。そのような人たちにはこのように申し上げたいと思う。

「財政が厳しい中、民間企業のエレベーター設置にお金を使えとあなた方が言ったものですから・・・」と。

有権者は議員に対して言いたい放題では許されないはずである。権利と義務、責任を一人一人が自覚してこそ市民社会が成立をするのだと思う。しかし、エレベーター設置の1件で、この国にその様な市民社会が成立するのは随分と先であると考えた。

議員だって人間だもの~新人議員のつぶやき⑦~

2008-08-11 21:51:08 | つぶやき
昨日まで行われていた機まつりで私は模擬店手伝いが終わると、自分もビールを買って飲んでいた。お祭りを楽しまずして商店街の活性化も地域の活性化もないと思っているからだ。

するとある方から「議員は飲んでは駄目」という私が最も意味不明と思っている「べき論」を忠告してきた方がいた。

ちなみにこの「忠告者」の方は私が日ごろ大変お世話になっている方であり、こうした形で取り上げるのは本来失礼であることを承知の上であえて申し上げる。

「なぜ議員はお祭りで酒を飲んではいけないのか」。実はこの問いに明確に答えられる人はいない。おそらく「何となくみっともないから」とか「また大嶋は飲んでいたと言われるから」といった類の答えになるのだと思う。

議員も一人の人間であり、私は聖人君子のようにふるまえるほどできた人間ではない。聖人君子のようにふるまえと要求しておきながら、「議員は一般市民の気持ちは分からない。生活感がない」と批判されては、支離滅裂もはなはだしい。以前このブログでも書いたが、有権者は議員に対して決してやりたい放題で許されるはずはない。私はこうした全く妥当性を欠いた忠告に対しては常に「右から左に受け流す」こととしている。

改めて宣言します。私は地元で大いに飲んで食べて、楽しい蕨での生活を送ります!私が飲んでいる姿を見たらネット、ブログ、2ちゃんねる、はたまた怪文書等々でどんどん私のことを流布していただきますようお願い申し上げます。大歓迎です。

私にとってエネルギーになりこそすれ、けん制などには全くならないのでお知りおきを。

蕨市民の方はこうした本質とは全く関係ないことで、投票行動が変わるほど愚かではありません。こんなことで足を引っ張ることができると考えている「業界人」はよほど視野が狭い方なのでしょう。

以上、久しぶりの新人議員のつぶやきでした。

相変わらずの民主党嫌いたちへ~新人議員のつぶやき⑥~

2008-05-17 22:04:46 | つぶやき
今週の木曜日に三重県の視察先でテレビを見ていると某報道番組で、民主党の関東地方整備局への視察について報道がされていた。管直人代表代行をはじめ、民主党国会議員が国交省職員のタクシー券利用の領収証提出を求めた一件で、報道で目にした人も多いと思う。

この番組のコメンテーターは「こうした抜き打ち的な視察はやるべきだと思うが、1人2人の国会議員が声を荒げているのはいかがなものか。理詰めで迫った方が国民の理解を得られるのでは・・・」というコメントを出していた。

一見もっともなコメントではある。しかし、いくら予算委員会や国土交通委員会で「理詰め」な質問をしても曖昧な答弁で逃げ回られては真実を追求する手段も限られてくる。道路建設を行う際の道路交通量の調査も基準が答弁する人により二転三転する始末。

今回の整備局視察も1週間前に申し入れをしていたものである。視察を受け入れたかと思ったら突然の領収証提出拒否である。これでは語気が強まるのも無理ないのではないか。あそこまで強気で迫っても出てくる領収証はほんの一部である。

このコメンテーターはこうした経緯を知らなかったか意図的に無視したものと思われる。

そういえばこの報道番組は社主が与党と大の仲良しだったけ?その社主はフィクサーをきどって連立工作をしていたっけな?「声を荒げるのがけしからん!」と言うのであれば、二大政党制で論戦で白黒はっきりつける政治を主張すべきでは?自分のところが持っている野球チームの成績がいまいちだからと言って野党叩きで溜飲を下げるのは勘弁願いたい。でもこのコメンテーターは某関西の球団のファンで昔は朝のプロ野球ニュースでその某関西球団の応援をしていたんだけどね。

そんな「どっちもどっち」を装う与党支持者を苦々しく思いました。ねっ!NテレビのS解説委員さん!

「どっちもどっち」の危険性~新人議員のつぶやき⑤~

2008-04-29 07:08:23 | つぶやき
ガソリン税暫定税率の再議決が30日に行われるとの報道があふれている。

私の周りでも「結局また(ガソリン価格)上がっちゃうんでしょう」との声が聞こえる。更には「こんなに混乱するなら下がらない方が良かった。」という声もある。しかし、この怒りが何故か民主党に向けられている。「余計なことをするな」ということであろうか。ほとほとこの国は権力に弱い国民性を持っている。「民主党が悪い」という人たちには是非、高いガソリン税を払い続け、後期高齢者医療制度の理不尽な負担を払い続けていって欲しいものである。「余計なことをする民主党が悪い」という人たちは結局のところ現在の政府・与党を支持することとなってしまうのではないか。この人たちに領収証のないタクシー券に23億円も払い続けた国土交通省の無駄づかいや年金保険料で建てたグリーンピアの無駄づかいを批判する権利はない。なぜなら「自民も民主もどっちもどっち」という一見もっともらしい意見は、実は政権を持っている政府・与党を延命させることにしかならないからである。

「ガソリン税下げるのはいいけど、環境対策はどうするんだ!」先日暫定税率廃止の署名活動をしていた時に食ってかかってきた若者がいた。この人には是非「ガソリン価格が急騰したここ数年でガソリン消費量が減り、CO2排出量が減少した」というデータ示してほしいものである。そんなデータはどこにもない。それどころか二酸化炭素排出量は増加する一方で京都議定書の目標値達成がどうにも困難なほどである。「環境税」として措置していない税金を「環境目的だ!」というのは単なる詭弁である。こうした詭弁はたとえ有権者が言ったことでも「右から左に受け流す」こととしたい。ちなみにこの若者はひたすら「(民主党は)話し合いしねえだろう!」とガナリ立てているだけであった。

「自民も民主もどっちもどっちだ!」という批判は結局のところ何も生み出さない。なぜなら私たちの社会は判断をすることでしか物事を進めていけないからである。「どっちもどっち」は結局のところ判断を逃げているだけである。

「税金を上げて無駄づかいを認めるか?」「必要のない税金を無くすか」今回のガソリン税の議論ではこの2つの選択肢しかあり得ない。「どっちもどっち」な意見は前者の意見に賛同することにしかならない。

有権者は政治家にとってある意味「お客様」である。しかし、どの様な商売でも理不尽な客には毅然とした態度を取るであろう。政治家も有権者を「お客様」扱いを通り越して「神様」扱いするのは止める時期にきているように思う。理不尽なお客の来店を許している店が商売成り立たないように、「あっちにもこっちにもイイ顔をする政治家」はいずれ落選するのではないだろうか。

以上、久しぶりの「新人議員のつぶやき」でした。

この街の「勘違い」達~新人議員のつぶやき④~

2008-04-14 19:11:19 | つぶやき
昨年市議選に当選してから10カ月が経過し、あの時のことを振り返ることが間間ある。

周囲の方々からも「あの時頑張っていたものね」とか「これからも頑張ってね」とご声援をいただくこともあり、本当にありがたい次第である。

しかし、中には私のような「ポッと出」が気に入らないせいか「あの時貴方がマイクを使って訴えていたのは違反だ!」とか「あんなに早くから活動をしていたのは違反だ!許せない」といった声を直接・間接に聞くこともある。こうした声は、各方面の「ベテラン」の方からお寄せいただく。今までこうした声は「右から左に受け流す」という対応をしていたのだが、曲がりなりにも「法律違反」と指摘されては黙っているのにも限度があるので、控え目に反論申し上げたい。

まず、私の活動が法律に違反しているか否かは、警察もしくは選挙管理委員会が一義的には判断することである。私は、警察や選挙管理委員会からは警告を受けたことがない。つまり、私の活動はこの国の法律では「法律に触れていない」ことになる。「お前は違反だ!」というのはあくまで個人の勝手な解釈である。個人的な解釈で「法律に触れている」ということを色々な人に流布することは「名誉毀損」に当たりはしないだろうか?(あくまで私の「個人的解釈」であることを意識している)陰に陽に圧力がかかるとしたらこの国の法律では「私刑(リンチ)」ではないだろうか?(あくまで個人的解釈であることを理解している。ここが、前出の方々とは違う点である)各方面の「ベテラン」達はいつの間にか自分が「法律」であると勘違いされているのではないだろうか。こうした意識の人が法律を扱う職業の中にもいるから困ったものである。

私が選挙告示前に行っていたのは「政治活動」であり、民主党の主張である「議会改革」を党員として市民の皆様に御訴え申し上げていただけである。もちろん、昨年9月議会で議論となった名前入りのノボリや襷は使っていない。選挙期間中も名前入りのノボリは使用していない。(一部候補者の方が自身の名前入りのノボリを何本も立てていたにもかかわらず)

おそらく、今まで街頭で政策を訴えるという習慣が蕨市議会になかったことがことの発端であると思われる。ある特定の組織・団体で票をいただくという方法しか発想できない人たちがほとんどであったのだろう。こうした手法では極々限られた属性の人しか議員になれないのではないだろうか。偏った人たちしか議員になれないのでは、市民の皆様の意思は当然市政には反映されない。

今後とも「恣意的な法律解釈」に屈することなく活動を続けていきたい。年度始めに当たり、改めてそう思った。

日銀総裁~新人議員のつぶやき③~

2008-03-19 06:26:32 | つぶやき
日銀総裁人事が国会では争点となっています。

ほとほと我が国はじっくり考えてみるという習慣が薄い国では?と思ってしまいました。

「日銀総裁が空位になってしまうと、国際的信用が失われる!」
→今の日銀総裁が日本の金融業界の国際的信用を高めたという話を聞いたことがない。その前の総裁など「FRB議長の発言には信用性があるので、金融政策はコントロールできるが、日銀総裁には信用がないので何か発言しても政策的な影響力は全くない」とまで報道されていた。「日銀総裁がいなくなると困る」という人で、「これまで日銀総裁が何をしてきたか」を説く人は全くいない。

「欧米では財務行政のトップが金融行政のトップにつくことは当たり前だ」
→金融資本の経営責任者がすぐにでも財務長官に就任するような雇用システムになっているのがアメリカ。一度公務員になったらリタイヤするまで公務員なのが日本。(最近は変わってきていますが)つまり、財務行政のトップは本当に「財務」しか分からないのが日本。いろんな世界を経験して財務も金融も理解している人が幹部になるのが欧米のキャリアアップシステム。つまり、日本の現在のキャリアアップシステムでは金融の世界から金融行政のトップを持ってこないと「金融の分かる金融行政のトップ」を得ることができない。

ほとほとこの国は上から下まで権力側の論を鵜呑みにする国である。