ねぶた家の人々 (ねぶたけのひとびと)

2011年1月5日オープン!青森市文化観光交流施設ねぶたの家ワ・ラッセ公式BLOGです。

揚がれ!揚がれ!

2013年11月13日 08時54分58秒 | 日記

ども、吉井です。

ひさ~しぶり投稿です。

が感じられるようになるとどうも体調を崩しがちで

風邪をひいたり、

を痛めたり、

一日ボ~っとねぶたを眺めていると(暖かい

肥えたりで、

先月の健診結果は惨憺たるものでした。

なので、これからは日々の(軽~い運動

ブログの(気が向けば…ウソです)投稿に精進したいと思います。

毎年この時期になると、

ねぶた下絵コンクール

開館記念企画展の準備に取り掛かるのですが

今年の企画展

ねぶたからちょっと離れて、

をテーマにいたします。

開催期間が

お正月には凧揚げて~なので、

 

さらには、こんな面白いを作ってみんなで凧揚げします。だから…(安直)。

そんな理由だけではないのです。

 

青森でといえば「津軽凧」全国的に知られていますが、

青森市には「青森凧」というのがあります。

そして、この凧は青森ねぶたと深い結びつきがあります。

 明治から大正末期に活躍したねぶた制作者に

柿崎琴章という人物がいます。

東京で歌舞伎の看板画を描いていた琴章が、

青森に戻り手がけたのが凧絵の下絵でした。

当時草履を脱いだ先の店では、

その下絵をもとに凧が販売され

とても人気を呼んだそうです。

明治以降、弘前周辺で作られた「津軽凧」は、

葛飾北斎錦絵の影響を強く受け

三国志水滸伝を題材にしたものが多く作られました。

一方青森では、

歌舞伎絵が広まり、

戦前まで、青森の空を舞うがよく見かけられたそうです。

 

その琴章がねぶたの制作を請け負うようになると、

題材を歌舞伎に採り

人気制作者になっていきました。

現在、ねぶたの題材に歌舞伎もの定番であり

そのとなった制作者といわれています。

明治45年 柿崎琴章作『曽我五郎と朝比奈三郎 草摺引』

戦後、見かけることのなくなっていた「青森凧」

現在、保存会、同好会によって

普及、継承されています。

発見!!

まさに、これは青森凧

ここは、ねぶた師仕事場

プロジェクト始動!!

上がる上がる血圧が…

(ヤバい薬飲むの忘れた)

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