映画「軽蔑」は予想よりもいい映画だった。
長まわしを意識的に何度も使う。
この使い方が絶妙であった。
作家・中上健次の遺作を「ヴァイブレータ」の廣木隆一監督が映画化した。ジャケットを見ると今風の若いチンピラとダンサーの写真で、魔界の夜的なイメージが強い印象を受け、見るのが後回しになっていた。
実際には南紀和歌山の新宮の町のロケが大部分を占める。特殊な愛だが、見ようによっては純愛だ。
新宿歌舞伎町でその日暮らしをしているカズ(高良健吾)は、兄貴分から、借金を帳消しにするかわりに、組に断りなしで賭博を行っているポールダンスバーへの強襲を命じられる。カズは仲間と共にバーを襲う。そこにはカズが恋焦がれていたダンサーの真知子(鈴木杏)がいた。混乱の最中、控え室から真知子を連れ出したカズは、その勢いのまま駆け落ちを提案する。
二人が向かったのはカズの故郷和歌山の新宮市だ。実家は素封家であったが、両親とは疎遠であった。遊び人の息子のしりぬぐいをしていた。彼女を連れてきたカズに、母(根岸季衣)も父(小林薫)も唖然とした。父親は所有マンションの一室を二人のために用意し、移り住むことになる。カズは叔父の酒屋で配達の仕事を始めた。真知子も新宮での生活にとけこもうとしていた。
しかし、元ストリップダンサーの真知子との結婚となると、両親は反対だ。カズは頭に血が上って父親に刃物を向ける。カズの祖父の愛人で、今はカフェ「アルマン」を営むマダム(緑魔子)から知らされた真知子は東京に逃げ戻り、再びダンサーとしての生活を始める。そんな中、傷心のカズが地元の賭博場で借金を重ねてしまう。負け続けたのちに、カズは真知子を追ってクラブの楽屋に現れたが。。。。
歌舞伎町と六本木付近の映像が映る。いきなり夜のダークゾーンが出現して、そのまま物語が進むと思いきや、和歌山新宮の典型的な田舎町をめいいっぱいに写す。新宮は世界遺産のある街でもある。
自分は平成のはじめのころ、和歌山で3年仕事をしたことがあった。和歌山全域がテリトリーであったが、和歌山市付近で仕事をしていた。人口100万のうち約50万近くが和歌山市付近に集まっていて、広い紀伊半島の大部分には大きな町はなかった。
新宮は歴史の古い市だが人口3万4000人の過疎地だ。新宮までは同じ県なのに和歌山市から特急で約3時間かかった。車だと6時間程度でつくかどうか。東京から白浜まで飛行機は出ていたが、そこから先が長い。まあ遠いところである。でもときおり仕事があると、行くのが楽しみであった。白浜から先は明らかに海の色が変わる。透明度が高い。魚が新鮮だ。夜になると、空を見上げるとプラネタリウムのように星がきれいだ。その時まで感じたことのないような感動だった。
作者中上健次は新宮の出身、被差別の実態を書いた小説を書いているが、文体は南紀の土着といった感じだ。代表作「枯木灘」は和歌山にいるときに読んだ。そんな彼の故郷をロケ地に選び、新宮の街を方々になめるように2人の主役とともに映し出していく映画だ。
この映画自体かなり地元住民の協力がないと出来なかった映画だと思う。さびれた商店街や路地もそうだけど、家を燃やしちゃったり、信用金庫の中でロケをやったり他の街じゃ考えられないロケだ。和歌山の人は実に「人がいい」そんな和歌山の良さを思い出して気分がよくなった。
長まわしの映像が多い。
これも良し悪しで、映画の批評をみると中途半端としているものもあるが、自分は悪くないと感じる。俳優には酷だけど、長まわしの中でじっくりと情感を盛り上げていく。
主役2人はかなりのベッドシーンをこなさせられる。廣木隆一監督はもともとがピンク映画の出身だけに丹念に撮っていく。鈴木の乳房が小ぶりで普通ぽくて濡れ場になんか妙なリアル感を感じた。
全般的に2人の演技は悪くない。高良健吾の半端者ぶりがらしくてよい。それと同時に脚本がうまいと感じた。調べてみると、奥寺佐渡子だ。「サマーウォーズ」や「八日目の蝉」の彼女だ。サマーウォーズでは上田、八日目の蝉では小豆島、パーマネント野ばらでは高知の田舎そして今回と、地方のさびれた町を描くのがうまい脚本家なんだろう。なるほどうまいはずだ。「男と女は、五分と五分」という真知子の独白をうまくからませる。脚本に合わせたロケハンティングもうまい。これは監督の手腕だろう。
同時に脇役の使い方がうまい。「ヴァイブレータ」で廣木隆一監督と一緒だった大森南朋、もう死んだのかと正直思っていた緑魔子などは適材適所で、彼らをうまく使いながらの手持ちカメラを使った撮影もうまい。広い空間を映し出したと思ったら、アップを使ったり巧みな印象を持った。
あまりにもひどすぎるのでブログにアップするのをやめた「アンダルシア」と比較して日本映画も捨てたもんじゃないなあと感じた。無理して外国へ行かなくても、日本国内の町でいい映画がとれる。
長まわしを意識的に何度も使う。
この使い方が絶妙であった。
作家・中上健次の遺作を「ヴァイブレータ」の廣木隆一監督が映画化した。ジャケットを見ると今風の若いチンピラとダンサーの写真で、魔界の夜的なイメージが強い印象を受け、見るのが後回しになっていた。
実際には南紀和歌山の新宮の町のロケが大部分を占める。特殊な愛だが、見ようによっては純愛だ。
新宿歌舞伎町でその日暮らしをしているカズ(高良健吾)は、兄貴分から、借金を帳消しにするかわりに、組に断りなしで賭博を行っているポールダンスバーへの強襲を命じられる。カズは仲間と共にバーを襲う。そこにはカズが恋焦がれていたダンサーの真知子(鈴木杏)がいた。混乱の最中、控え室から真知子を連れ出したカズは、その勢いのまま駆け落ちを提案する。
二人が向かったのはカズの故郷和歌山の新宮市だ。実家は素封家であったが、両親とは疎遠であった。遊び人の息子のしりぬぐいをしていた。彼女を連れてきたカズに、母(根岸季衣)も父(小林薫)も唖然とした。父親は所有マンションの一室を二人のために用意し、移り住むことになる。カズは叔父の酒屋で配達の仕事を始めた。真知子も新宮での生活にとけこもうとしていた。
しかし、元ストリップダンサーの真知子との結婚となると、両親は反対だ。カズは頭に血が上って父親に刃物を向ける。カズの祖父の愛人で、今はカフェ「アルマン」を営むマダム(緑魔子)から知らされた真知子は東京に逃げ戻り、再びダンサーとしての生活を始める。そんな中、傷心のカズが地元の賭博場で借金を重ねてしまう。負け続けたのちに、カズは真知子を追ってクラブの楽屋に現れたが。。。。
歌舞伎町と六本木付近の映像が映る。いきなり夜のダークゾーンが出現して、そのまま物語が進むと思いきや、和歌山新宮の典型的な田舎町をめいいっぱいに写す。新宮は世界遺産のある街でもある。
自分は平成のはじめのころ、和歌山で3年仕事をしたことがあった。和歌山全域がテリトリーであったが、和歌山市付近で仕事をしていた。人口100万のうち約50万近くが和歌山市付近に集まっていて、広い紀伊半島の大部分には大きな町はなかった。
新宮は歴史の古い市だが人口3万4000人の過疎地だ。新宮までは同じ県なのに和歌山市から特急で約3時間かかった。車だと6時間程度でつくかどうか。東京から白浜まで飛行機は出ていたが、そこから先が長い。まあ遠いところである。でもときおり仕事があると、行くのが楽しみであった。白浜から先は明らかに海の色が変わる。透明度が高い。魚が新鮮だ。夜になると、空を見上げるとプラネタリウムのように星がきれいだ。その時まで感じたことのないような感動だった。
作者中上健次は新宮の出身、被差別の実態を書いた小説を書いているが、文体は南紀の土着といった感じだ。代表作「枯木灘」は和歌山にいるときに読んだ。そんな彼の故郷をロケ地に選び、新宮の街を方々になめるように2人の主役とともに映し出していく映画だ。
この映画自体かなり地元住民の協力がないと出来なかった映画だと思う。さびれた商店街や路地もそうだけど、家を燃やしちゃったり、信用金庫の中でロケをやったり他の街じゃ考えられないロケだ。和歌山の人は実に「人がいい」そんな和歌山の良さを思い出して気分がよくなった。
長まわしの映像が多い。
これも良し悪しで、映画の批評をみると中途半端としているものもあるが、自分は悪くないと感じる。俳優には酷だけど、長まわしの中でじっくりと情感を盛り上げていく。
主役2人はかなりのベッドシーンをこなさせられる。廣木隆一監督はもともとがピンク映画の出身だけに丹念に撮っていく。鈴木の乳房が小ぶりで普通ぽくて濡れ場になんか妙なリアル感を感じた。
全般的に2人の演技は悪くない。高良健吾の半端者ぶりがらしくてよい。それと同時に脚本がうまいと感じた。調べてみると、奥寺佐渡子だ。「サマーウォーズ」や「八日目の蝉」の彼女だ。サマーウォーズでは上田、八日目の蝉では小豆島、パーマネント野ばらでは高知の田舎そして今回と、地方のさびれた町を描くのがうまい脚本家なんだろう。なるほどうまいはずだ。「男と女は、五分と五分」という真知子の独白をうまくからませる。脚本に合わせたロケハンティングもうまい。これは監督の手腕だろう。
同時に脇役の使い方がうまい。「ヴァイブレータ」で廣木隆一監督と一緒だった大森南朋、もう死んだのかと正直思っていた緑魔子などは適材適所で、彼らをうまく使いながらの手持ちカメラを使った撮影もうまい。広い空間を映し出したと思ったら、アップを使ったり巧みな印象を持った。
あまりにもひどすぎるのでブログにアップするのをやめた「アンダルシア」と比較して日本映画も捨てたもんじゃないなあと感じた。無理して外国へ行かなくても、日本国内の町でいい映画がとれる。
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中上健次作品を若松孝二が演出した路地作品 | |