映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

ALWAYS三丁目の夕日64

2012-02-17 20:43:00 | 映画(日本 2011年以降主演男性)
「三丁目の夕日64」を劇場で見た。
なつかしい時代を思い起こすのか、高齢の人たちが目立った。

詳細で気になるところはいくつかあったが、前作同様気がつくと涙の洪水になってしまう。なんでだろう。
吉岡秀隆がからむ話に強くしんみりする場面がいくつかあった。

昭和39年(1964年)オリンピック開催を控えた東京は熱気に満ち溢れていた。
東京の夕日町三丁目では、駄菓子屋の店主やりながら小説家の茶川竜之介こと吉岡秀隆は、ヒロミこと小雪と結婚し、高校生になった古行淳之介と3人で仲良く生活している。商店の一角は改装され、小雪がおかみを務める居酒屋となった。小雪は身重。だが吉岡は「冒険少年ブック」の看板作家として連載を続けているが、新人小説家の作品に人気を奪われつつあった。編集者から「もっと新しい雰囲気で」と言われ、スランプに陥っていく。
一方、鈴木オートには、主人の堤真一とその妻こと薬師丸ひろ子、一人息子、住み込みで働く星野六子こと堀北真希が暮らしていた。堀北にも後輩ができ彼女無しでは鈴木オートの仕事は回らないほどであった。そんな堀北は、毎朝おめかしをして家を出て行く。それは、通勤途中に若い男性こと森山未來とすれ違いあいさつを交わすのを日課にしていたが。。。。


エンディングロールのクレジットのトップは吉岡秀隆である。堤真一よりも上になっている。
ストーリーの基本は吉岡と堀北が中心になって構成されている。田舎ものの堀北と小説家くずれの吉岡はそれぞれに今回も紆余屈折がある。
吉岡については、雑誌の連載小説の欄を若い別の作家に奪われそうになっていること。
小説書くくらいなら勘当だといわれて離れていた田舎の父親が危篤になる話
小雪の懐妊、東大を目指す同居の少年が小説をあきらめきれない。といったところが柱か
堀北について毎朝出会う若者との恋愛関係がこの映画でのキーポイントになる。
それを東京オリンピックという大イベントを絡ませる。この年は新幹線開通の年でもある。


今回も泣けるのは、吉岡の話だ。
脚本も毎回狙いを吉岡のダメ男ぶりに焦点を当てているが今回も同じだ。
まんまと脚本家のたくらみにはまってしまう。
でも何でこんなに泣けるんだろう。
それなりに自分との共通点があるのかもしれない。

吉岡の父親は表向きは厳しいが、裏では息子の書いた小説の掲載誌を大切にストックしている。
結局生きているときには、そんなことはわからなかった。それを死後初めて発見する。
それぞれに暖かい父親のコメントが残されている。
このシーンが一番ジーンとした。
自分の父親は筆不精で何も書かなかったが、母親は筆まめなほうで昔の日記等をたくさん残していた。
やっぱりそれを見るとジーンとするものだ。
それと同じような感情だ。

自分もぎりぎり30年代の記憶がある。
この映画の舞台も東京タワーの近くだから、港区の三田の都電通りをずれたあたりだ。
小石川のおじさん宅へおじいちゃんとタクシーで通っていた道だけに
印象が強い。都電通りの雰囲気はいかにも同じだ。
でも39年にもなったら東京の真ん中で舗装されていないところはあまりなかったんじゃないかなあ
商店の感じもこの時期になるともう少し変わっていたんじゃないかしら?
それが違うような気がするがどうだろう。


あとは「シェー」を子供たちがやる場面
漫画では連載されていたけれど、子供たちが「シェー」をやるようになったのは
おそまつ君がテレビ放映された後じゃないのかなという気がする。
ひょっこりひょうたん島は39年にスタートだけど当初からこんなに人気あったかな?
銀座のみゆき族に焦点を当てたのはいい。アイビールックがいかにもVANの香りがする。
チェックのジャケットがいかにもVANぽい。
銀座のフルーツパーラーで堀北が彼氏とデートする場面が出てくる。
40年代前半までは、パフェとかを食べるにはわざわざ銀座に行ったもんだ。あるいは渋谷の西村か新宿の高野。子供心にもちょっとこぎれいな格好をして、銀座に行く感覚っていいもんだった。

鈴木オートの息子がエレキを高校で演奏している。
でも、エレキ人気は39年ではまだだったんじゃないかな。
ベンチャーズの来日は40年始めだったはず。そこで一気にエレキ人気が急激に高まり
年末に加山雄三「エレキの若大将」が放映されたと記憶する。
そしてGSブームへとつながっていく。
39年と40年微妙な一年違いなんだけど、自分なりにはそう分析する。

細かいこと言ったけれど、見ている初老あるいは老人たちにはそんなこと
どうでもいい話だろう。みんな懐かしいものとしてみただろう。
おそらくは満喫して帰ったのだと思う。それでめでたしめでたしなんだろう。

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3 コメント

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ご無沙汰しております。 (paceola)
2012-02-20 10:50:01
…やった!
劇場で観た映画の登場だ!と、ヨロコビ一杯でメッセージお送りさせて頂きます。

私も、時代考証についてやや盛り込みすぎかなと、同様に感じました。
だた、wangchaiさんが素晴らしいのは 当時の東京をご存知という事です。

私は、茶川氏と彼の頑固な父親との関わりの表現に【 止むを得なさ 】を感じながら観てしまいました。
親心の表現としてギリギリだったと思えるのですが、あとで目に触れる事が計算に入っているところが
邪魔と思えました。本来ならスクラップを集めてそれが出てきただけが自然ですし、実際にあること。
でも、そこは映画のお芝居なので、あの表現とされたのでしょう。そこは止むを得ないな…でも、他の
表現にならなかったかな…と、少々辛口になってしまいました。…いや、もっと深くて親父さんは息子に
言えない気持ちを託して届けたかったのかな?今はその様にも受け取れるのですが、劇場内でそこまで
とどきませんでしたね。スクラップの脇にコメントが添えてあるのは、私の琴線にはわずか届かずでしたね。
そして、運悪く1つ席を空けて座った若いカップルの女の子の方が終始泣き続けてメトロノームの様に
洟をすするのにマイッテしまい…自分の感動の部分は何処かに持って行かれてしまった様でもあったのでした。

しかし、堀北真希はこの3作品の間に映画女優としての立場を確立させ安定した演技を見せてくれる迄に
なりましたね。先日、wowwowにて【 白夜行 】を観ましたが、お嬢さん女優の殻を破った演技に
感心しました。(試写会の招待があった映画でしたが確か一昨年の暮れで都合がつかず劇場で鑑賞せずのまま
でした)津軽弁を話す知人は居なくて、すべてドラマやお芝居の中でしか聞いた事がなかった私は
六子の『 へばぁ 』( それでは )のセリフが耳新しくそして、ちっともモッサク思えず温かみだけ感じさせて
もらえました。あんな都会的な面立ちでコテコテ津軽弁の魅力もすっかり定着しました。

これからも、色々な形で作り続けて頂きたいけれど1964年迄は進めてしまったから…どうなるんでしょうね。
こうしてこちらにコメントお寄せする為に 色々調べてみたりすることも 私にはとても有意義でこの物語はアニメ化されて
いた事もわかりました。ドラえもんの裏番組でわずが18回で打ち切りになってしまったそうです。アニメ化では
キャラクターの時系列はこだわられておらず、前の回で亡くなった人物が普通に登場したりしてるそうです。
子役たちがどんどん大きくなって 特に淳之介役の須賀健太の成長ぶりにちょっとカナシクなりました。
でも、映画のために成長しないわけになんて、いきませんからね。
確実に時は流れていて、だからあの頃の夕日が懐かしいんですものね。

結婚式の日、黒留袖を着た薬師丸ひろ子の襟元がとてもきになりました。
長襦袢の白い襟の出方がイマイチだった。物語とは関係のないことですが
着付けについては生前、母が襟元1つで上品にも下品にもなる!和服は襟元が肝心。
と、よく言っていました。ノリウツラレテル様でひとり笑ってしまいました。

冒頭のバードビュー、私は時間の都合で待ちのない2Dで観たのですが身体が掬われる様に錯覚しました。
3D でも観てみなきゃいけないな、と誘われました。
ラストの高層ビルのない当時の東京、関東平野の向こうにうっすら富士山もみえて
観たこともない風景を 郷愁を浮かべて拝見させて頂けた。涙はなかったけれどずっしり感動を受けました。
いい映画でした。 私は ひとりで観たんですよ。

wangchaiさんは、ご家族でご覧になられましたか?

返信する
コメント (wangchai)
2012-02-20 20:33:11
>私は ひとりで観たんですよ。

もちろん僕も一人です。

>wangchaiさんが素晴らしいのは 当時の東京をご存知という事です。

この場所は自分が育ったところからそんなに離れていませんから昭和39年であれば記憶に自信があります。東京の港区も昭和40年代までは一部を除き全部がハイソというわけではありませんでした。

>悪く1つ席を空けて座った若いカップルの女の子の方が終始泣き続けてメトロノームの様に
洟をすするのにマイッテしまい…

もらい泣きというのはありえませんからね
大変でしたね。

>あんな都会的な面立ちでコテコテ津軽弁の魅力もすっかり定着しました。

この設定は難しい。
前回の場合は津軽弁で仕方ないけれど、普通東北から出て5年くらいになると、標準語を話すんじゃないかなあ。もともとの訛りがきついので東北の人ってあえてきっちり矯正する気がします。逆に茨城あたりの人の方が訛りが直らない。関西の人は直すつもりもない。そんな気がします。

>1964年迄は進めてしまったから…どうなるんでしょうね。

こういう風に昭和39年まで飛んでしまったので、戻るのはかなり難しいですね。この映画をつくる時三部作で終わるつもりだったでしょう。あえて35年の安保闘争のころの日本にしておく手もあってもいい気がしますけど、あとのまつりでしょう。

>キャラクターの時系列はこだわられておらず、前の回で亡くなった人物が普通に登場したりしてるそうです。

最近はまったく見なくなりましたが、昔はお世話になりました。もともと時系列というわけではない漫画ですから、「サザエさん」と一緒で三丁目の人物が成長しないわけですからね。
でもこのように時系列にしてしまうと、吉岡君が昔出ていた寅さんのようにずっと連続でとはいかない。人気が出て困っているのは制作サイドでしょう。

>結婚式の日、黒留袖を着た薬師丸ひろ子の襟元がとてもきになりました。

着物に関心なく、これはまったく理解不能です。

>私は時間の都合で待ちのない2Dで観たのですが身体が掬われる様に錯覚しました。

僕も2Dでみました。3Dの必要性をまったく感じなかったので。。でもそれでよかったと思っています。

>ラストの高層ビルのない当時の東京、関東平野の向こうにうっすら富士山もみえて

今朝自分の席の後ろから、高層ビル群の向こうに富士山きれいに見えましたよ。月曜日は日曜日明けでわりと空気がきれいで見えるのかもしれませんね。
どんな映画でも昭和39年を隔てて、現代劇は大きく変わります。旧特急「こだま」から超特急「ひかり」に変わるだけで、鉄道のホームの光景が大きく変わります。これって割と重要なポイントです。どっちがいいかと言われると、個人的には昔の方が好きです。

コメントありがとうございます。
涙が出て止まらないなんて実はそんなにありません。1作目が一番泣けて、次が3作目かな?このころの東京って今よりももっとどんくさいけれど、好きですね。だから昔の成瀬巳喜男や小津安二郎の作品そしてクレイジー映画や若大将映画が好きなのかもしれません。
でもこれらを見てもなくことはありません。
やっぱりこのシリーズ凄いのかもしれません。

またよろしくお願いします。
返信する
・・・なるほど、そうですね。 (paceola)
2012-02-21 12:31:43
メッセージありがとうございます。

方言についてのご意見、伺ってみるとそうですね、六子がまるで関西人のような扱いですね。
感心してしまいました。

ほんと関西の人はよほど大企業で必要性を本人が認めない限り 直しませんね。
そぅ!と、うなづきながらお読みしました。

ひとりで観た映画はこの様に感想を交換しあう相手があることで観た映画に奥行きがうまれて深くなります。ありがとうございます。
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