映画とライフデザイン

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結果の平等

2012-02-07 20:37:10 | Weblog
格差社会と言う論調が多い。今の日本に「機会の平等」でなく「結果の平等」を求める傾向があるのは事実だ。これは破滅への道を示しているといえよう。そもそも結果の平等なんてことはありえないのだ。

ミルトン・フリードマンは1980年に「選択の自由」でこのように語る。
「過去一世紀において、自由主義資本主義は不平等を増大させ、富裕な者が貧困者を搾取する体制だとする神話が広がっていた。
これほど真理から遠い考え方はない。
自由市場の運営をゆるされているところや、「機会の平等」へと近づいていくことが許されているところはどこでも、通常の人がかつては夢見ることができなかった生活水準を、次から次へと達成することができている。自由市場の運営を許されていない社会はどの社会でも富裕な人と貧困な人の格差が増大していき、富裕な人はよりいっそう富裕となり、貧困な人はより貧困となっている。
このことは、相続した社会的身分が社会的立場を決定していく中世紀のヨーロッパや独立以前のインド、現代の南アフリカにおける諸国家のように封建社会において真実だ。
(以前の)ソ連、中国、インドのように、。。。平等の名において中央集権的計画が導入された国では、このような状態が必ず起きている。」(選択の自由:西山訳)

「ソ連という国は、実質上二つの国から成立している。一方では、官僚とか共産党員の党役員とか技術者によって構成される、ひとにぎりの特権をもった上流階級という国がある。他方祖父母に比べても生活の水準が改善されていない、巨大な一般大衆によって構成されている国がある。上流階級の人はあらゆる種類のぜいたく品を手に入れることができる。これに対して一般大衆は、基本的な必需品を除けばほとんど何も享受できないように運命づけられている。」(選択の自由:西山訳)

今の北朝鮮がまさにその状態なのは明らかであろう。いやもっとひどいかな。
このあと中国についても同様に論じられる。でも市場経済を導入して世界2位の経済大国に変貌した。今の日本はまるで共産主義を待ち望んでいるような論調を示す人すらいる。末期だ。おかしい!

ソ連と同様にフリードマンは「結果の平等」を求め「ゆりかごから墓場まで」と言われたイギリスの国内政策を痛烈に批判する。また、サッチャー首相が登場するまでの官僚や労働貴族たちの支配についても批判する。過度な福祉政策の失敗をイギリスはおかした。
「イギリスの結果の平等に向けての運動が、効率や労働の生産性にもたらした悪影響。。」
(選択の自由:西山訳)
逆にイギリスの植民地であった香港での経済運営についてはフリードマンは絶賛する。

「西欧の資本主義が達成した偉大な業績は、。。。以前の時代には富裕な人や権力を持ったひとだけの独占的な特権であった生活上のいろんな便利や便宜を、一般大衆の手に入るようにさせてきたのだ。」
(選択の自由:西山訳)

ここでいう富裕層の独占的特権とは、たとえば、古代ローマの貴族は一流の音楽家や俳優を自分の家で見ることができたから、別にテレビやラジオがなくてもよかったということだ。

「結果の平等という意味における平等を自由より強調する社会は、最終的には平等も自由も達成することなしに終わってしまう。平等を達成するために強制力を使用することは、自由を破壊することになる。」
(選択の自由:西山訳)
強制力すなわち中央集権主義ということ。まさに北朝鮮、今の中国もまだ相当なごりがある。でも大きく変化している。

「市場の役割は、強制によらず合意を導く役割を果たすことである。。。市場が広く活用されれば、そこで行われる活動に関しては無理に合意を強いる必要がないので、社会の絆がほこびる恐れは減る。市場で行われる活動の範囲が拡がるほど、政治の場で決定し、合意を形成しなければならない問題は減る。そしてそういう問題が減れば減るほど、自由な社会を維持し合意に達する可能性は高まっていく。」
(資本主義と自由 フリードマン1962年:村井訳)
フリードマンは少数意見を多数意見に従わせなければならない愚を論じた。
市場の活用になって、中国も国家統制からの制約がかなり減った。それゆえ、共産主義の色彩が薄まった。フリードマンの言うような自由な社会に近い姿が現在の都市部の中国では存在する。

「特権的な立場が社会制度化されてしまうのを、自由な社会は阻止してくれる。
特権的な立場にある人は、他の有望な野心あふれる人の攻撃に常にさらされている。自由とは、多様性だけでなく、社会的移動性をも意味するのだ。自由は、今日では不利益な立場に立っている人が明日には特権を持った人になれるための、機会を保持してくれるのだ。しかも、その過程で自由はほとんどすべての人が、すなわち上から下までのほとんどあらゆる人が、もっと充実した、もっと豊かな生活を楽しむようにしてくれる。」(選択の自由:西山訳)

社会的移動性は重要だ。政府から放り出されても市場で職を見つけることができる。名目上「結果の平等」をうたう共産主義だったら国家に葬られ本当に飢え死にするしかない。
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