映画「ロケットマン」を映画館で観てきました。
待ちに待ったエルトン・ジョンの伝記映画である。すぐさま観に行くしかない。
1970年代前半全米ヒットチャートマニアだった自分が、その当時いちばんひいきにしていたのがエルトン・ジョンである。5枚目のアルバム「ホンキー・シャトウ」は比較的ロック雑誌でも評判よくレコードを何度も聞いていた。その中でもいちばん好きだったのは「ロケットマン」だ。こんなにきれいなメロディってつくれるのかと感動した。ヒットチャート的にはそんなには上位にはいかなかった。でもこの当時一番好きな曲だった。
その曲を題名にしたことだけでも興奮している。映画はもちろんよかった。最初の場面で「ロケットマン」が出てきたときからうきうきである。エルトンジョンが上昇気流に乗っているときの曲が次から次にミュージカルタッチで流れて、実にごきげんな至福の時間を過ごせた。
映画はアル中患者の寄り合いみたいなところに、エルトンジョン(タロン・エガートン)独特のド派手な衣装を着てうつろな目をしてヨレヨレで現れるところからスタートする。そこでアル中、ドラッグ、セックス好きを告白する。そして妄想のように少年時代のエルトンジョン(本名レジー・ドワイト)が映し出されて子供頃の映像が映し出される。
父母と祖母との4人の家庭だったが、ジャズ好きで性格の悪い父と自由奔放な母は仲が悪く父は家を留守することが多い。家庭はうまくいっていない。そんな中、ピアノに関心を持ったレジーはレッスンを積み、王立の音楽アカデミーに通うようになる。ただ、母の浮気で父母は離婚、母は恋人と再婚する。黒人R&Bのバックバンドでレジーはキーボードを弾くようになる。その時に黒人アーチストからデビューするなら本名でなく芸名でプレイした方がいいよとアドバイスを受ける。
作曲と歌しかできないエルトンに詩人のバニー・トーピン(ジェイミー・ベル)と出会う機会ができる。これはまさにすばらしい運命だ。やがてレコードプロデューサーへ売り込む。そこでのちのヒット曲になるような曲をピアノで弾く。決していい評価ではないが、なんとかアルバム3枚を一年以内で発売してもいいよと言われる。芸名エルトン・ジョンとしてのスタートである。コンサートでは、ド派手な衣装とジェリー・リー・ルイスばりのホンキートンクピアノのパフォーマンスで大人気である。
それからは上昇の一途である。ヒットチャートにも登場。ただ、その後マネジャーとして付き合うジョン・リードと男色の付き合いに引き込まれる。人気がでるにつれ、付き合いも派手になりアル中やドラッグ中毒になる場面など、おきまりの転落が続く。
1.エルトンジョンとの出会い
1971年ころは10代の若妻を描いた映画がはやっていた。日本でも関根恵子演じる「おさな妻」が大映最後のヒットとなる。日本でビージーズの主題歌「メロディフェア」が大ヒットした映画「小さな恋のメロディ」は中高校生にすさまじい人気だった。
そのころ同じようなテイストで「フレンズ」という映画があった。14歳と15歳の少年少女の恋愛と妊娠出産を描く。この映画で音楽を担当したのがエルトン・ジョンである。そこで初めて知る。そのころの愛読雑誌「ミュージック・ライフ」でエルトン・ジョンが初来日した記事を読んだ記憶がある。「僕の歌は君の歌」(YOUR SONG)を聞くとなんていい曲だと思った。これは今でもそらで歌える。二枚目のアルバムを購入すると同時に常にチェックしていた全米ヒットチャートでエルトンジョンをマークするようになる。
2.クロコダイル・ロック
つい先ごろ見た映画「アルキメデスの大戦」に出ていた小林克也のDJで全米ヒットチャートを紹介するFM番組があった。一緒に聞いているエルトンジョンが好きな同級生がいた。毎週聞きながらいつエルトンジョンがトップになるのか友人と待ちに待っていた。「クロコダイルロック」がヒットチャートの上位を急上昇するのに大興奮して、ついにトップをとった時中学の教室で友人と抱き合った思い出がある。「ダニエル」、「ティーチャーアイニードユー」などいい曲が続き「ピアニストを撃つな」 (Don't Shoot Me I'm Only the Piano Player) というLPの出来が抜群だと思う。もともとジェリーリールイスをまねて「Whole Lotta Shakin' Goin' On」をロックンロールタッチのピアノを弾きながら歌う彼の真骨頂が出てきたのだと思う。
ピアニストを撃つな+4 | |
3.Saturday Night's Alright for Fighting
実はGoodbye Yellow Brick Roadのアルバムを聴きながら、このブログを書いている。レコードでは二枚組だった。品川の家にはまだそのレコードが置いてあるが、今はCDで。
黄昏のレンガ路(グッバイ・イエロー・ブリック・ロード) | |
最初特殊音からはじまり、長めのドラマティックな曲からスタートする。当時アルバムにこういうロングバージョンの曲を入れるのがはやっていた。次は「Candle in the Wind」でノーマ・ジーンことマリリン・モンローを偲んだ曲だった。ダイアナ妃が亡くなった時、この曲をダイアナ妃に捧げるとして歌って世紀の大ヒットとなったのは記憶に新しい。その次の「ベニー&ジェッツ」もずっと聞いていると味があり好きだったが、ヒットチャート一位になるとは思わなかった。でも一番いいのはGoodbye Yellow Brick Roadだね。この映画でも印象的に使われている。前作に比較するとロックンロールからレゲや正統派バラードなどいろんなジャンルが楽しめる。最高傑作であることは間違いない。
序盤戦で若き日のレジー少年がGoodbye Yellow Brick Roadからの最初のシングルカットの曲Saturday Night's Alright for Fightingを歌いだし、ミュージカルモードで歌うのは実にごきげん。もちろん「クロコダイルロック」の場面も「ホンキ―キャット」も抜群、自分には忘れられない映画となった。