映画とライフデザイン

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映画「新夫婦善哉」 森繁久彌&淡島千景

2023-06-09 19:13:07 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「新夫婦善哉」を名画座で観てきました。


映画「新夫婦善哉」は名作と言われる豊田四郎監督「夫婦善哉」の続編である。といっても公開は昭和38年(1963年)で昭和30年の第1作目から8年経っている。続編はなかなか観る機会がなく名画座の森繁久彌特集ではじめて機会ができた。大阪船場のできの悪い問屋の息子が情のある芸者の元に走るという1作目のストーリーの流れはある程度継承されている。この頃の森繁久彌はコメディアンとしてピークであり、情を通じた数人の女の狭間でオタオタするという役柄を演じるとまさに天下一品だ。この映画も実におもしろい

昭和12年(1937年)、大阪法善寺横丁の小料理屋で女将のおきん(浪花千栄子)とともに切り盛りしている蝶子(淡島千景)は、船場の問屋を勘当された元ボンボン柳吉(森繁久彌)と一緒に暮らしている。浮気性が治らない柳吉は船場の実家の妹(八千草薫)にカネの無心をして、仕事を探しに来た房州出身のお文(淡路景子)という女とともに東京へ行ってしまう。そこには兄と称する男(小池朝雄)がいたが、実は情夫だった。柳吉を取り戻そうと蝶子が東京まで乗り込んでいく。船場の実家にいる柳吉の実娘が嫁入りするという話を蝶子から聞き、柳吉は大慌てで大阪に戻っていく

森繁久彌が冴えわたる。実に見事だ。
上方育ちの芸達者が揃うと本当に楽しい。豊田四郎監督の演出の特徴だろうか?カット割りが多いというよりも、長回しが多い。最近の日本映画のように長ったらしく沈黙が続くわけではなく、笑いを呼ぶ会話がポンポン飛ぶテンポの良いショットだ。名門北野中学出身の森繁は当然大阪弁ネイティブだけど、大阪弁と東京弁の使い分けができる。そのすごみもある。

森繁久彌が我々を笑わせるセリフは台本にあるかいな?と思わせる気の利いた言葉を次々と発する。その森繁久彌に淡島千景も、浮気相手の淡路景子掛け合いのテンポを合わせる。実に軽快だ。お見事である。それに加えて、怪優浪花千栄子ツッコミも冴える。思わず吹き出してしまう。


大阪船場の商人は、息子に跡を継がせるというよりも、まじめな使用人に娘を嫁がせ養子にするパターンが多い。大阪時代に仕事上でお世話になった船場の家もそうだった。自宅は箕面にあった。養子に来た夫との間に子どもができないので、お世継ぎの男性の養子をもらっていた。平成の初めは古い船場の風習が残っていた。

ここでの森繁久彌は船場の化粧品問屋の放蕩息子で、父親から勘当されている。縁なしメガネで陰湿な感じの山茶花究演じる妹の旦那からは冷たくされている。これは仕方ないだろう。妹の八千草薫ダメな兄貴をかばう。でもカネの無心に来ても大したことはしてあげられない。ところが、森繁久彌がつくった娘が船場の家にいる。その子が嫁に行くときいて気になって仕方ない。ダメ男もそれだけは心配だ。その嫁入りをストーリーの柱とする。

あとは、森繁久彌ハチ狂いだ。蜂を上手く育てれば大儲けできるという。淡島千景の店の客でローヤルゼリーで一儲けしよう企む客と淡島の掛け合いがおもしろい。森繁久彌は房州すなわち千葉まで行ってしまう。

時代設定が昭和12年ということだが、これが昭和38年としても何の違和感もない。法善寺横丁の水掛不動の周囲は戦災や火事があっても基本は今も昔も同じである。細い路地に面して長屋のような料理屋が連なる風景は自分がいた平成の初めもそんなに変わらなかった。その後大火事が起きたが特別に復興した。

もしかして、この小料理屋のモデルは「正弁丹吾亭」という料理屋かもしれない。当時は安くておいしい料理を出してくれて、社員と大勢でよく行った店だった。浪花千栄子のような気のいいおばちゃんがいた。大衆的な和風のたたずまいが落ち着き、古き大阪の良さを引きずっていた。

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