Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

バベルの図書館

2012-05-20 14:33:06 | 日記

★ その種の冒険のために、わたしも生涯を浪費してしまった。宇宙のある本棚に全体的な本が存在するという話は、わたしには嘘だと思えないのだ。わたしは未知の神々に向かって、すでに一人の人間に――仮にただ一人であり、何千年の昔のことであってもよい!――それを調べさせ、それを読ませてくださっていることを祈りたい。名誉と知識と幸福がわたしのものでないのなら、そんなものは他人にくれてやろう。わたしの場所は地獄であってもよいから、天国を存在せしめよ。わたしは凌辱され滅ぼされようとかまわない。しかし一瞬によって、ある存在によって、「あなたの」広大な図書館の存在は正当化されなければならないのだ。

★ おそらく、老齢と不安で判断が狂っているかもしれないが、しかしわたしは、人類――唯一無二の人類――は絶滅寸前の状態にあり、図書館――明るい、孤独な、無限の、まったく不動の、貴重な本にあふれた、無用の、不壊の、そして秘密の図書館――だけが永久に残るのだと思う。

<ボルヘス“バベルの図書館”―『伝奇集』(岩波文庫1993)>




★ 見えるものであり、動かされるものである私の身体は、物のひとつに数え入れられ、ひとつの物である。私の身体は世界の織り目のなかに取り込まれており、その凝集力は物のそれなのだ。しかし、私の身体は自分で見たり動いたりもするのだから、自分のまわりに物を集めるのだが、それらの物はいわば身体そのものの付属品か延長であって、その肉のうちに象嵌され、言葉のまったき意味での身体の一部をなしている。したがって、世界は、ほかならぬ身体という生地で仕立てられていることになるのだ。

★ 物のただなかにおいてであるからこそ、或る<見えるもの>が<見ること>をはじめ、自分にとって<見えるもの>となる、しかもあらゆる物を見るその視覚によって<見られうるもの>となるのであり、また物のただなかにおいてであるからこそ、<感じるもの>と<感じられるもの>との――ちょうど結晶とそのなかにひそんでいる母液の関係にも似た――不可分な関係が生き続けるわけなのだ。

<メルロ=ポンティ“眼と精神”―『メルロ=ポンティ・コレクション4 間接言語と沈黙の声』(みすず書房2002)>