wakuwakuな生活

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新田義貞・富岡製糸場・長瀞ライン下り

2013-09-15 10:45:03 | 旅行記
 平成25年8月30・31日の夏休みの最終日、灼熱の太陽が照りつける中、職場の研修旅行を行った。泊まる場所は、群馬県伊香保温泉

 それに伴う日程を考えたとき、職場の近くに、昔ながらの鎌倉街道が残っている。もちろんその道は鎌倉に続いているのだが、どこからかというと北は群馬県の高崎方面から、向こうの方は上の道(かみのみち)と言うそうだが、続いている。以前新田義貞が鎌倉を攻めたときに、途中兵馬を休ませるために井戸を掘ったという「鎌倉井戸」に行ったことがあり、境川沿いのこの地はもしかしたら通った道なのではないかと思っていた。

 そこで、今回下野(しもつけ)方面に行くので、太田市にある新田義貞関連の史跡に行き、そして、その近くにある世界遺産に登録申請している「富岡製糸場」にも行き、
2日目には長瀞の川下りを楽しもうという日程でこの職員研修旅行を行った。

まずは、新田義貞関連の歴史資料館へ行く。学芸員の方が、詳しく話してくれた。

 新田義貞は鎌倉時代後期から室町時代前半に活躍した武将で、1300年新田荘で生まれ、1333年太田市の生品神社(いくしなじんじゃ)の境内で神輿の旗を挙げ、鎌倉幕府を滅ぼした武将として歴史に名を残している。だが、足利尊氏との戦いに敗れ、1338年遠く越前(福井)の地で不慮の死を遂げている。表舞台に立ったのはたった5年間と短い。新田義貞の足跡が分かりやすくまとめられていたので、私としてはとても満足だった。
    
 
 また、途中で、この地を「徳川発祥の地へようこそ」という看板があったので、それを聞いてみたら、家康が征夷大将軍になる時に、源氏の血筋がないと申請できないので、義貞の何代か前の人が徳川家へ養子に行ったのを家系図にしたらしい。だから、東照宮も建っていた。
    


次に行ったのは、「富岡製糸場
明治維新後に作られたこの富岡製糸場。「野麦峠」のイメージだったが、実際は武家の子女が働いていたところで、今でいうお嬢様学校的なものだったという。
建物のレンガ作りが面白く、組み立て方で、フランス式、イギリス式、ドイツ式とかがあった。ちなみにこの製糸場はフランス人のポール・ブリュナを指導者として雇入れ、フランスの技術を取り入れたという。
      


伊香保の温泉地では、よくサスペンス劇場で使われている「伊香保神社」に続く石段を歩いてきた。
     


2日目は長瀞ライン下りを楽しんできた。「お盆の時は2時間待ちでしたよ」と船頭さんが教えてくれた。いくら待つところにテントが貼ってあるからといって、この炎天下に2時間は大変だったろう。私たちは夏休みも最後の日なのですぐ乗れた。ラッキー
     

仕事に支障をきたすといけないので、早めに帰ってきた。
バスの中では、恒例の映画鑑賞で、行きは「のぼうの城」、帰りは題名は忘れたが、西田敏行演じる飼い主と一緒に旅を続ける犬の物語で、飼い主が死んでも、その場所に居続けて、その半年後に亡くなるという、なんとも号泣ものでした。
o(^o^)o 楽しい良好で満足でした。


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1 コメント

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Unknown (みなちゃん)
2013-09-30 10:11:59
旅行の幹事長さん、お疲れ様でした。歴史探訪を兼ねた旅行で大満足でしたね。せっかく行くんだから、楽しいだけでなく、学ぶものがあると、旅行も充実してきますね。「富岡製糸工場」は、貧しい農家の娘たちが働いていたイメージがあるけど、違うんだね。武家の子女が働いていたとは・・・驚きました。
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