沈没

2012年01月19日 | 日記
今日は二限から。N氏が発表者である。そのN氏は、明日の輪読の発表だが、できぬと云々。お前さん、前回もすっぽかしたのぅ。としあけから(というか、昨年も)、こういうことが多くて困る。文学作品は、前からきちんと読んで、作品の流れを押さえて行かねばなるまい、と私などは思うのだが、こういうことが続くと、そうも行かなくなってしまう。とりあえず、前回同様、自分で尻ぬぐいをしてもらう。まぁ、N氏は、卒論指導の先生の三年の演習をすっぽかして、落単したり、うちのサークルの発表をすっぽかして(然も二回)まとめ役のM女史を疲弊させたりと、誠にだらしのないヤツである。もう、社会人目前なのだから、こういうことはしっかりやって頂きたい。
N氏の発表は、結局イマイチだった。作品感が、私とは違ったかな。いや、多分、F教授のお考えとも違いそうだった。そして、私は質問をして、それを明言させたのだから、性格が悪いなぁ。
次のHさんのご発表からは、F教授の指定したテーマでの発表。今回は、扱っているM日記と活動物語について、という、個人的には、昨年のねこ先生のご発表を思い起こすテーマであった。こちらも、どう何だかよくわからない発表だった。

お昼は、金城庵の天丼を食べた。
三限日本語学は、例のように。四限の時間は、今日の発表資料をするために、K教授をつかまえて、コピーカードを頂かないといけないので、研究室に行くも、講義中と掲示が出ていたので、Nコースの専修室へ行くと、K教授の奥方がいらしていた。挨拶申し上げ、専修室で待つも、結局、時間内にお会いできなかったので、千鳥さんに資料の原本を託して、五限へ。

五限は、式子内親王の歌で、発表は私の六限の発表なんかより、良くできていた。少々思うところがあったが、授業の後に然々とこそおもひしか、と伝える。論旨に関わることではないし、半分個人的な思想が入っていたので、全体では言わ(え)なかった。

六限にいらっしゃる、ブラウン大のOさんと待ち合わせをしていたが、T教授が熱く式子内親王の歌について語られたので、若干遅れてしまった。申し訳なし。初対面であったので、目印に扇子を持っていった。こんな季節外れに、こんなものを持っている人はおらんじゃろう、と思ったのである。

さて、六限は、愚の発表。その前に、Oさんへの自己紹介のようなものがあった。最後に、K教授から、各々方の専門への言及がある。因みにOさんは、慈円にご関心がおあり、と云々。そんな中、私だけ、大きくかけ離れたところに位置している。皆様、院政期から鎌倉初期の中、私は何の因果か十世紀の作品を中心に扱っているのである。
さてはて、発表の方は、てんで駄目でしたな。こういう言い訳はしてはならない、と自分では思っているし、実際そうなのだが、時間がなかった。もっと時間を掛ければ良かった、と思う。特に、年末年始が、勤務で潰れてしまったのが痛かった。勿論、後の祭であるし、もっと早く準備を始めていれば、結果は変ったかも知れないが、悔やまれてならない。
扱っている作品は、作品としては余り面白くない。しかし、どうしてこういうものを作ったのか、など、非常に面白い(K教授の受け売りですが)。今回の歌も、なんだかよく判らなかった。
反省だらけだな。修行が足りぬのぅ。

その後、吞みに行く。九時十五分くらいに解散、帰宅。

帰りの電車で、二駅寝過ごしてしまった。まだまだ、上りの電車があったので、かえることができた。
家に帰ると、昨日連絡した古本屋から返信が来ている。某日記の影印で、素性がよく判らないのが出品されていたので、問い合わせたのである。返信を見ても、素性がよく判らないが(調べても出版記録がようわからない)、必要な内容はありそうなので、購入する旨を返信した。
コメント
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