夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

霊肉の葛藤

2016年02月04日 20時49分29秒 | 真理の言葉
霊肉の葛藤

肉体的な欲望の世界は無いのである。あるように見えるのは幻である。
煩悩があると思うから煩悩を捨てることが出来ないのである。
人間の本当の姿は煩悩では無いのであるから煩悩を捨てきることが出来るのである。
肉体と云う皮袋の奥に、尊い霊的な素晴らしい喜びに満ちた人間の本当の眞の姿が存在している。




煙草をのみたいという人は、きっと煙草をのんだ人であります。
煙草を未だかってのんだことの無いひとが煙草をのみたいと考えないのであります。
吾々が何かを得たいという場合は、それは既にもうそれを得済みの人であると考えていいのであります。
女の人が男を求める、男の人が女の人を求めるというのも
既に自分の愛しい半身が何処かにいることを先天的に知っているからであります。
既にあるから、それを求める。
われわれが宗教によって救われたい、仏になりたいと思う。
そう思うのは、既にわれわれの生命の奥底の体験において、『既に自分が仏である』というところの自覚が宿っているからこそ、仏になりたい、この様に考えるのです。
弘法大師の『即身成仏義』という本の中で、『一切衆生すでに成仏せるに、未だ成仏せることを知らず』と書いておられる。
すべての衆生、すなわち生きとし生けるものは、『成仏』すなわち仏になっているということを知らないのである。
ただそれに気がつかないだけであり、それに気がつけば好いのです。


『自分はすでに仏である。完全である。迷いなどすでにないのである。
肉体的な欲望、煩悩などないのである。罪はすでに無いのである。
すでに完全円満である。既に仏であり、すでに神の子である。仏の子である』と知れば好いのです。




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