夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

指が無くとも天地とともに立つ大生命

2018年09月05日 16時06分51秒 | 日記・エッセイ
隠田

湖底の水が減少して以前の田圃が現れ、

まるで先祖返りのようである。

一昔の賑わいが蘇る。

現在と過去とが同居している不思議な光景。



倶胝(ぐてい)和尚、一指頭をたてる。

倶胝和尚が禅問答で一本の指を立てるのは此の指に大天地が立っているのと同じであった。

それを見ていた小僧がまねをして、人が問いかけると何でもかんでも指を立てていました。

倶胝(ぐてい)和尚が或る日小僧を呼んで

『如何なるか是れ汝』と問うた。

小僧は何時もの様に一本の指を立てた。

『この指、汝ならば此の指切断せんにはいかに』と言って

倶胝(ぐてい)は小刀で小僧の指を切ってしまった。

此の指が小僧なら切って其処に置いても返事をしそうなものである。

しかし切られた指は血が出て唯の物質としてそこに転がっているに過ぎない。

童子負痛號哭して去ろうとしていたら、

小僧待てと言い『如何なるか是れ汝』と再び前の問いを繰り返した。

しかし小僧は指を立てようにもその指は切られて無い。

真似ようにも真似られない。

小僧が困っている時に倶胝和尚はこのように立てるのだと言い、

もう一度指を立てて、小僧に示した。

小僧は成るほどと気がついた。

人まねの指ではない、

形の指ではない、

指が無くとも立つ指が自分である。

指が無くとも天地とともに立つ大生命、

それが自分であると小僧は悟った


無門關 第三則 倶胝竪指