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日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

自然なこと

2008年09月21日 | 日記
私が子供のころは、「不登校」という言葉も一般的ではありませんでした。登校していなかった子どもはいたのかも知れませんが、それが表に出てくることもありませんでした。



そもそも、なぜ子どもが「不登校」になると大人は心配して悩むのでしょうか?



子どもが働かないから悩むというのは、まだ理解しやすいことです。お金がなければ、働かなければ食べていけないと考えるのは、自然です。


しかし、子どもが学校に行かないから大人が悩むのはなぜなのでしょうか。


学校に行ってもお金は入ってきませんから、子どもが生きることと学校に行くことは結びついてはいません。


学校に行かないと勉強しなくなって、賢くならないからでしょうか?



でも、学校を拒否するという選択をできる子が、賢くないなんて言えるでしょうか。




むしろ、学校教育の最大の問題点は、学校に行きたくないにもかかわらず、行きたくないという自分の気持ちをちゃんと見ようとしない子どもを大量に生み出していることです。


本当なら明るい子どもも、元気な子供も、その多くは学校に行くことにより、やりたくない勉強をします。彼らはそれをやりたくないにもかかわらず、「やらなければならない」と思い込んでしまっているのです。


やりたくもないことを、「やらなければならない」と思い込む。


これがどれだけ異常なことか、わかるでしょうか。


登校しない子どもは、自分が何をしたくないか、できないかが分かっている人たちです。


それに対し、学校に通う子供の大部分は、したくないことを「しなければならない」と思い込み、自分のしたいこととしたくないことの区別がつかなくっているのです。


学校に行かない子どもの未来がどうなるかはその子どもたち次第です。


しかし既存の学校に行っている子どもの大部分は、したくないことを「しなければならない」と思い込む癖を身に着けたまま大人になります。


そうやって彼らは、したくないことを一生続ける恐れがあります。


怖いことではないでしょうか。



世の中の多くの人は、学校の勉強をちゃんとしなければ生きていけないと思っています。単に学歴の問題ではなくて、学校で勉強して賢くならないと、社会人としてやっていけないと思っています。


しかし、では仕事場で使う知識のことを考えてみましょう。


お金を生み出すには、「営業」という仕事は不可欠です。


でも、私たちは知っています、誰もが営業に向いているわけではないことを。


お金の管理には「簿記」の知識が必要です。


でも、私たちは知っています、誰もが簿記が得意になるわけではないことを。


ビジネスを拡げるには、英語を使って国際的な取引をすることが必要です。


でも、私たちは知っています、誰もが英語ができるようになれるわけではないことを。



私たち大人はちゃんと知っているのです。人にはそれぞれ向き不向きがあるし、それに逆らって向いていないことを無理してやる必要がないということを。


営業に向いていない人を毎日教室に閉じ込めて営業の勉強をさせたら、その人が鬱になっても仕方がないことを私たちは知っています。


すべての女性が専業主婦に向いているわけではないことを私たちは知っています。



なのに、不思議なことに、子どもには、その子の向き不向きを考えずに、毎日学校に行かせて勉強させようとします。


そんな状況で、学校に行くことを拒否する子どもが出てくるのは、きわめて自然なことです。

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