民主主義を実現する上で必要なことは、自ら行った決断の責任を取るという態度を市民がもつことです。
年金が崩壊しているのも、
自治体財政が破綻しているのも、
軍隊が好きな人が知事をしているのも、
無駄遣いの空港建設が行われるのも、
すべて自分たちが選んだことだと自覚することです。
民主主義を崩壊させるのは、悪性を行う政治家や官僚が跋扈することではありません。そのような現象が起こる原因は自分たちにあると市民が自覚しないことです。
わたしたちはなぜわたしたちの生活の責任が自分にあると考えることができなくなったのでしょうか。
人生とは何かに頼ることと信じ込んでいると、自分の置かれた状況は他人のせいだと考える心性が身につきます。
そのような心性を作っている原因は、戦後の日本の教育を支配した学歴信仰です。
だからこそ、同じ大学の同じ学部の卒業生が同じ省庁の構成員の大部分を占めるというグロテスクな事態が常態化してきました。
本当に社会を変えたいのなら、わたしたちの学歴に対する、そして企業の序列への信仰を捨てる必要があります。
年金が崩壊しているのも、
自治体財政が破綻しているのも、
軍隊が好きな人が知事をしているのも、
無駄遣いの空港建設が行われるのも、
すべて自分たちが選んだことだと自覚することです。
民主主義を崩壊させるのは、悪性を行う政治家や官僚が跋扈することではありません。そのような現象が起こる原因は自分たちにあると市民が自覚しないことです。
わたしたちはなぜわたしたちの生活の責任が自分にあると考えることができなくなったのでしょうか。
人生とは何かに頼ることと信じ込んでいると、自分の置かれた状況は他人のせいだと考える心性が身につきます。
そのような心性を作っている原因は、戦後の日本の教育を支配した学歴信仰です。
だからこそ、同じ大学の同じ学部の卒業生が同じ省庁の構成員の大部分を占めるというグロテスクな事態が常態化してきました。
本当に社会を変えたいのなら、わたしたちの学歴に対する、そして企業の序列への信仰を捨てる必要があります。
読売新聞でしたか、一時期、人物紹介欄に学歴を記載するのをやめていたと思います(今は知りませんが)
今は芸能人のクイズ番組でも学歴で席が分けられていて、それがスタンダードだと思って育つ子供たちはどうなるのかと心配です。
「学歴」に頼るというのは、要するに学校に頼るということですね。
学校に依存すると、学校での勉強が社会を出る上での準備に過ぎないということを忘れ、学校での点数=将来の自分を形作ると錯覚してしまいますよね。