CuniCoの徒然・・・岩下邦子の独り言

日々の暮らしの中で、立ち止まったり、すれ違ったり。私の中のアレコレを思いつくまま、気の向くまま。

歌(表現)を考える・・・

2013-04-01 07:15:20 | 表現にからむ様々なこと
4月がやってきた。
我が家の前の道は、薄ピンク色の絨毯だ。
今朝も、まるで雪が降るように
ひらひらと花びらが舞っている。

あと2〜3日は、寒いようだが、そのあとは暖かくなるようだ。

たぶん・・・すぐに暑い暑いと騒ぐのだろう。

月曜シャンソンコンサートまで、3週間となった。

唄う曲の準備を整えないといけない。
体を整えないといけない。
お客様を呼ばないといけない。。。

6月のライブに向けた準備も始めないといけない。
7月には、少し遠くに唄いに行こうと思っている。
その準備も始めないといけない。

課題はわかっているが、なかなかこなせない(-_-;)

歌(表現)を考える事は、大好きなので、そのことに終始してしまう。

最近、今まで唄ってきた歌の録音を聴きながら、
あ~~~なにも考えてないな・・・と呆れてしまうことが多い。
その時には、たくさん考えて、表現していたのだろうが、いま聴くと
「何考えてるんだろう!」「違う!」って叫びたくなる。

演劇は、演出家の存在があるから、役者が創るものを見つめる第三の目がある。
(第一の目と第二の目は、役者自身のもの)

この第三の目を『歌い手』は、もたなくてはいけない。

『役者自身も三つの視線(視点)をもたないといけない。』と
M氏に言われ続けた事は、私の宝物。
それは、『どう見るか』の初期段階のこと・・・
ある事象を自分の感覚で捉えることは簡単だが、
その捉え方・・・二つ(裏表)は、当たり前。
角度を変えて、捉える視点・・・色の違うサングラスをいくつもてるかだ・・・
という意味のことをM氏は、いつも言っていた。

今日考えているのは、そういった、いろいろな角度で吟味し、捉えたものが、
練上がって立ち上がって『表現』されたものを、見つめる目のことだ。

自己陶酔や思い込みではなく、
表現として立ち上げるための第一目。
その表現を捉えるもう一つの目。

そして、距離をおいて吟味する第三の目。

これまで唄ってきた歌を聴きながら、チェックする。

『あきれたあんた』をいうアズナブールの歌がある。
ずっと私の歌を聞いてくれている人から言われた。
「これまで3回聴いたけど、3回とも歌っている女性が違う人物だった。
 僕は、最初の女が、好きだな・・・」

なるほど、と思う。

これからも、歌を検討していく中で、
『歌っている人物』の気性が変化するだろう。

楽譜があって、音程通り、きれいに唄うことではなく
『歌』を表現することを試行錯誤している私は、そうならざるを得ない。

それに、日々生きているから。
様々な時間を通過しているから。
昨日の私と今日の私が同じではないように、歌も変化する。

もちろん、その根底には、『岩下邦子』があるのだけれど。

体の準備も頑張ろう。
お客様への声かけ・・・もしっかりしないと。

あと3週間、私なりのサイゼンを尽くさないといけない。

月曜シャンソンコンサートは、戸川昌子さんとお会いできる。
戸川さんの大きさに包まれながら、歌える幸せを感じる瞬間だ。

明日は、髪を切る。
さぁ準備を始めよう。

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