風の谷通信 さん農園便りNo.27
朝日新聞の連載記事で梅原猛さんという哲学者の標記記事を楽しみに
してきましたが今日で最終回となりました。その最後の文章で大変なことを提示されたと思いました。抜粋は時として誤解を招くのですが、そして少々長くなるのですが、おそれず引用します。
その1:思想家とは神仏と言われる何か偉大なものがひそかに語る言葉を人々に伝
える人間
*ということから、思想家は真理だけを頼りにして孤独に闘えということであろう、と考え、時代が特定の方向に無定見に流れてゆくような時に、時代の権威に反して批判精神を失うな、と主張しています。
その2:今までの哲学は、考察を農業時代の思想の考察から始める。しかし農業が
始まったのは・・・約20万年に及ぶ今の人類の歴史からみれば・・
はなはだ短い。工業文明は明らかに農業文明を受け継ぐものであり、人類
にははなはだ豊かで便利な生活をもたらしたが、あるいは農業文明以後の
歴史の道は人類の滅亡への道かもしれない。人類を末永く生き永らえさせ
るためには、人類の運命を狩猟採集時代にまでさかのぼって考える哲学が
必要であると私は思う。・・・
*私は「大和魂」なんてのは怒涛の時代が生んだ幻であり、葉隠れなんてまことの大和魂から程遠いと考えてきたのです。第二次大戦当時の大和魂なんて誇大妄想の塊だとも思ってきたのです。
まことのそれはおそらく万葉の時代まで遡るべきものと考えてきました。ところがこの町に住む声楽家で思想家である先生が「イヤ、それは縄文時代までさかのぼるべきもの」と言われます。ここで梅原さんの言われる時代は、縄文時代よりも更に古い時代かもしれません。
梅原さんは、イラク戦争開戦時だったかニューヨークのテロの時だったかに「砂漠の宗教から森の宗教へ還れ」と説かれた人です。人類は元来森の動物であり、その宗教(あるいは哲学)に回帰すべきである。それが憎しみの連鎖から離脱する方法である、と説かれたように記憶しています。
私が「農」を生活・思考の基盤に置いていますで、この文章で人間の本質に還るには農でも不足だよ、森の中で食べ物を求めて走り回っていた頃の人間性を回復せよ、と言われているみたいな気持ちがしました。
この最終回の結語的文章は私にとってひとつの衝撃でありますが、さてどうしたものか、まだ判りません。「蕩々たる右傾化の中で」「長らく世界を支配してきた西洋的哲学が限界を露呈し始めた今」自分が何を基盤に生きて行ったらよいのか判らず、今はただ宇宙の無限力を信じるしかないのかな、と考えます。これはマクロビオティック的・あるいはヨガ的生活に繋がるものであり、人間の遺伝子情報に従って生きるということになろうかと思います。
朝日新聞の連載記事で梅原猛さんという哲学者の標記記事を楽しみに
してきましたが今日で最終回となりました。その最後の文章で大変なことを提示されたと思いました。抜粋は時として誤解を招くのですが、そして少々長くなるのですが、おそれず引用します。
その1:思想家とは神仏と言われる何か偉大なものがひそかに語る言葉を人々に伝
える人間
*ということから、思想家は真理だけを頼りにして孤独に闘えということであろう、と考え、時代が特定の方向に無定見に流れてゆくような時に、時代の権威に反して批判精神を失うな、と主張しています。
その2:今までの哲学は、考察を農業時代の思想の考察から始める。しかし農業が
始まったのは・・・約20万年に及ぶ今の人類の歴史からみれば・・
はなはだ短い。工業文明は明らかに農業文明を受け継ぐものであり、人類
にははなはだ豊かで便利な生活をもたらしたが、あるいは農業文明以後の
歴史の道は人類の滅亡への道かもしれない。人類を末永く生き永らえさせ
るためには、人類の運命を狩猟採集時代にまでさかのぼって考える哲学が
必要であると私は思う。・・・
*私は「大和魂」なんてのは怒涛の時代が生んだ幻であり、葉隠れなんてまことの大和魂から程遠いと考えてきたのです。第二次大戦当時の大和魂なんて誇大妄想の塊だとも思ってきたのです。
まことのそれはおそらく万葉の時代まで遡るべきものと考えてきました。ところがこの町に住む声楽家で思想家である先生が「イヤ、それは縄文時代までさかのぼるべきもの」と言われます。ここで梅原さんの言われる時代は、縄文時代よりも更に古い時代かもしれません。
梅原さんは、イラク戦争開戦時だったかニューヨークのテロの時だったかに「砂漠の宗教から森の宗教へ還れ」と説かれた人です。人類は元来森の動物であり、その宗教(あるいは哲学)に回帰すべきである。それが憎しみの連鎖から離脱する方法である、と説かれたように記憶しています。
私が「農」を生活・思考の基盤に置いていますで、この文章で人間の本質に還るには農でも不足だよ、森の中で食べ物を求めて走り回っていた頃の人間性を回復せよ、と言われているみたいな気持ちがしました。
この最終回の結語的文章は私にとってひとつの衝撃でありますが、さてどうしたものか、まだ判りません。「蕩々たる右傾化の中で」「長らく世界を支配してきた西洋的哲学が限界を露呈し始めた今」自分が何を基盤に生きて行ったらよいのか判らず、今はただ宇宙の無限力を信じるしかないのかな、と考えます。これはマクロビオティック的・あるいはヨガ的生活に繋がるものであり、人間の遺伝子情報に従って生きるということになろうかと思います。