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強い国

2011-03-30 00:40:46 | 日記
私がアメリカに留学していた1990年の夏、友人たちとピクニックに行ったその帰りのこと。私は友人 Billy が運転する車に乗っていたのですが、その車が田舎道で突然止まってしまったのです。エンジンをかけようとしてもかかりません。他の友人たちが心配する中、Billy は外へ出て車のボンネットを開け、いろいろ調べた後、また車の中に戻ってきました。そして運転席に座った彼が発した言葉に、私は度肝を抜かれました、"Let's pray.(祈りましょう)"。祈る? こんな時に? 公衆電話探してAAA(JAFのアメリカ版みたいなもの)を呼ぶべきじゃない? そもそも祈るなんて大人のすることじゃないでしょ? 私の心の中にはそんな思いが渦巻きましたが、それを言い出す勇気もなかったので、そのまま目を閉じました。Billy が祈りを捧げている間も当然「祈って車が直るわけないのに・・・」と思っていました。祈りが終わり、エンジンを再びかけるBilly。すると車は何事もなかったかのように動き出し、車内にいた全員が歓喜の声をあげました。私が生まれて初めて体験した「祈りが聞き届けられた瞬間」でした。

私が最初考えていたように、公衆電話を探して AAA を呼んで車を修理してもらったとしても車は動いたでしょうが、Billyは人間を頼るよりもまずは神様を頼るという選択をしたのです(ちなみにこのBillyこそ3/13の日記で書いた「Facebook でわざわざ私を探してくれた友人」です)。東日本大震災の後、TV CMなどで「日本は強い国」「日本の力を信じてる」などのメッセージが流れていますが、私はこれに違和感を覚えます。私がこの震災とその後の福島第一原子力発電所事故で一番痛感したのは「人間の力ではどうにもならないことがある」と「結局人間はあてにならない」ということでした。だから今は「日本は強い国」とか「日本の力を信じてる」というメッセージを素直に受け入れることができません。先に書いた Billy のように、人間の力をあてにするのではなく、むしろ今こそ神様を頼るしかないという気持ちです。もちろん自分自身ができることは最大限やるつもりですが・・・。

あと、「強い国」という言葉自体にも抵抗を感じます。アメリカの9.11事件の直後、当時のジョージ・W・ブッシュ大統領が演説の最後に "God Bless America." と言った時、私は非常にショックを受けました。アメリカが大変な時だから当然といえば当然なのかもしれませんが、他の言い方もあったはずです。結局、アメリカはアメリカのことしか考えていないのかと失望しました。今の「強い国」メッセージも外国人が聞いたらどう思うでしょうか? 考え方は人それぞれとは言え、ほとんどの外国人にとって日本はすでに「強い国」(特に経済的に)の1つではないかと思います。もし、アメリカ人が「アメリカは強い国」、あるいは中国人が「中国は強い国」とテレビコマーシャルで言っている映像を見たら、私はやはり違和感を覚えると思います。もちろんメッセージが困難な事態に直面している日本人を勇気づけるためのものであることは重々承知しています。でも自分たちが大変な時こそ、他の人々のことも気遣える「優しい国」の方が「強い国」よりも価値がある、少なくとも私はそう思いたいです。

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