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2011年3月11日

2011-03-12 15:36:42 | 日記
昨日、つまり2011年3月11日を私は一生忘れないと思います。こんな経験は初めてだったし、できることなら二度としたくない。でも日常で当たり前にやっていること・できていることが決して当たり前のことではないのを今回痛感したので、それを忘れないためにもできるだけのことを記録しておこうと思います。

東北地方太平洋沖地震発生時、私は23階建てのビルの22階で仕事をしていました。小刻みな縦揺れの時は「おっ、また地震か」と思っただけでしたが、どんどん大きな揺れになり、同僚たちが騒ぎ始め、急いで電子ロックのかかったドアを開けたり、デスクの下に隠れたり、いつもは穏やかなAさんが「どうしよう、どうしよう」とパニックになる姿を見ても自分は冷静に「落ち着きましょう!」と周囲に声をかけていました。そして椅子から立ち上がって窓から外を見て、席に戻ろうとするも立っていられなくなって体がよろめいた時、初めて「これは大変なことだ!」と自覚したのです。揺れが小さくなっても椅子で体を支えながら床に座ったまま口ぐちに恐怖を語る同僚たち。私はWebでYahoo!ニュースを速攻チェック。東京23区は震度5強ということで、その揺れの大きさに納得。しばらくたってからビルの防災センターからの館内アナウンス。もちろん「おせーよ!」と突っ込みました。その後も何度も何度も繰り返される余震。そのたびに怖がる隣の席のBさん。少し遠くの席でUstreamにアップされた津波の映像を観ていた同僚たちからは大きなどよめきが。もし震源地が東京だったらどうなっていただろう・・・と考えずにはいられませんでした。

当然のことながら東京はすべての鉄道が止まっている状態。定時になり、自宅がオフィスから歩ける距離にあるCさんは早々と退社。仕事がまだ残っているメンバーたちは時々窓から外の様子を見ながら帰る方法を思案。私は歩くか電車の復旧を待つかでずいぶん悩みましたが、今回でなければ逆に家に歩いて帰る機会もないと思い、歩くことを決断。オフィスから自宅までは7~8キロのはずなので、70分~80分で到着することを目標に設定し、ジムに行くために持ってきていた携帯マグに水道水を入れて、歩きながら水分補給ができるよう準備。鉄道の復旧を待つも帰宅困難になるかもしれない同僚たちに、いざという時は遠慮なく私の家に来られるよう自宅の情報を伝え、オフィスのエレベーターが復旧すると同時に退社。

地震発生後初めて地上に降りたのが19時11分。そのまま自宅に向けて出発。その日はたまたまロンTにカラージーンズ、トレッキングシューズという超カジュアルな格好をしていたのが功を奏し、私と同様歩いて帰宅する人々をどんどん追い抜き、19時20分にJR御茶ノ水駅前に到着。そのまま秋葉原方面に向かって歩いて、19時半ごろ湯島駅入口に到着。千代田線が復旧しているか確認するために駅の中に入るも改札周辺にたむろする人を見て、このまま歩き続けることを決心。19時45分ちょうどに上野駅前を通過。シャッターが閉まった駅とそのそばでタクシーを待つおびただしい人々の行列。まさに今まで見たこともない光景。昭和通りの歩道は家に向かって歩くたくさんの人々で埋め尽くされ、追い越すこともままならないので、やむなく車道を歩くことに。車はのろのろ運転で、危険を感じることはまったくなかったけれど、考えてみると歩く人々が車をどんどん追い越していくのも珍しい状況。やっと東京メトロの入谷駅の入口が見えてきたのが20時。予想に反して喉はまったく渇かなかったけれど、持っていて良かったと思ったのはiPod。くるりだけをShuffleして聴き続け、すぐ隣で走っている車の騒音をシャットアウト。20時14分に三ノ輪駅入口前を通過。そのうちに自宅から見える南千住のマンション群なども目に入ってきて、なんとなくホッ。20時23分に千住大橋を渡り始めるも目標をクリアできないことが明らかになったためちょっとだけヘコむ。京成線はまだ復旧しておらず、千住大橋駅のホームはまったく明りがついていない状態。踏み切りも電車が走っていないのに、なぜか遮断機が下りたまま。お巡りさんから「下からくぐり抜けてください」と言われ、体をかがめて線路の上を通過。20時40分ちょうど、オフィスを出発してから89分で自宅に到着。

自宅のドアを開けてまず驚いたのは、いつもは開けている廊下のドアが閉まりかかった状態だったこと。心配だったうさぎのチョコは無事。でも余震が相当怖かったのか、ケージから出してあげるとすぐにこたつの中に潜り込んでしまいました。物置の折れ戸はすべて半分開いた状態。喚起のためにほんの少しだけ開けてあった窓もかなり開いていて、揺れの激しさを物語っていました。一番驚いたのは、つけ置き洗いするつもりで水を張った状態でシンクに置いてあった鍋やスープ皿の水がほとんどなくなっていたこと。「こんなに揺れたの!?」と信じられなかったのですが、トイレのタンクの水さえもこぼれたようで、トイレマットの端も濡れた状態。あとは洗面台の化粧品などが倒れただけで、大きな被害はなし。高さのある食器棚や本棚、タンスなどを置いていなくて良かったです。

家の被害状況をチェック後、テレビの特別報道番組を見ながら晩御飯を食べようと思ったら、ガスの火がつかない。地震で自動的にストップしたのは想像できましたが、どうやって安全装置を解除するかわからず、結局電子レンジでご飯と冷凍の中華丼を温めて食べました。でも同じ状況の人が絶対にTwitterでつぶやいているはず、と思いリアルタイム検索したら、親切な人が復旧方法をTwitterで教えてくれていて、そのとおりに作業をしてガスも復活。こういう時に一番使えるのはやっぱりTwitter。Facebookやメールで友人たちの無事も確認でき、インターネットの便利さを再認識。インターネットがなければ私はいまだにガスを使えていなかったかもしれません。

テレビでは津波がものずごいスピードで町を飲み込み、あまりにもあっけなく家々が破壊される映像や、暗闇の中に大きな炎を上げる火災現場の映像が流れ、本当にこれが日本で起こっているのかと自分の目を疑いました。鉄道の復旧のニュースで少しホッとするも、繰り返される余震が怖くて自分の部屋で寝る気にはなれず、結局リビングでうとうとしては余震で起きる、そんな夜でした。

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