60歳からの視覚能力

文字を読んで眼が疲れない、記憶力、平衡感覚の維持のために

言葉の影響を受ける見え方

2006-04-04 22:14:01 | 言葉とイメージ

 左の図は何に見えるでしょうか。
 白い部分とか、黒い部分の形にとらわれてしまうと何の形か分かりにくいでしょう。
 眼を離して全体をぼんやり眺めているうちに、ふっと人の顔らしいものが浮かび上がってきます。
 黒いひげで覆われた顔のようだということに気がつくと、ほかの見え方はしなくなります。
 これはキリストの顔だというのですが、そういわれれば「ナルホドそうか」と思う人もいるでしょう。
 十字架に架けられたキリストの絵とか彫刻を見たことのある人なら、記憶イメージとなんとなく一致する感じがするからです。
 
 しかし、これがキリストの顔だと感じるのはそのような記憶イメージを持っている人が感じるのであって、持っていない人はなるどとは感じません。
 これはガリレオの顔だといっても、「そうではない」という証拠というか、根拠はありません。
 これは大久保利通の顔だといわれれば、「そういえばそんな気がする」と思う人だっています。
 画像自体はあいまいなので、言葉で何々と説明されれば、その言葉に対応する記憶イメージがあればそれらしく見えてきます。

 つぎに、右側の図は何に見えるでしょうか。
 これは牛ですといわれると、左上が牛の顔だなと思う人が多いでしょう。
 牛だという言葉を聞けば、牛が画像の中心にくるのだろうと思ってしまうため、顔が左に来るような形で牛をイメージしようとしてしまうからです。
 しかし、牛だと思ってみると、そう見えないこともないけれども、なんとなくおかしいなと感じるのではないでしょうか。
 実はこの画像では、一番右が牛の顔になっていて、額から鼻にかけてが白い、まだら牛の顔になっています。
 
 初めはなんだかわからなくても、牛だと聞けば何とか牛としてみようとするのですが、画像のまん中に描かれているという先入観があるため、不自然であっても左側が顔であると思ったりするのです。
 言葉によってイメージが呼び起こされるといっても、いつも適切に呼び起こされるとは限らないのです。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿