
白米は精白された米で、玄米は精白されていない米です。
玄米は黒米とも書き、色が黒いから玄米と呼ぶとも言われます。
しかし白麦は精白された麦、玄麦は精白されていない麦ですが、黒麦は蕎麦のことで黒い色をしている麦ではありません。
玄米は黒米と同じでも、玄麦と黒麦は同じではないので、意味の統一性がないのです。
白米と玄米のときは白米が精白されていて、より手が込んでいるのですが、白人(素人)と玄人の場合は、玄人のほうが技術レベルが上ですから、意味が逆転しています。
さらに玄人の場合は黒人とは意味的なつながりは全くないのですから、玄イコール黒というふうに流用は出来ないのです。
大西洋という言葉があれば、漢字的に対応する言葉としては大東洋のはずなのですが、実際は太平洋となっています。
太平洋はパシフィック.オーシャンの訳語が太平なので、太平洋だというのですが、それでは大西洋はアトランティック.オーシャンの訳語かといえばそうではありません。
中国が自らを中華と称したため、中国から西方を西洋としたことから大西洋という表現が出たらしいのですが、それなら太平洋は大東洋とするのが自然なのに、パシフィックの訳語を取ったというのは一貫性を欠き、しまらない話です。
机案といえば机の上で考えたアイデアのようなイメージを持つかもしれませんが、これは単に「机」の意味です。
「案」という字に木が使われているのは、案が本来は「机」の意味だからです。
現在では「案」は考えとかアイデアの意味がポピュラーになっていて、「机」の意味があまり知られていないので、「机案」という熟語を見ても単に机を意味するとは思わないのです。
案は安に通ずるのか案堵は安堵と同じで「やすんずる」の意味がありますが、思案のときは「心配する」という意味ですから、逆の意味になっています。
漢字は意味を持っているから、漢字熟語は全体の意味を知らなくても個々の漢字の意味から推理できるといってもそうはいかないのです。
たとえば「料理」ということばは広く一般に使われていますが、ここの感じの意味からすれば「はかりおさめる」で、単に処理するという意味でしかなくクッキングという意味はありません。
これは「材料調理」の略なのだというような説もありますが、材料は食料とは同じではなく、調理も字義的には処理する意味で、クッキングにはなりません。
材料調理というのは調理をクッキングとして覚えているために考え付いたあと知恵で、略し方も材調とすべきなのに料理と強引に略しているのです。
このように矛盾した形で漢字熟語を記憶しているのは、熟語を全体として意味を記憶しているためで、個々の漢字の意味を組み合わせて覚えていないからです。
漢字も漢字熟語も特定の人々によって発明されたわけではないので、きっちりと整合性があるというものではないのです。
したがってあまり合理的に考えようとするとかえって混乱してしまうのです。
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